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ポスト・テレビゲーム

本日は、ゲーム産業の未来をテーマにお時間をいただいております。
私見では、過去40年と今後とはやや不連続ですが、一貫する本質を理解しなければ将来を見失うので、時間は非常にタイトですが、あえて過去と未来、双方をお話しします。

本日の流れです。

まずはコンピュータゲームの定義。
ゲームに関する論説に手応えのあるものが少ないのは、考察対象が定義されていない事も一因と考えるからです。
次にこれまでの40年の歴史をお話しします。
ゲーム産業は、5年から10年毎に、断絶とも見えるような大変革、主役の交代を繰り返してきました。しかしながら、そうは言っても、ある流れに沿って直線的に進んできたというのが私の見立てです。
ところが、最早その流れの延長では通用しなくなったのではないか。現在は、不連続な未来への過渡期にあたると考えています。
では、先の見えない過渡期にいながら将来をいかに占うか。その点について次にお話ししていきます。
ここまでが理論編。

次に実戦編では、もう少し広くエンタメビジネスとして捉えた時の留意点について述べます。

最後に、以上の考察を踏まえて、現在のトピックスについて言及します。お勧めの戦略を述べるわけではなく、理屈から言ってこのような事が指摘できるとの観点でお話しします。つまり、本日講演の有用性のチェックですね。


定義

最初に考察対象について。
私は、ゲームとは、ルールを基礎とするエンタテインメントであると定義します。
遊び、レジャー等まで含めての議論が見受けられますが、これでは焦点がぼけます。カイヨワ、ホイジンガもよく引用されますが、ゲームについてのインプリケーションはなかなか引き出せないと思っています。
なお、エンタテインメントの定義は神学論争になりますのでここでは触れません。米国最高裁の判決文を引きます。
「ポルノ写真の類について、どういうものを規制すべきか、法で定義して決めるのは難しい。しかし、見ればわかる」
鮮やかな切り返し。そう、皆さんエンタメって何かわかりますよね。
ルールの絡み方について少し補足します。
グルメはエンタメですが明らかにゲームではありません。ところが、フードファイト、一流芸人判定となるとゲームになります。旅行もそうですね。スタンプラリーや、大陸横断レースはゲームです。
さて、本講演の対象は、コンピュータゲームです。
ここで、コンピュータゲームとは、コンピュータによってルールが関連付けられるゲームと定義します。
アルゴリズム、パラメータ変化がゲームのルールそのもの、あるいはルールに重要な関りを持ちます。そもそもゲームの世界はコンピュータによって実現するため、その世界での神羅万象は全てコンピュータで制御されている事になります。
ルールを形作るところのコンピュータが確実に進歩していくため、いつの時代でも新鮮な体験を提供できるところが、コンピュータゲームの素晴らしい特色です。今後の成長に確信が持てるのもこのためです。
ちなみに、PC上で麻雀を打ち、面倒な役の計算もコンピュータに任せるのは厳密にはコンピュータゲームではありません。実際のゲームをそっくりそのまま、コンピュータという通信機器+「役」の計算機として使っているだけですから。
もう一つの例。
紙の上にマスを書き、サイコロを振って双六をするとしましょう。各マスは手元のスマホに表示される内容に従うというルールにします。サイコロで3コマ進んだところ、そのマスには、参加者のハンディ計算と沖縄の一週間後の天候をブレンドした指示で「嵐のため3回休み」と表示されました。これはルールの一部がコンピュータによって制御されているのでコンピュータゲームです。
テレビゲームはコンピュータゲームの一部です。過去40年の歴史が大きく転換しようとしている今、「テレビゲーム」という言葉に染みついた様々な思い込みを一旦排除して自由に発想する事こそが、次の大きな飛躍に繋がるのだと思います。
演題の「ポスト・テレビゲーム」には、そんな思いが込められています。
これは、コンピュータゲームの原理原則の概念図です。

