鳥が飛んでるのは空じゃない、と言った友達
202X年の春。私は、何もかも消沈していた。
食欲消沈。仕事消沈。ぜーんぶ消沈。自分だけの話じゃないので詳細は書けないんだけど、とにかく意気消沈祭。もういっそ、私ごと全部消沈してしまえ。そんぐらいのテンションだった。
ある日、仕事仲間のYさんが、心配して連絡をくれた。
「まずは息抜きに、小田原へ行きませんか?
友達がやってるいい宿があるんですよ」
「行きます」とすぐに返事し、夜行バスを予約。Yさんと会って喋りたかったし、行ったことのない、私のことを誰も知らないまちに行きたかった。
朝、小田原に着いた。
駅前の「ケルン」という喫茶店で待ち合わせ。おばあさんが作り、おじいさんが運んでくれるミルクセーキが絶品らしい。もちろん頼む。Yさんはコーヒー。「これも絶品なんだよ」と、朝からナポリタンも食べていた。
ケルンのミルクセーキは、本当に絶品だった。バニラ味たるもの、ハーゲンダッツのアイスクリームが一番だと思っていたけど、これは超えてしまったかもしれない(ハーゲンダッツ使ってたらおもしろいけど)。
ケルンをあとにし、潮の香りに誘われながら、Yさんと15分ほど歩く。トンネルをくぐると、海に出た。Yさんは少しの間、私を一人にしてくれた。私は一番高い岩によじ登って、波を見ながらボーッとした。
宿へ向かう時間になった。案内されたのは、「Tipy records inn(ティピーレコーズイン)」というところ。宿だけど、おうちみたいな感じ。
まもなく「ようこそ〜」と宿主の声。まるで、世界中のいい人を100人集めて100で割ったような佇まいの人が出てきた。名前は「コアゼ」さん。そして、パートナーの「アサミ」さん。
「どうぞどうぞ」と言われて入ると、居間のような場所に、人が集まっている。宿泊者……にしては仲良さそう。人の多さに少しそわそわしていると、Yさんが「みんな、あなたの味方ですよ」と言った。知らない人を味方と言うのは、いつもなら少し不思議な表現だけど、この日の私にとっては、とても信じられる言葉だった。
コアゼさんが言う。
「ここは『ラウンジ』です、うちの心臓部分みたいな場所です。今からティピティピランドを作るんで、その作戦会議してるんですよ〜」
ティピティピランド……それが何なのか全くわからない。けど、誰が口にしても、楽しい気持ちになりそうなリズムの言葉だな、と思った。聞けば、宿に来た人達が集える庭を、まちのみんなで作ろうという計画らしい。で、その仮名称がティピティピランド、ということだった。
ついていくと、デッキを組んだり溶接したり、結構本格的。私も手伝ってみる。けど、まちの人達が愉快すぎて、笑ってトンカチに全然力が入らない。戦力外だった。
「ただいま〜」と声がした。小学生の女の子が来た。
私が名前を言って挨拶すると、「マホです」と彼女も名前を教えてくれた。コアゼさんとアサミさんの娘さんだった。そしてそのまま、「あのさー」と急に学校での出来事の報告が始まった。マホちゃんの話、3人くらい私の知らない人が登場してたけど、「ふん、ふん」と聞いてみた。
子どもってたまに、初対面の相手にも、ずっと知り合いだったかのようなテンションで会話が始まるの、とても面白い。ハマってる動画や漫画が重なってたこともあり、マホちゃんとはすぐ、友達になった。
ランド作りの休憩中、マホちゃんは、脚立の周りをぐるぐる回りながら、私にいろいろ質問してきた。「犬が好き? 猫が好き?」とか、「最近おすすめのコンビニのお菓子は?」とか。私も、脚立の周りをぐるぐる回りながら、答えた。
一通り答えると、「じゃあ交代! 次はマホに質問して」と彼女。私はなんとなく上を見上げて、「空はどこからが空だと思う?」と聞いてみた。
「えっ何それ。クイズ?」
「いや、ほんまにどこからなんかなーと思って」
マホちゃんは、脚立の1段目にのぼって「鳥が飛んでないところからが空だと思う!」と言った。
斬新な回答に、じゃあ鳥はどこを飛んでいるのかと聞いてみた。マホちゃんは、もう1段のぼり、「私達がいる空間と、同じところ」と言った。
マホちゃんがどんどん上にのぼっていくので、私は慌てて脚立の脚を押さえる。そして、てっぺんの足場をまたぐように座り、彼女は「よし。これで、ちょっと空が近くなった〜」と言った。マホちゃんと、もっと仲良くなりたいなと思った。
