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それは、レポート課題をAIにやらせようとしたことから始まった。

 「本を書いてみたらどうだ?」

 ――2024年3月14日、情報処理学会の学会誌で取材を受けた帰り道。その取材を担当してくださった先生が放った一言が、私の新たな道を拓く引き金となった。

それから9ヶ月。私は、2025年1月11日にようやく本を出版することになった。


https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/24/12/05/01757/

ここまでの道のりは長かった。 振り返ってみると、この1年、私が進む道はすべて茨の道だった。 “普通の人生”を送っていれば不必要な苦労の連続だ。 
ソフトウェア開発、論文の作成、著書の執筆――私は、これらを誰かから教えて貰うのではなく、トライ・アンド・エラーで身につけた。

実は私は、「努力を長期的に継続する才能」がない。

  • 反復練習が嫌いなため、受験や試験勉強をしようとすると病んでしまう。

  • 周りが行っているような、「将来のための努力」をする人の気持ちがわ分からない。

  • ルールや規則を突きつけられたら遵守するより回避することを考えてしまう

でも、この考え方が、今の私を作った。
世の中の価値観や常識を無視して直感を信じられたのは、私が怠惰だったからだ。

もし私が、勤勉でルールに従順な、いわゆる高学歴エリートであったのであれば、1年で生成AIに3,000時間を費やし、既存のやり方に挑戦を突きつけるような、今の私は生まれなかっただろう。

世の中で求められている資質が、あらゆる場面で優れているとは限らない。

サボるために全力を尽くすのが私の使命

 2023年4月、大学4年の春学期が始まってすぐの頃。私は授業でChatGPTという対話型AIに触れ、「これで宿題をサボれるのでは?」という不純な動機から使い始めた。

私には、継続的な努力や反復練習に強烈な苦手意識があり、周囲がコツコツと積み重ねている勉強時間を、いかにして短縮できるか考えるタイプだった。
 
普通のルールや常識に従うより、抜け道を探してしまう――そんな怠惰さが、実は私の最大の武器になるとは当時思っていなかった。

 ChatGPTとの出会いを機に、私は少しずつ「効率的な学習」と「高速な試行錯誤」の価値に気づいていく。

 レポートを自動生成するというズルい試みは、なんとなく行ったわけではない。世の中にあるニュースから論文まで遡って検索し、何千回ものトライ・アンド・エラーを経て、300時間以上かけて方法論を練った。

「スピリット・インジェクション・メソッド」―― 当時の私が名付けた、宿題のレポートの半自動生成方法は、世の中にある生成AI検知方法を潜り抜け、高品質なレポートを作成する方法へと成長した。

その後授業中に暇でChatGPTと話していたらオセロができたことで先生に学会で発表することを勧められた。

そこで発表した内容は、「授業中に隠れて作っていたオセロ」の作成方法だった。

学会の発表経験のなかった私は、ChatGPTと相談しながら試行錯誤し、「スピリット・インジェクション・メソッド」を論文や学会資料作成もできるように改良して作成した。

私は、こんなふざけたものを発表したら学会の偉い人に怒られるんじゃないか、と思いながらも、どうせもう二度と参加することもないし、と思い、行ったことを詳細に発表することにした。

しかし、結果は想定とは全く違った。この発表により、2023年の「ネットワークソフトウェア若手研究奨励賞」を取得し、更には2024年1月の電子情報通信学会・情報ネットワーク研究会における招待講演ももらった。

今でこそ私のChatGPTのスキルを買われ、ハンガリーに出張したりしているものの、当時の私はただ「宿題をサボりたい」というたった一つの不純な動機のために行ったものだった。

やがてプログラミングにも応用可能だとわかり、私はある大胆な挑戦を思いつく。

#100日チャレンジ ――未知領域へのイテレーション

 2023年10月、私は「#100日チャレンジ」に挑むことを決意した。きっかけは、招待講演での発表が控えていたことだった。当時の私は少しChatGPTを触っただけの、ソフトウェアエンジニアとしては初心者もいいところ。学会で細部までじっくりと見られたら、現状のスキルではボロが出るのは確実であると感じたからだ。