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テクノロジー、デザイン(コンテンツデザイン、サービスデザイン)、ビジネスモデルが三位一体で相互に影響しあいながら発展していきます。
重要なのは、矢印の方向です。
先ほどの定義から理解できるように、コンピュータのテクノロジーが起点になります。その環境の上で、デザイン、ビジネスモデルが形成され、各々が相互に干渉し合います。
コンピュータゲーム業界ではコンテンツが全てとよく言われます。
これは真実なのですが、その時代のテクノロジーが何かを見誤ると手痛いしっぺ返しを受けます。あくまでも起点はテクノロジー。
ビジネスモデルも非常に重要で、アーケードゲ―ム、家庭用ゲーム、スマホゲームが各々別のゲームデザインになるのは、端末の違いもさることながら、ビジネスモデルの違いの影響も大ですね。ユーザーのモチベーション・コントロールとマネタイズとは表裏一体だからです。

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この図は、1975年代から2015年までのゲームソフトの市場規模の推移です。
誕生以来、10数兆円の市場に成長しました。非常に興味深いのは、端末毎に地層のように堆積して市場が成長している点です。これは他産業にはあまり見られません。普通は、前世代のものは、次世代にリプレースされて消滅していきます。
コンピュータゲームだけがユニークなのは、他のコンテンツと異なり、インタラクティブだからだと考えています。
生活の場面によって使われる端末が異なります。各状況毎にゲームとの接し方が異なるため、ある端末のカテゴリーが消滅する事は無く、地層の様に堆積していくのでしょう。ガラケーがスマホにリプレースされ、また、プレイステーション(以下、PS)とXboxとが相互に代替可能というのも、この脈絡から考えれば矛盾なく理解できます。


ゲーム産業40年史

テクノロジーの観点

要約すれば、「コンピュータゲーム史は、PC、インターネットの裏面史」だったと考えられます。
ゲームは非常に複雑なアプリケーションですから、高度な動作環境を必要とします。ゲームコンソールは、一般消費者向けとしては最も過酷な要求水準を満たさなければならないマシーンだったと言えるでしょう。
3Dレンダリングは同時代のPC上位機種以上のCPU、GPUを必要とし、ゲームユーザーが満足するレーテンシーのレベルは、いかなるインターネットサービスをも凌いでいました。ゲーム機とは、その都度の一般的PCとゲームユーザーの要求とのギャップを埋める端末でした。ゲーム産業は、IT産業の特殊部隊の位置づけだったわけです。
私がスクウェア・エニックスのトップだった頃、ソニー、マイクロソフトのみならず、インテル、NVIDIA、パナソニック、サムソン、IBM、NTT、グーグル等、一見ゲームとは無関係な大企業と深く議論させていただけたのはこのためです。
ちなみにゲームは株式市場において、米国ではテクノロジー・セクターに含まれているのに対して、日本では、「その他製品」、「情報・通信」、「機械」、「サービス業」業種に振り分けられています。不遇をかこつわけです(「その他」って・・・)。
なお、異常に多様な信号入力だけはゲーム以外には利用されないため、業界内で準備しなければなりませんでした。コントローラですね。任天堂、ソニーは、入力デバイスのリーディング企業とも評価できます。
先程の40年グラフを再掲します。

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アーケードゲ―ム時代には、一タイトルにつき一つの基盤、ゲーム機が作られていました。スペースインベーダーは一台2、30万円だったそうです。そんな高価なおもちゃを買う酔狂な人はいなかったため、ゲームセンターのオペレーターが一括購入し、ユーザーから百円玉で回収するというビジネスモデルが定着しました。もっともこの頃は、PCのような汎用型コンピュータはまだ普及しておらず、ゲームに限らず、電卓、ワープロといった、機能特化のコンピュータ機器が販売されていた時代でした。その中でもゲーム機は図抜けて処理が高度でしたね。

次に家庭用ゲーム機が普及し始めます。一台のゲームコンソールで何タイトルも遊べたのは画期的でしたが、ゲーム以外の用途には使えませんでした。この時期はムーアの法則が前面に出され、16bit、32bit、64bit と、ゲーム機戦争はそのまま処理能力競争になっており、飛躍的に性能を向上させていきました。
2000年に入ると、PS2、Xbox がリリースされます。これらマシーンは、ゲームコンソールというだけでなく、DVDプレイヤーの機能も持っていました。私がゲーム業界に入る直前、春の東京ゲームショウ(当時は年2回開催)で、PS2展示ブースにおいて、(まだPS2用ゲームが完成していなかったのでしょう)ゲームよりも、映画マトリックスが目立っていたのが印象的でした。

