表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/221

89

「何故……」


目の前にいるカトリーナ様は、最後に学園で会った時よりもやつれて見える。艶を無くし結う事もなく無造作に下ろされた髪を振り乱し、目の下にはくっきりと隈を作っている。数か月ぶりに会った彼女の瞳は、以前の輝きを失い暗く濁って見える。


まさか……。


今のカトリーナ様の姿からは、以前の艶のあるブロンドをきっちりと巻いて、しっかりとメイクをし、いつでも姿勢を伸ばして扇子を優雅に扇いでいた姿があったとはとても想像もつかない。


これが本当にあのカトリーナ・ヒギンズ侯爵令嬢なのであろうか。



私の思考を知ってか知らずか、目の前のカトリーナ様は以前のような微笑みを浮かべようと口角を上げている。だが、その姿は変わりきったものである為、現実感のないものに見える。



「あぁ! あなたに会えるのを楽しみにしていたのよ」

「カトリーナ様……」

「私ね、あなたに謝っていただかないといけないと思うの。だってそうでしょう? いきなりお兄様に修道院に入れられて、毎日毎日この私に水仕事だの掃除だの……使用人の真似事をしろと言われたのよ? おかしいわよね。だって、私は殿下の婚約者になる筈なのに。未来の王妃なのに。殿下も会いに来てはくださらないの。おかしいわよね。

ねぇ、あなたのせいなのでしょう? 殿下が私に会いに来てくださらないのも。私がこんな屈辱的な扱いをさせられているのも」

「カトリーナ様」


カトリーナ様は息継ぎも分からない程の早口で捲し立てる。その姿はまさに狂気染みていて、以前の令嬢としての姿を感じる事は出来ない。


まるで、これでは。心が……壊れているようではないか。


あのプライドの高いカトリーナ様が。

いつも凛とした、綺麗な微笑みを絶やさなかったカトリーナ様が。


今は口元だけは笑みを浮かべながら、その口から止まることなく《未来の王妃》《殿下の婚約者》と何度も何度も口にしている。

きっとそれは、カトリーナ様の信じる全てだったのだろう。



彼女は殿下を心から好きだったのだろう。

その方法が合っていたとは思わない。だが、前回の生において、私が望んだのはその立場だけ。だが、カトリーナ様が望んだのは殿下自身だ。今も過去も、彼女が何よりも欲したのは殿下の一番側にいられる場所だったのだろう。



カトリーナ様が殿下を望む気持ちは私には痛い程分かる。

私だって、殿下の事を心から愛しているのだから。

それでも、殿下の気持ちを無視し、殿下の側にいることだけが全てで、それだけが王妃の価値だと考えているカトリーナ様を理解することは出来ない。



私にとって殿下を愛するということは、殿下を尊重する事。

彼が大切にするものを一緒に慈しみ、大切に守り、そして彼の幸せを願うことだと思うから。

殿下の心を無視した押しつけのような愛は、私には到底受け入れることが出来ない。



「あなたがいけないのよ。あなたが私の思い通りにならないから」

「私はカトリーナ様の人形ではありませんから。殿下もまた、カトリーナ様の心を埋める道具などではありません」

「あなた! 私に何ということを!」



殿下への気持ちを否定されたと感じたのか、カトリーナ様の暗い瞳の奥に私に対する強い憎悪の炎が宿る。

だが、その視線を真っ直ぐに見据え、一呼吸置く。すると、戸惑う自分とは裏腹に頭の中はクリアになり、徐々に冷静さを取り戻す。



「カトリーナ・ヒギンズ。あなた、今ご自分が誰に剣を向けているのか分かっていますか?」



私の言葉に、カトリーナ様は虚を突かれたように表情を固まらせ、「は?」と声を漏らす。

それは、まさか私に反論されるとは思っていなかったかのようだ。



「私はラシェル・マルセル。

この国の王太子殿下の婚約者。つまり、あなたが剣を向けている相手の後ろには王家がいるということを理解していますか」

「何を……何を……」

「あなたのその行動により、ヒギンズ侯爵家が今後どうなるのか。それも分からないあなたではないでしょう」



ヒギンズ侯爵家。

その言葉にカトリーナ様は、肩をビクッと揺らせる。まるで、何かに怯えるように視線を揺らめかせた彼女は、「でも、これは……」と口をもごもごと動かすが、何を呟いているかは分からない。