そのあと、マホちゃんはアサミさんに声をかけられ、「ちょっと1回、部屋に戻る〜」と言った。お風呂か何かを済ませてくるらしい。「おうち、近いの?」と聞くと、「うん、近い。っていうかまあ、ここもおうちみたいな感じ?」と言いながら、軽快に去っていった。
アサミさんに聞くと、家は近くにあるけれど、1日の大半を宿の中で過ごしているし、宿題や食事は宿のラウンジで行うことも多いそうで。暮らしの場所が、宿やその周りにも点在している、とのこと。
なるほど。それは極論、マホちゃんちの間取りを書いたら、小田原のこのあたりの地図になるということなのだろう。彼女のベッドと勉強部屋は170m離れているし、台所やダイニングルームも、きっとこのまちに何部屋もある。まちなか全部で暮らしてる。だからまちの人達も、壁を作ることなく訪れ、ここに集っているのだろう。
昼間、マホちゃんが、鳥が飛んでいるところは空じゃなくて、私達がいる空間と同じだと言ったことを思い出し、何かが重なった。
夕方、アサミさんが「中華の出前とるけど〜」とみんなに声をかける。そして出前が届く頃、マホちゃんが戻ってきた。私もご一緒し、みんなとラウンジで、たくさん中華を食べた。久しぶりに、あんなに食べた。
食後、マホちゃんと私は「秘密基地」という名の押入れに入って、だらだらした。そのまま眠れそうなくらい気持ちがいい。
マホちゃんは「こうすると、もっといいよ〜」と、でっかいくまのぬいぐるみを貸してくれた。ほんとに寝落ちしそうだったので、そろそろ泊まる部屋に移動した。部屋の案内は、マホちゃんがしてくれた。
翌朝。起きると、マホちゃんはもう学校へ出かけていなかった。
私は、くまと二度寝して、昼前まで爆睡してから、自分の住まいに戻った。
・・・
3年後。
私はある目的で、また小田原にやってきた。
ミルクセーキが絶品の喫茶店「ケルン」に入る。今日はYさん、いないけど。
宿泊先は、「Tipy records inn」。コアゼさんとアサミさんにも、久々に再会。ただいま。
変わらない2人。だったけど、変わっていることもあった。
ティピーから、ラウンジがなくなっていた。みんなで中華を食べたあの場所が、マホちゃんと遊んだあの押し入れが、なくなっていた。そして、みんなで作った「ティピティピランド」も、なくなっていた。
アサミさんに聞くと、ラウンジがあったところが、立ち退きになってしまったらしく。急な決定だったそうで、私も全く知らなかった。
アサミさんからいろんなエピソードを聞き、ティピーのスタッフ、訪れる人達、まちの人達、そしてマホちゃんにとって、いかにティピーのラウンジが大切な場所だったかを、改めて知る。
「でもさ、やっぱりなくしたくないから、このまちでまた場所を借りて、もう一度作ろうと思ってんの。で、どうせなら今度はもっとパワーアップして……」
アサミさんは、かつてラウンジにあった家具や荷物を押し込んだ物置部屋で、何十枚もある設計図を見せながら、構想を語ってくれた。物置部屋の柱には、3年前の私が、ラウンジの壁に貼って帰った手紙が、飾ってあった。
「ただいま〜」と声がした。マホちゃんだ。マホちゃんが学校から帰ってきた。めちゃくちゃデカなっとる。すごく、大人っぽくなってる。
「うわー、久しぶり!!」
「久しぶり〜」
そして彼女はスッと隣に座り、3年経つのに、先週も会ってたんか? ってくらいのリズムで「あのさー」と急に話が始まった。
やっぱりマホちゃん、変わらなかった。
物置部屋でごろごろする私達。ふと、マホちゃんが「海、行く?」と言った。今回は小田原について、ケルン行って、その後そのままティピーに来たから、まだ海は見ていない。「うん、行きたい」と答える。
潮の香りに誘われながら、15分ほど歩く。トンネルをくぐって、海に到着。3年前と同じ光景が広がる。
マホちゃんが「石、集めよう〜」と言った。それぞれ、直感で「いいな」と思った石を拾い集めていくことになった。
そういや、前回来たときも石を拾ったような……スマホのアルバムを見返すと、やっぱり。写真が残っていた。
「え! 今日選んでるのと全然違う色!」マホちゃんが驚いている。私は、「あの日はこれが綺麗やと思った。で、今日はこれが綺麗やと思った」と選んだ石を見せる。マホちゃんは「ふーん、変わるもんだね〜」と言った。