さらに2005年以降になると、一般的PCでも辛うじてゲームが動くようになります(それ以前でもゲームはPCでプレイされていましたが、グラフィックボード、メモリ等を増設したゲーミングPCであって、普及版のPCではありませんでした)。さらに小型PCであるスマホが普及し、ゲームのプラットフォームとしての地位を獲得します。ゲーム機でなくともゲームがプレイできる環境が整ったわけです。

これまでの流れを一行で総括すれば、ユーザーにとっての、ゲームタイトル一つ当たりの環境投資が、ゼロになっていった歴史と言えます。

環境投資とはハード投資の事ですが、近年はFree to Play(以下、F2P)でアプリも基本無料になりましたから、ハード、ソフト共にゼロになったという事です。
これに伴いユーザー層は大きく拡大しましたが、当然変質もしてきます。ゲームをプレイするためにわざわざ高いお金を払っていただく方で構成されていた世界から、一見のユーザーさんも参加するようになったわけですから様変わりです。コンテンツのデザインも変質するわけですね。

さて、ひたすら拡散、マス化していった40年間でしたが、今後は、逆に細かいセグメントに分岐し、深化していくのではないかと思います。これは後でお話しします。

コンテンツデザインの観点 

主としてテクノロジーがどのように影響したかを視点に観ていきます。

1970年代央は、TVが動かせる!のがショッキングでした。動くだけで新鮮で楽しかった。
この時のデザインは、とにかく動く事。パズル、アクション(プラットフォーム・ゲーム)が中心でした。テトリスのように未だに残っている名作もありますし、マリオはここが起源ですね。

1980年代央には家庭用ゲームが登場し、データがセーブできるようになりました。アーケードゲ―ムと違い、長時間プレイできるようになったため、ゲームにストーリーを持たせる事が可能になりました。ゲーム機黎明期のこの要素の新鮮さが、日本でRPGが主役になった理由だと考えます。ドラゴンクエスト2の復活の呪文は、セーブデータのパスワードですからね。
また、セーブデータは、ゲームをパーソナルなものに変質させました。
さらに、コントローラーもコンテンツに影響しました。マリオ等のプラットフォーマー、あるいは縦横スクロールのゲームは、コントローラーでプレイしやすいデザインになっていました。

1990年代央は、PSの登場を嚆矢とする、ゲームコンソールの高性能化、メディアの大容量化が進みます。このため3D表現が始まり、映像も音楽も飛躍的にリッチになりました。業界あげて映画のようなゲームを目指していきます。

2000年代央にはインターネットが普及します。欧米中心にFPS(一人称シューティングゲーム)が全盛となり、FPSならずとも主要なタイトルにはオンライン要素が実装されるようになります。MMO(多人数オンラインゲーム)が浸透し始めるのもこの頃です。

2010年代央は、テクノロジーよりも、ビジネスモデル、ネット文化がデザインに影響を与えました。

ビジネスモデルの観点

家庭用ゲームのロイヤルティモデルは、非常にユニークで、その後他の産業にも影響を与えているので面白いテーマなのですが、若干企業戦略寄りの話になるので本日は言及しません。もう少し産業全体を見渡す議論をしてみます。
コンテンツ産業の特色につき述べます。

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コンテンツとは中身という意味で、形がありません。液体や気体のようなものでしょうか。
清涼飲料は、開発製造するのも大変なのですが、消費者に届けるのがさらに大変だったため、瓶の製造販売及び流通を担うボトラーズに大きな価値がありました。エクソンの前身のスタンダードオイルは、元々は石油掘削には力を入れず、パイプラインと船を押さえていました。
エンタメ・コンテンツも同じです。小説業界とは言わず出版業界と言われています。音楽業界ではなくレコード業界。映画はフィルム業界。業界として認知されていたのは、コンテンツを消費者に届ける器、つまりメディアでした。
形のないものを商品化するところに価値があり、それはメディアに乗せる事だった。コンテンツ産業とは、メディア産業だったんですね。