 「毎日1本アプリやゲームを作って、プログラミング力を強化しよう」――それが#100日チャレンジの発想だった。

 このチャレンジは、単に作業量をこなすだけではない。その本質は「イテレーション(反復と改善)」だ。毎日新しいものを作り、SNSに投稿することで、すばやくフィードバックを得る。完成度ではなく回転率を重視するこの方法は、短期間でのスキル獲得には最適だった。世の中に既成の手法がないなら、自分で最速の学習法を編み出せばいい――それは、後の著書の執筆にも活きる“学習指針”となる。

 2024年2月、100日間の挑戦を終えたとき、私は確かな自信を手にしていた。大学の教授から評価され、海外論文を認められ、ソフトウェアエンジニアとしての内定まで獲得できるほどに、実力は飛躍していた。

そしてこの挑戦はASCIIさんで紹介される。

取材、そして執筆へ

3月14日、私は情報処理学会の学会誌での取材後、記者として関わっていた先生から、こう言われた。

 「本を書いてみたらどうだ?」

 私は当時、文章を書くことが大嫌いだった。レポートでさえChatGPTに任せようとするほど、長文を書くのは苦痛だった。でも、周囲は「ぜひやるべき」と後押しする。先行き不透明だったが、やることを探していた私は、これを書くことに集中するべきという直感を信じることにした。

4月5日(金)、まだ私が勤め先の会社に入って5日目だった頃。
私は会社で退屈な新人研修を白昼夢で受けた帰りに、出版社に立ち寄った。
その後、5月17日(金)に企画が通り、5月26日(木)から執筆に取り組むこととなる。

初めての執筆

企画が通り、いよいよ執筆が本格始動したのは初夏のことだった。しかし、その瞬間から私を待ち受けていたのは、未知の困難だった。これまで私は、文章を書くことそれ自体を本能的に嫌っていた。短いレポートですら、ChatGPTに任せてしまうほど。にもかかわらず、今回ばかりは「生成AI頼み」が禁じられている。何千字、何万字という文章を、自分の頭と手だけで紡ぎ出さなければならない。その重圧は、私にとってほぼ拷問に等しかった。

 そもそも、小説や長めのノンフィクションを読んだ経験すら多くない私には、「物語の構成」「読者を惹きつける描写」「ストーリー展開のセオリー」といった基本的な素養が欠けていた。そこに気づいたのは、実際に文字を綴り始めてからだ。書けば書くほど、何が正解で何が間違いなのか見当もつかないことに気づく。コマンド一つでエラー箇所を教えてくれるプログラム開発とは違い、執筆では「何が悪いか」を自分で発見する必要がある。ゴールのない迷路に、一人で放り込まれたような感覚だった。

 初稿が固まったのは8月末、全体の企画が通ってから数ヶ月が過ぎていた。しかし、その初稿は見るも無惨なものだった。構成はバラバラ、文章表現は稚拙、読者を想定した配慮もほとんどない。自分なりには血を吐く思いで書いた原稿ではあったけれど、自分でも「これはちょっと……」と思うほどだった。

 編集者からは、私が書いたストーリーの各章の最後に、「解説」を入れたらいいのではないか、という案も出されていた。そう、編集者からも、最初から私の文章がきちんと「読める」ような代物になるとは思われていなかったのだ。

 没になったファイルは山積みになり、ファイル名すら区別がつかなくなるほど。その光景は、かつての「#100日チャレンジ」で作った未完成アプリの断片とも似ていたが、プログラミングとは違って何を直せばいいのか確信が持てない。心は折れそうになり、自信は急速に失われていった。

実際のフォルダのスクリーンショット

書き直しを経て

9月に入ると、私は本腰を入れて「書き直し」に挑むことになった。ここで大きな支えになったのが、指導教員である伊藤先生の存在だ。伊藤先生は、私が「#100日チャレンジ」を行っていた頃から、そのプロセスを間近で見守り、私が何を目指し、どんな試行錯誤をしてきたかをよく知っていた。彼は週に3回、朝の8時30分ごろに必ず電話をかけてくる。リモートワークのおかげで10時30分に起きれば間に合う私にとって、8時30分の着信は、正直、鬱陶しいモーニングコールだった。

 「この表現じゃ、読者には伝わらない」「ここは、なぜこうなっているかがわからない」といった口頭でのダメ出しが、眠気眼の私の耳に飛び込んでくる。電話が終わるころにはGoogleドキュメント上にもコメントがいくつか追加されており、そこにはさらに詳細な指摘が並ぶ。負担に感じることもあったが、毎回のフィードバックが私に「何が足りないか」「どう直せばよいか」を明確に示してくれる。そのおかげで、ただ闇雲に書き直すのではなく、改善の指針を持って筆を進めることができた。