自分でも信じられないほど、淡々と、冷たい言葉が口から次々に出る。

今までの自分では、とても彼女に言い返すことなど出来なかっただろう。

だが、今は違う。自分に向けられる悪意さえも自分で払えないようでは、この国の王妃になどなれる筈も無い。



憎々し気に私を見ていた視線がフッと外れるのを見て、もう一度カトリーナ様へと向けた目に力を入れる。



「しっかりなさい! カトリーナ・ヒギンズ。

あなたがすべきことは私に剣を向けること? 自分の状況をしっかり目を開けて見なさい」



初めての友人である彼女の言葉を全て鵜呑みにし、信じていた私。

裏切られたと感じてから、彼女の事を思い出したくもないし、関わり合いたくもないと感じていた。

それでも、彼女への僅かに残っている友情。



私が殿下の婚約者に選ばれる前の彼女との小さい時の楽しい思い出が、僅かな希望を見出してしまう。

どうか、どうか彼女が正気になりますように、と。



私を憎むでもいい。

恨むでもいい。


それでも、彼女が生きる気力を見つけて現実を見ない事には、自分の行動を見直さない限りは、カトリーナ様は一生暗い場所に居続けなければいけなくなるだろう。

そして、今私に剣を向けた姿を騎士は必ず報告するだろう。そうなると、今後カトリーナ様やヒギンズ侯爵家は今よりも状況が悪化することは明らかだ。



それでも、どうかカトリーナ様が私を憎んででも、昔のような凛とした美しい侯爵令嬢であった彼女に戻ってくれないか、と考えてしまう。




私の言葉にカトリーナ様は、ふと真顔になる。

ごっそりと表情の抜けたカトリーナ様からは、私への怒りに燃えた瞳だけが向けられる。

「何ですって?」と小さく呟かれた声と共に、私へと突き刺さらんばかりに射貫く視線。そして同時に、短剣を持った手に力が入る。



「あなたさえいなければ……あなたさえいなくなれば!」



そうカトリーナ様が叫んだ、その瞬間。



「ラシェル嬢、私の側から離れないようにしてください」

「はい」


レオニー様が背中越しに小声で私へと伝えた指示に、同じく小さく返事をする。

そしてカトリーナ様が一歩足を前へと出そうとしたその時。



ロジェが風を切るようにカトリーナ様目掛けて走り込み、カトリーナ様の持っていた短剣を足で蹴り飛ばす。

短剣はそのまま地面へとカランっと音を立てて落ちる。するとすかさず、ロジェはその短剣を踵を使い後ろへと飛ばす。その短剣は地面を滑るように流れ、私の方へと向かう寸前にレオニー様が足で止めた。



短剣が奪われた驚きに目を見開くカトリーナ様が瞬きをする暇も無いままに、ロジェはすぐさまカトリーナ様の後ろへと回り込み、両手首を後ろで重ねるように己の手で拘束し、膝を折らせて動けないように体で押さえつけた。



あっという間の出来事に、私は何も言えずにその光景を茫然と見ていると「七十点」と、レオニー様がボソッと呟く。それにカトリーナ様を拘束しているロジェが「はい」と気まずそうに頷いた。



七十点? なんの話だろうか、と疑問に感じたがとても口を挟む状況ではない為その疑問は心の中にとどめた。

レオニー様は足で止めていた短剣をサッと手で取り、剣先をカトリーナ様とロジェの方へと向ける。


「もっと早く動け。ラシェル嬢に怖い思いをさせる時間は最小限にしろ」

「……精進します」

「さぁ、お嬢さん。どうやって修道院を抜け出したのか教えてもらおうか」



レオニー様はいつも通りの落ち着いた声でカトリーナ様へと問いかける。対するカトリーナ様は、ロジェの腕から抜け出そうともがいており、視線だけは未だ私を憎々し気に見つめ、「許さない! 返せ!」と何度も大きな声で私を詰る言葉を吐いている。



彼女の吐く言葉、そして暗く濁った瞳は、彼女の過ちのせい。それはそうなのだけど、一度は友人と思っていた人物の変わり果てた姿に、目を背けたくなる。

だが、彼女の姿を。彼女の怒りを真っ直ぐに見なければいけないとも思う。


これは、私が過去をやり直した結果。

その結果、彼女はこの道に進むしかなかったのだろうと思うから。



カトリーナ様は騎士であるロジェに抗う術など無い筈であるのに、それでも私への殺気を隠すことなく未だ「殺してやる!」と叫ぶことを止めない。



人の悪意とは、こんなにも直球に胸に刺さり、言葉や視線だけでこんなにもえぐられるような痛みを伴うのか。

カトリーナ様が投げかける言葉のひとつひとつが、胸へと突き刺さる。

貴族として嫉妬や悪意には慣れていたと思っていた。それでも、こんなにも直接向けられる悪意は初めてのことで、ふらつきそうになる足を何とか踏ん張り、唇を噛み締める事で自分を保つ。



彼女は、その腕で、その足で。

私を殺すために来たのだ。そのためにこの場にいたのだ。


剣を向けられていた時には感じなかった恐怖が、今言葉によりその事実を明確に突き付けられた思いがする。


すると、徐々にこの場の景色さえ違ったものに見えてくる。



赤く染まった街並み。


カトリーナ様。

ロジェ。

レオニー様の背中。


ゆっくりと視線を動かし、最後に目に入ったもの。




それは、レオニー様が持つ短剣。

夕日の光に銀色が反射するのが見えたその瞬間、あの時がフラッシュバックする。



馬車と賊の持つ松明の灯りに照らされた鈍い光を反射した銀色。


私の胸を貫く光。


私を殺す光。




――ドクン



胸が大きく鳴った次の瞬間、ズキズキと頭が響き割れるような痛みが襲う。




頭を両手で抱えるように抑え、痛みにより自力で立っていることが出来なくなった私はその場に膝をつく。

次の瞬間、レオニー様が驚いたようにこちらを振り返り私へと駆け寄った。



「ラシェル嬢!」


だが、その姿を見たのも一瞬。

ガンガンと割れる痛みは増すばかりで、目を開けている事さえ出来なくなった。



私の胸元で魔石が淡く光ることに気づく事もなく、私の意識は暗闇へと沈み込んだ。


ブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
★書籍版公式ページはこちら!!★
書籍、電子書籍共に7月10日発売!
★重版御礼! コミックスも1~3巻発売中!★

逆行した悪役令嬢は、なぜか魔力を失ったので深窓の令嬢になります6
― 新着の感想 ―
[一言] ラシェル強くなったなぁー カトリーナ…執念を感じますね。
2020/02/17 22:41 ひろさん。
[一言] え、急にどしたん
2020/02/17 20:50 セフィール
[一言] 罪と罰 魔力を失うことが罰ならば…
2020/02/17 20:24 退会済み
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