さて、PC、インターネットが普及すると、代替可能なメディアは全て呑み込まれます。コンテンツ創出を支えていたのが従来のメディア企業だったために、産業が大きな岐路に立たされているわけです。Netflix の動きは、PC、インターネットを基礎とする新しい姿のメディアが旧勢力を飲み込んでいく象徴ですね。

翻ってゲームを観れば少々事情が異なります。

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インタラクティブ故に動作環境を要求しますから、「商品化」のハード依存がゼロにはならず、完全にはインフラに呑み込まれません。もっともクラウドゲームになれば、事情は変わりますが、今後の話です。

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左の列がこれまでのゲームのマネタイズ一覧です。実際にはこれに加えて広告収入がありますから、まさにマネタイズのショーケースです。
これらはその都度のテクノロジーの制約ゆえに編み出されたものです。ただし、端末毎に地層の様に市場が堆積している事から、ビジネスモデルもそのまま現存しています。スライド中のダウンロード販売以下がネット普及後という事になりますね。
形態だけの多様性であれば、今のテクノロジーが塗り替える事も出来ます。例えばアーケードゲ―ムにつきスマホ決済は可能です。また、ダウンロード販売の初期は回線状況の制約でディスク販売と併用せざるを得ませんでしたが、今はあまり気にならなくなっています(MMOタイトルの「エバークエスト」は2000年代央、あまりにデータ量が大きいので、ユーザーが予約するとその日からリリース日まで、段階的に自動ダウンロードされる手法を採った事がある)。
より重要なのは右の列で、何に課金しているかを記載しています。こちらがより本質的な切り口ですね。やはり多様性豊かなショーケース。

さて、2000年後半、ゲーム産業に一大イノベーションが起こります。F2Pです。

アイデア自体は90年代後半から存在しましたが、本格普及するためには環境が整うのを待たなければなりませんでした。すなわち、ストレスなく成立するマイクロペイメント・システムと、ユーザー数を変動費化できるクラウドサービスの普及です。
現在では市場の過半はF2Pになっていると思います(F2Pはアイテム課金の極論なので、以下のポイントはアイテム課金にも適用可能)。

概要を説明します。

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ユーザーの満足度と課金額は比例するはずです(直線である事に意味は無く、大きくたるんでいなければ可)。ところが、価格が決まっていると、その価格以下の満足しか感じないユーザーは買ってくれませんから収益はゼロになります。他方、価格以上の満足をしていてもその価格以上支払っていただく事は出来ません。従って、黄色の部分が機会損失になり、収益は青の部分のみになります。市場経済の大原則「一物一価」の罠ですね。

ところが、F2Pであれば全ての機会を捉え、全体を収益化できます。
線上の各点に人数をかけ算したものが実際の収益になりますが、人数は正ですから、定額よりF2Pが勝る事は明確です。
「一物多価」が実現したのです。

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ちなみに、他のサービスで一見「多価」に見えるものも本質的には「一価」です。
オークションは値決めの手法を指しているだけ。価格コムも、最安価格に収斂させていくモデルです。全て、本来「一価」であるにも関わらず情報ノイズが多いために生じる価格差を「正しい一つの価格」に収斂させていくビジネスです。
さて、嫌らしい話ですが、私も社内では「黄色の左下ではなく、右上を意識したデザインにするように」と指示していましたが、蓋を開けてみると、想像以上に右上が収益貢献していました。と言いますか、はるか彼方の右上でしたね。

機会損失を抑えるために顧客セグメントを分けて複数商材を提供するマーケティングは大昔から行われています。大量生産単品販売のフォードに対してGMが、クラスタ、地域毎に多種多様な車を提供した戦略は有名ですし、アパレル、嗜好品、ブランド品も全てそうしています。ゲーム産業では、中国のMMOでは、初期からVIPシステムが導入されていました。
ところが、一つの商材で複数の価格が同時に成立するという例は寡聞にして知りません。