せっかくなので、3年前に座った岩山の同じところに座り、ボーッとしてみる。すると、マホちゃんもよじのぼってくる。
正直なところ、前回の消沈状態でこの海に来たときは、このまま飛び込んじゃいたいなあ、と思っていた。でも今日は、隣にマホちゃんがいるなあ、このあと何して遊ぼうかなあ、と考えている。
マホちゃんに、少しだけその話を打ち明けてみた。するとマホちゃんは「そっか〜」と言ったあと、にやにやしながら「じゃあ、今から飛び込む?」と言った。
そして、岩山から降りた私達は、腕を組んで海の中へ。まだまだ冷たくて、結局、膝までくらいだったけど。
ティピーに戻る道のり、海に入ったからか、私達はだいぶテンションが上がっていた。
わざと遠回りしながら、いろんなところを通ってみる。3年前もこの辺りを散歩したはずなのに、今回のほうが、とてもよく街が見える。気になるお店、また来たいところもどんどん増える。
マホちゃんは、「あれ何? 行ってみたい」「この看板、なんか可愛い」とはしゃぐ私の姿を、「撮ってあげる!」と、ずっとスマホで追いかけてくれた。私も、マホちゃんをたくさん撮った。
物置部屋に戻り、一緒に写真を見返す。アップしたいな、でも私今回、化粧もなんもしてないなあ。まあ、それだけ肩の力が抜けているということなんだろう。するとアサミさんが「あるあるなんだよね、それ」と言った。
「みんな最初は綺麗にして小田原に来てくれるんだけどさ。ティピーにいると、2日目、3日目には、すっぴんになってテキトーな服になる。んで、盛れないし映えないから、写真撮ってあんまりアップされないし、拡散もされない。だからうち、永遠に流行んないの。笑」
そして、「でも、ティピーがそういう存在になれてるんなら、すごい嬉しいよねえ」と続けた。ここは、私の他にもたくさんの人を、素顔に戻してきたんだろう。
さっき私は、「ある目的で」小田原を再度訪れたと書いたけど、その目的は、この文章を書くこと。3年経った今、感じることや見えた世界を、こうして書き留めておきたかったから。
そして、アサミさんは「あんまりアップされないの」と言ってたけれど、この文章がいつか訪れるかもしれない、知らない誰かの素顔につながれば、という祈りを込めて、ティピーに贈りたかったから。
自宅までの帰り道、これを書きながら、もう一度スマホのアルバムを見返す。並んで撮った写真、とてもいいな。うん、やっぱりマホちゃんは、だいぶ背が伸びている。
伸びて、拓けて、もっと空が近くなっている。
・・・
……さて、エッセイはここで一旦おしまいです。冒頭に書きましたが、この文章は「Tipy records inn」に贈るエッセイです。
文章には主に、Yさん、コアゼさん、アサミさん、そしてマホちゃんしか登場していませんが、実際にはたくさんの人達が、私を助けてくれました(本人達は、「助けた」とは思ってないかもだけど)。なので、この文章はその人達への、お礼の手紙のような気持ちで書きました。
そんな特定の人達に宛てたものを、何故noteで……? の理由は、彼らが今、こんな挑戦をしているからです。こういう場所があること、こういう一家がいることを今、知ってほしいタイミングだったからです。
実を言うと、私はもともと、何かを応援することが得意ではなくて(好きではある)。でも、このクラウドファンディングは、もちろん応援でもあるんだけど、タイトルにあるように「遊びにきて!」とか「一緒に船に乗ってみない?」っていう “お誘い” みたいだな、と感じてます。
あるいは、いつか自分が「助けてくれィ!」ってなる日に向けた回復チケット、かもしれない。もはや自分への応援、かもしれない。だから、過去の私ごと、未来の私ごと、私はめいいっぱい、ティピーを応援しています。
改めて。
ティピーは、自分が生きてくために必要だった、大好きなまちの、大好きな場所です。大好きな大好きな家族です。コアゼさん達のものがたり、読むだけでも面白いから。ぜひ、ページを覗いてみてください。
【おまけ】
小田原の喫茶店「ケルン」のミルクセーキ、本当においしすぎて、帰ってからミルクセーキのレシピ調べて、2種類のバニラアイスで実験した。ひとつはハーゲンダッツ。もうひとつはスーパーカップ。
結果、スーパーカップのほうが、ケルンの味に近くなったよ。ケルンが好きな人いたら、やってみてね。じゃあね。