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「つまり、教会から発表された《闇の精霊を認める》というのは、マルセルさんのことだったと言うのですか?」
「はい⋯⋯そうです」
「ではその子は闇の精霊なのですね」
これ以上、クロを人目に触れさせる訳にはいかないからとアボットさんを我が家の馬車の中へと誘った。
クロは私の鞄をペシペシと叩いて、何かを訴えるように私の膝に乗ってきた。
うーん。
お腹空いたのかしら。
「クロ、ごめんね。今はお菓子を持っていないのよ」
そうクロに伝えると、クロは鞄に興味がなくなったようで今度はアボットさんの方へ向かうとアボットさんの隣に座り、じっと見つめている。
「こんなものしかないけど⋯⋯食べるかしら」
アボットさんは困ったように笑うと、鞄の中から袋を取り出して中に入ったクッキーを一つ、クロへと差し出した。クロは目を輝かせたようにアボットさんに近づき、口でパクッとクッキーを咥えると、ピョンと飛び降りて、私の足元でモグモグと食べ始めた。
「何だか催促したようで⋯⋯ごめんなさい」
「いえ、本屋に行く間にお腹空くかと思って持ってきていたの。精霊がお菓子を食べるなんて知らなかったけど、食べている姿はとても可愛らしいわね」
そう、先程馬車の中でクロが精霊だと見抜いたアボットさんに、闇の精霊について私は正直に伝えた。
というのも、教会からは既に闇の精霊を正式に認めることが発表されている。
それでも未だ私が闇の精霊と契約したことを公にしていないのは、この間のマルセル領でのことが大きい。
教会からの発表はあったものの、闇の精霊については、未知のものへの恐れを抱く人がいる懸念は払拭しきれていない。
その為、大教会の神官たちが闇の精霊は畏怖ではなく崇敬の対象であることを世間に広めている。
秋に二学年の精霊召喚の儀が予定されている為、それに合わせて私の契約についても発表される予定だ。
「アボットさんはどう思いますか。闇の精霊について」
「闇の精霊がどのような力を持っているのか、想像も出来ないわ」
「そうですよね。この子は低位精霊なので、特別に何か力を持っている訳では無いの」
「ただ⋯⋯闇、とだけ聞くと何も知らない分勝手な想像で良いイメージは持たれにくいとは思う。⋯⋯でもこの子を見ていればそれが杞憂だと分かるわね」
アボットさんはクロを優しい顔で見つめた。
だが、中立の立場で物事を考えられるアボットさんがこう考えるのだから、精霊を見ることの出来ない大多数の人はどう感じるだろうか。
「それでも、実際にクロを見ることが出来る人は限られているのよね。想像ほど恐ろしいものはないもの」
「そうね、ただ王家も教会も後ろ盾にいるのだから、貴方に危害を加える人はいないでしょう。⋯⋯でも注意しなければいけないのは、人の噂」
「噂⋯⋯」
「直接の被害がなくても、噂を止めるのは難しいし、噂を罰することは難しいもの」
確かに噂はあっという間に広がるものだ。
全く見当違いなことが世間に広がってしまうと、それを訂正していくことも難しい話だろう。
「それでも、契約した人がマルセルさんだからいいのかも」
「どう言うこと?」
「貴方は確かに凛とした近寄り難い雰囲気を持っている。けれど、同時に王太子殿下の婚約者でもあり、注目と憧れの対象でもあるでしょ。だから、貴方が闇の精霊と契約した。それだけで皆、この国は今までにない更なる加護を手に入れたと思うかもしれない」
「印象操作ってこと?」
「そう。隠すのではなく、積極的に知ってもらうことで好意的に受け止められるようにするのも、手ではないかしら」
隠すのではなく⋯⋯知ってもらう。
確かに闇の精霊に関して私が何かをした、と言うことはない。
教会との話し合いだって殿下が全て丸く納めてくれた。
特性を調べるのも私には力不足だ。
でも世間の人に実際契約をした私が働き掛けるのは有効かもしれない。
「ありがとう、アボットさん」
「でも公にすると言うことは危険も伴うかもしれない。よく婚約者様に相談するべきね」
「えぇ、そうね」
アボットさんは肩を竦めて「私だってもちろん助けるわよ」と眉を下げて心配そうに笑った。
こんな風に考えてくれる人が近くにいる。
それだけで勇気を貰える気がした。
数日後、殿下が我が家に訪問した際に、アボットさんと親しくしていることを伝えた。すると、自分のことのように「ラシェルが気が合う人が見つかって良かった」と喜んでくれた。
そしてその会話の流れで、先日のアボットさんとの会話をそのまま伝えた。
すると真剣な表情で私の話をじっくりと聞く体勢を取る。
「確かに一理ある」
殿下は私の説明にそう呟くと眉を寄せ、難しい顔をして考え込んでしまった。
「まずは精霊が見える人たちへの働きかけをして行きたいと思います。実際にクロを見てもらえれば、危険性がないのはわかりますから」
「あぁ、そうだろうな。
実際に見た人間は精霊を見ることが出来ない者たちへも伝えていくだろう。それで良いイメージが人々に伝わることはいいことなのだろうな」
「では⋯⋯」
私が若干身を乗り出すと、殿下は私のテーブルに置かれた片手を殿下の大きな手でギュッと握った。
そして力の入った真剣な瞳でじっと見つめられる。
「だが⋯⋯もう君を失いたくない」
「殿下⋯⋯」
「あの時の、君がアロイスに拐われたと聞いた時のこと。正直、あそこまで肝が冷えたのは初めてだったよ。
だからこそ、君を守りたいが為に慎重になり過ぎていたことは認めるよ」
殿下は握りしめていた私の手を今度は両手で優しく握り直す。
「殿下、ありがとうございます。いつだって貴方は私を守ってくださっています」
「あぁ、勿論これからだって守ってみせるよ」
だが私たちが動く前に、見計らったかのように学園内に噂が広まった。
その噂というのは、私が闇の精霊と契約したこと。そして闇の精霊が邪悪な存在ではないか、というものであった。
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