また、40年史グラフを再掲します。

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アーケードの従量課金から家庭用ゲーム機のディスク販売へ移行する事で市場が拡大しているのは、一タイトル当たりのコストが下がったからですね。ハード、ソフトの分離の貢献です。ネットワーク時代になってからは成長カーブが急になっています。特に2010年以降が激しいのですが、これは、ユーザー数の拡大もさることながら、F2Pというビジネスモデルの貢献が大です。ちなみに2005年あたりから一旦市場拡大がみられますが、この点については後で触れます。


2010年代末期からゲーム産業は過渡期に突入

過去40年、PC、インターネットの発展に寄り添ってゲーム産業が進化してきたのを見てきました。
現在は、その時代が終わってしまい、新しいコンピュータの形、ネット環境の在り方を模索している局面です。

コンピュータについてはムーアの法則の終焉が言われるて久しく、いよいよコンピュータ自体が脱皮するイメージです。私は専門外ですが、これはテクノロジー問題そのものなので、本格的革新が起こる印象です。
また端末についても、全機能一体型を目指すPCという考え方がスマホで当面の着地を迎えてしまいました。今後は、機能毎にアンバンドルした環境を前提に考える事になると思います。

インターネット・サービスについては、現時点までにGAFA+中国に一旦収斂してしまいました。
ここまでの集中が起こった背景には企業経営の考え方の変化があります。国内企業から、インターナショナル、そしてマルチナショナル(多国籍)企業へ。ここまではリニアな道筋ですが、今世紀に入ってグローバル企業という概念的には無国籍の主体が誕生します。従来であれば、こうなる前に、独禁法等、政府の見える手が神の見えざる手を遮るのですが、概念的に無国籍なので難しい。グローバル企業と、政府そのものの中国とに収斂したのが面白いですね。
ここでのポイントは、インターネットの変化は、コンピュータで起きている事と異なり、テクノロジー問題ではないという事です。漸進的発展は止まっていませんから、5G導入で質的変化の可能性もあります。
逆にそれが故に、アーキテクチャの変化を梃とした反動が起きるでしょう。
ブロックチェーン等、P2Pが見直され、脱中央集権というイデオロギー的な表現が採られているのもその表れでしょう。
留意しておくべきは、インターネットが物理的なインフラとしてだけではなく、思想的、社会的な基盤としての側面をさらに強くしていくという点です。人間社会の考え方に直接影響してきますから、サービス、コンテンツの考え方の根底を変えていきます。

ゲーム産業としては、よって立っていた基盤自体が大変革の渦中にあるため、テクノロジー進歩を先読みして戦略を立てる事が、現時点では困難です。
さらに、この過渡期は容易に決着がつくとは思えません(容易でないとは不透明という意味であって、時間がかかるという事ではありません)。これまでの進化は、オープンソース、水平統合モデルといった、概念上の一大イノベーションがあって初めて成立しました。今回のトンネルも同等の発明(と言っても偶然の産物ですが)がなければ抜け出せないのではないかと思います。
ゲームはIT産業の特殊部隊であると述べましたが、テクノロジーの最良のユースケースではあり続けるでしょうが、大きな流れを牽引する立場にはありません。
従って、この過渡期においては、テクノロジー、ビジネスモデル、デザインを三位一体と捉えながらも、あえてテクノロジーではなく、デザインのトレンドを掴み、それに則った戦略を企画し実行するのが賢明であると考えます。


デザインのトレンドを読む

ここから未来の話です。
地殻変動を正確に予測する事は不可能ですが、その原因であるマントル対流に一貫した流れがある事は理解できます。同じように、ゲーム産業を複数の観点で観た時、各々が、何をきっかけにどのように結び付いて大きな動きを表面化させるかは予測不能なものの、各観点毎に流れを追っておく事は可能です。