 こうした日々の修正作業は、まさに#100日チャレンジで培った反復と改善を執筆作業に応用したものと言える。プログラミングにおいては、小さなプロトタイプを作り、テストし、フィードバックを得て、再度改善するという工程を繰り返すことで、高品質なソフトウェアが生まれる。同様に、文章執筆でも「書く → 見せる → 指摘を受ける → 書き直す」を繰り返すことで、少しずつ精度が高まっていく。

 当初はほぼ全滅だった修正指示も、何度も書き直しを繰り返すうちに、編集者から「上手になってきましたね」とポジティブな評価が返ってくるようになった。特に、最初に書いた0章が9月上旬に仕上がって以来、2週間おきに1章ずつ書き進めていくうちに、文章は徐々にこなれていく。後半になるにつれ、構成や表現に最初から工夫が施されており、改善のスピードも上がっていった。また、品質が上がっていくことで、編集者からは、「解説」を書く必要はないだろう、といってもらえた。

 特筆すべきは、「書き直し」という言葉が生ぬるいほどの徹底的な再構成だ。当初の初稿を少し修正する程度ではなく、ほぼすべてを書き直す経験を通して、私は段々と「文章を書く」という行為そのものを習得していく。キャラクターの行動原理を明確に示し、ストーリーの流れを読者目線で整理し、不要な情報はカットする。これらは、最初のうちはまったく意識できなかったことばかりだった。

 ここで大きな助けとなったのが、私が100日チャレンジ中に積み上げた膨大な「記録」資産である。300ページにも及ぶメモや日記、報告書が、そのまま構成材料として活用できた。プログラミングの実践記録や成果物の変遷、日々感じたことや学んだことが、まるでストーリーの舞台裏を支える資料集のように活きてくる。私はこの素材の中から「物語性」を抽出し、章立てに組み込み、読者に示すべき要点を整理していった。

 こうして、9月から始まった本格的な「書き直し」の日々は、#100日チャレンジでの試行錯誤経験と、伊藤先生や編集者からの厳しくも的確なフィードバックを糧に進行していった。何度も何度も修正と改善を重ねた結果、私の文章は少しずつ形になり、読めるものと変貌していく。そのプロセスは、かつてレポートを半自動生成したり100日チャレンジをしたりする数千時間もの経験により身につけた「高速な反復と改善」という武器によって支えられていた。

おわりに

 ようやく迎える出版の日、2025年1月11日。私にとっては長いようであっという間だった1年半が、ようやく形になる瞬間だ。サボりたいという不純な動機から始まり、思わぬ方向へ突き進んだ結果、私自身がここまで変わるなんて想像していなかった。

 「何かに挑戦してみたいけど、何から始めたらいいかわからない」「反復練習なんて退屈で嫌い」「常識にとらわれず効率よく成果を出したい」――そんなふうに感じている人がいたら、ぜひ私の物語を読んでみてほしい。誰もが苦労をしないといけないわけではないし、“努力嫌い”だからこそ切り拓ける世界もあるのだと、少しでも伝われば嬉しいと思っている。

 正直、本を書く作業は何度も挫折しかけるほど大変だった。でも、その過程で得た学びやスキルは、きっと「あなた」にとって何かしらの財産なるはず――だからこそ私の周りの人たちは「本を書いてみたら」と背中を押してくれたのだろう。そして、私もそこに賭けてみて、「#100日チャレンジ」と同様、最後までやり遂げることができた。

 もしあなたが「自分にしかできないやり方を、ワクワクしながら見つけたい」と少しでも思うなら、ぜひ本書を手にとってみてほしい。本書で私が赤裸々に書いたように、失敗してもいい、遠回りしてもいい、常識外れだと言われてもいい。自分の感覚に正直に試行錯誤すれば、思わぬ形で道が拓けるかもしれない。

 何より、そんな私の小さな“挑戦と失敗の軌跡”が、あなた自身の行動を後押しする材料になれたら――それ以上の喜びはないと思っている。

 ご興味を持ってくださった方は、ぜひ1月11日発売の本でその全貌を味わってください。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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(紙の本の場合、大手ネット書店では1/11ごろから発送が始まる予定です。同じころ都内大手書店の店頭に本が並び始める予定です。全国の書店さんでは1/11ごろから「順次」発売となります。)

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Ami
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