◆ 第五章 お飾り側妃、危機迫る(4)
王宮の入り口からは城下へ行くための乗り合い馬車が出ている。列に並びながら王太子妃だとバレるのではないかと内心ひやひやしていたベアトリスだったが、拍子抜けするほど周囲は気がつかない。
(ふふっ)
自分だけ知っている秘密ができたような気がして、なんだが楽しくなってくる。
馬車に揺られること十分ほどで、城下の中心街に到着した。ベアトリスは馬車を降りると、通い慣れたメインストリートを通って本屋へと向かった。
本屋の入り口を開けると、店主をしている初老の男性が椅子に座って本を眺めているのが見えた。
「ご機嫌よう」
「いらっしゃい。……おや、初めてのお客さんだね」
ベアトリスの声に顔を上げた店主は、人のよい笑みを浮かべる。
初めてどころか、以前は毎週のように通っていた常連だけれど、ベアトリスは「ええ。表から見えたので」と無難な答えを返す。
「どうぞごゆっくり」
店主はそう言うと、目尻の皺を深くした。
◇ ◇ ◇
物陰からそっと、本屋の様子を見る。周囲を窺うように一度だけ周りを見回した黒髪の女性──ベアトリスは本屋の中へと消えた。
メインストリートに面した大きなガラス窓越しに、店主と思しき初老の男性と何かを話しているベアトリスの姿が見えた。会話を終えたベアトリスは本棚を眺める。すぐに一冊を本棚から抜き手に取り、中身をぱらぱらと眺める。そしてその本をまた本棚に戻すと、別の本を手に取った。
店主がベアトリスに声をかける。片手には一冊の本を持っていた。ベアトリスはそれを受け取ってしげしげと眺める。その表情に喜色が浮かぶのが目に見えた。
「こっちの気も知らないで──」
ジャンはチッと舌打ちする。
錦鷹団の団長室で仕事をしていたら、サミュエルからベアトリスが見当たらないと報告を受けた。どこに行ったのかと探し回った結果、カイルから『魔道具を貸してくれと言われたので渡した』と聞き出し、慌てて城下に探しに来た。
今日の午前中、ベアトリスから『城下に本を買いに行きたい』と聞いていたのですぐにここではないかとピンときたのだが、その予想は見事に的中した。
ベアトリスにはある日突然〝お飾り側妃〟を命じた。彼女には悪いことをしたとは思っている。忙しい任務の合間に、城下くらい自由に行かせてやりたいとも。
だが、これまでの婚約者候補の事件や、先日のビショップ子爵令嬢の不可解な事件などを考えるともう少し対策を練ってから、と思っていた。
「嬉しそうですね」
横にいたサミュエルがぽつりと零す。
「ああ、そうだな」
物陰からベアトリスを見守っていたジャンは頷いた。
以前に本をプレゼントしたときにも思ったが、ベアトリスは新しい本に出会うと、まるで宝物を見つけた子供のような顔を見せる。
「よっぽど本が好きなんでしょうね。マーガレットからも、ベアトリスが読んでいない本を見つけるほうが難しいと聞きました」
「そのようだな。言葉も、いろいろな国の本を書かれたそのままの言葉で読んでみたくて、勉強したと言っていた」
話しながらも、ジャンは視線を本屋に向ける。両手にいっぱいの本を紙袋に入れて持っているベアトリスが、満足げな表情で店から出てくるのが見えた。