デザインの流れを検証する前に、ポストPC、インターネットのイメージを掴んでおく必要があります。
Physical、Digital と、耳慣れない言葉を使いますので解説します。
私は「仮想現実」という単語には随分悩まされました。
ヘッドマウントディスプレイとしてのVR(virtual reality)が現れる遥か前からこの単語はあり、仮想現実と翻訳された事から、何やら不健全なもの、現実逃避に繋がるものとして定着してしまいました。現実は一つであり、仮想現実は嘘であるという前提から議論されていたので、私はそれを払拭するために、よく文通の例を挙げていました。古代から、文通で純愛が出来る。書面から想起される現実は、物理的な実態はないものの実際に恋愛感情を呼び起こし、立派な現実。「実質的な現実」とはこのような状態を指す。こんな感じです。
私は、人間が認知するものは、手で触れられる物理的なものも、触れられないものも「現実」であるという考え方に立っています。

さて、Digital 世界は、人間がアルゴリズムを作り、データを入力しなければ成立しません。つまり、Physical 世界の事象を Digital 世界語に翻訳してやる必要があります。この翻訳機能がこの2、3年で飛躍的に向上し、今後さらに加速する点に留意する必要があります。
そこで一つ目は「Physical 世界とDigital 世界との相互乗り入れ」です。
主としてテクノロジーの今後を考える際の視点です。先述したように正確な予測は困難ですが、方向を押さえる事で、デザインがどのように規定されるかをイメージする必要があります。あくまで方向。
二つ目は「主導的要素のシフト」。
ユーザー、開発者、ゲームデザイン、ビジネスモデル、産業エコシステム、5つの観点でみていきます。各々において主役であったものが退き、脇役であったもの、主体として認識されていなかったものが次の主役になっていきます。まずはこれを押さえます。各観点において、要素の変化の度合い、スピードが異なりますので、どの観点とどの観点とが合流して大きな動きになるかは予測が困難ですが、相互作用で市場が動く事は意識しながら考えていく事が肝要です。

Physical 世界とDigital 世界との相互乗り入れ

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これまではこんなイメージです。
インプットはマニュアルで、デバイスは、キーボード、マウスが中心。要するに人力で Digital世界を作っていました。Digital な世界が成長したとは言ってもたかだか知れていたのは、インプットがボトルネックになっていたからだと考えています。
アウトプットについても、フラットパネルで出力される画像と音声のみ。2Dに閉じ込められていたわけですね。

これが大きく変わっていきます。

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これまでもクリック等が、意図せざる人力入力データとして活用されていましたが、そもそも人力が必要なくなります。
音声、映像だけではなく、各種センサーからの情報が、Digital 世界の言語に翻訳されます。何が画期的に変わったかと言えば AI です。ディープラーニングですね。以前のセカイカメラは未来的でしたが、エアタグを付加していたのは人間でした。今からは、デバイスに入力させて AI が翻訳する。これで Digital 世界に翻訳されるデータが飛躍的に増加します。急増したデータ(ビッグデータという単語が使われ始めたのはこのためです)の処理についても AI が活躍します。
他方、Digital 世界から Physical 世界へのアウトプットはまだ緒に着いたばかりで、暫くはデバイスの模索が続きそうです。
いわゆるVRも非常に可能性があります。しかしながら、この3、4年は、3D空間への没入を新たな価値として打ち出していましたから無理がありましたね、たいして新しくないので。
重要なのは、入出力双方で、人間の認知を騙せてしまうインパクトです。あえて触れませんが、恐ろしい事も出来てしまうので、今から活用方法につき綿密な議論を積み重ねておくべきだと思います。将来、入出力共に、神経に繋げてしまえば、マトリックスの世界が実現してしまいます。
さて、これらの事はIT産業に限った事ではありません。翻って自由な思考を促すために一例としてCRISPR-Cas9 も紫色で記述しておきました。Digital データからPhysical な世界に生命を出力していると観る事もできます。3Dプリンターの生命科学版ですね。
インプットについての革新が先行するでしょうから、当面はこのポイントに注目しておくべきだと思います。

主導的要素のシフト

まずは、広く一般的に価値の源泉が推移している点につき、おさらいしておきます。

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このスライドは、12年前に描いたものです。
当時、IT業界はコンテンツ業界に対してIPを無料で提供せよと無茶苦茶な主張をしていました。もっとも、ITの基本的な仕組みがコピーによって成立していたため、全く理屈がなかったわけではありません。他方、コンテンツ業界の利益の根拠である著作権は copy right law ですから、議論が噛み合わないわけです。なんとか、噛み合わせようと経団連に著作権部会を設置してもらいました。
さて、議論が噛み合って当座は凌げるにしても、時代には追い越されます。このためコンテンツ業界に対して、著作権に固執しすぎること自体、将来的には意味が薄くなると説こうと描いたのがこの図です。
左下は、ワープロという「ビジネス機器」から、PC+ワープロソフトに移行した時代を示しています。ハード、ソフトが分離し、代替の利くPCよりも一太郎に価値の源泉が遷移したという意味です。二列目は、表計算を例にとると、エクセルがどれほど素晴らしくても、実際に分析対象とするデータがなければ無価値という事。ゲームに置き換えましょう。どんなに優秀なアルゴリズムであっても、ユーザーが接するのはグラフィクスや音だという事になります(かなりデフォルメして説明しています)。さらに三列目、セーブデータが生まれると、ゲーム本体は失くしても再度買う事ができますが、ラストダンジョン直前でセーブした自分のデータは手に入りません。最後四列目。かけがえのなさ、つまり再現不能という観点で言えば、共同プレイした時の体験がさらに価値があるでしょう。
当時の図はここまでです。今や珍しくもなんともありません。単に、遷移する、シフトするというイメージを持って欲しいのでお話ししただけです。今描くとしたら、次にどこに遷移していくでしょう。以降の話を聞いていただきながら、皆さんも考えてみてください。

さて、ここ数年で、ネット空間の特殊性が際立ってきたので少し脇道に逸れます。
ネット空間では、履歴を抹消できません。少なくとも本人の自由にはなりません。スナップチャットが流行ったのもこれが背景でしょう。また、ネット上の記述の何が真実なのかも元よりわかりません。本日の講演に先立ち、私が誰かを調べた人もいるだろうと思って、久しぶりにwiki を見てみました。まぁ、事実無根の出鱈目も書いてありましたね。こんなものは読む側のリテラシーの問題なので放置で構わないのですが、中国の芝麻信用となるとそうはいきません。芝麻信用上の評価が本人を上書いてしまいます。ところがアリババの作ったアルゴリズムは検証できません。そもそもディープラーニングは原理的にブラックボックスです(芝麻信用がディープラーニングという意味ではありません)。データから生成されたデータが自分を形作り、場合によっては生身の本人より信用されてしまいます。
個人のアイデンティティが揺らぐ中で、実感できる信頼を求める動きが出て来るでしょう。ゲームに引き直すと、これまでのアノニマス文化の反動で、細分化された濃いコミュニティが好まれるようになる、いや、それ以外は信用しなくなる時が来るかもしれません。


留意すべき5つの観点

1.ゲームユーザーの定義の拡張

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またまた40年史の図です。
黎明期のアーケードゲ―ムのユーザーは、わざわざゲームセンターまで出向いて他人に見られるのも厭わずプレイしていたわけですから相当のゲーム好きですね。コンシューマ(日本独特の表現で、アーケードゲームがB2Bであったのに対して家庭用ゲームの事をB2Cである事からこう呼んでいます)のユーザーは、ゲーム機を購入して(当初はTVに繋げる作業も大変でした)プレイしていましたので、やはりゲームファンです。この間、地域的にも北半球+豪州には概ね浸透しまた。
2000年時点で既にゲームが世に出て四半世紀が経過していましたから、成人を中心にカジュアルゲームも普及していきます。

この辺りまでは自然な流れだったのですが、風穴を開けたのが任天堂です。
「ゲーム人口拡大」を謳ってDS、Wiiをリリースし、脳トレ、Wii Fit等、ゲームらしくないゲームを投入しました。ここで俄然ゲーム人口が増加します。勿論、これは過去30年の市場の蓄積があったから実現した事なのですが、戦略として明確に打ち出したのは任天堂の貢献です。2005年辺りから概ね1.5~2.0兆円程度市場が伸びているのが見て取れると思いますが、ほとんどは任天堂要因です。5年後くらいからコンソールゲームが凋落していますが、任天堂の特殊効果が剥落し元の水準に戻っただけで、下落しているわけではありません。

その後スマホゲームが、任天堂が押し上げた新ゲーマーを吸収しつつ、ビジネスモデルの革新も相俟って市場の成長を引き継ぎます。
任天堂の貢献はユーザーのすそ野を広げた事です。他方、スマホは、すそ野の拡大は享受しつつもビジネスモデルの革新によって急成長させました。外形的には同じく市場の成長ですが、中身は全く異なります。

少し脇道に逸れます。任天堂はなぜスマホに飲み込まれたのか。ビジネスモデルの違いにより収益性は格段に違うものの、互角に戦っていてもおかしくなかった。
私は開発者に対する方針の違いが結果に出たと考えています。
DSが出た時は戸惑いました。任天堂の狙いは理解できるのですが、それまでゲームに触れなかったユーザーが何だったらプレイしてくれるのかイメージが難しい。私は、例は古いですが、単行本全盛期にカッパブックスやワニの本がブームになった時期を例に出して説明していました。知識人向けの小説や論文ではなく、頭の体操、冠婚葬祭入門、各種ハウツーもの、大予言のようなトンでも本が流行った。しかし、大河小説を売りにしていた我々スクウェア・エニックスはなかなか頭が切り替わらない。結局ゲームボーイの延長線上の対応しか出来ませんでした。他社においてもこの事情はあまり変わりませんでしたね。このため、この時期のソフト市場は任天堂タイトルが独占していました。
ようやくサードパーティが慣れてきた2010年、我々がDS2(DSの若干のアップデート)を期待していた時、3DS(飛び出す画面のDS)が発表された。また面倒な事するのか。振り出しに戻された感覚。3DSのプレゼンではゲームタイトルには一切触れられず、通信機能等にフィーチャーした一般向けのものでした。ガジェット好きから火をつけようと目論んだのでしょうか。ところが同時期にiPad が発売され一世を風靡します。結果として任天堂は全部持っていかれた。サードパーティ陣は、3DSに対して一斉に様子見になってしまいました。
スマホに持っていかれた要因は技術的変化球だけが要因ではありません。
そもそも、DSでタイトルをリリースしようと思えば、任天堂と契約し、開発機材を購入し、出来上がったタイトルの審査を任天堂で受け、パブリッシャーを探さなければならないという困難さ。他方、スマホでは、開発環境は簡単に整えられ、デッキに挙げるのも簡単。タイトル供給人口は、両者において二桁以上の格差があったのではないでしょうか。
これでスマホ・ゲーム時代が本格的に始まりました。

さて、話を戻します。
図の中のソーシャルユーザーとは、ソシャゲのユーザーという意味ではありません。ソーシャルスモーカーのイメージです。普段は喫煙しないが、飲み会で周囲にスモーカーが多い時、一緒に喫煙する人々。ゲーム市場では、ここまですそ野が広がっているという事です。まだ、インド等、地域的に成長余地はありますが、ゲームは40年間で、エンタメの一角として概ね世界に浸透したと評価できます。

ここが天井なのか、次に求める対象は残されているのか。
過去40年をよく見れば、全てプレイヤーの市場でした。私はノン・プレイヤーが今後の成長を牽引すると考えています。

既に萌芽は出始めています。ゲーム実況や esports がそれですね。
ただし、現在はまだ、いつもはプレイしている人達が観戦しているにすぎません。そこで off-player と名付けてみました。プレイヤーの真部分集合ですから市場は全く広がっていません。

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私がいう non-player とは、そもそもプレイしない人達を指します。例えば、リビングでゲームばかりしている彼氏の隣でなんとなく一緒にゲーム画面を見ている彼女のイメージ。TVでスポーツ観戦する人も、まぁゴルフ以外は実際にプレイしませんよね。

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後程述べますが、ユーザーの中にはセミプロ並みの開発者も出てきますから、さらに時代が進めばこれもユーザーになってきます。
当面は、ノンプレイヤーの開拓に注力すれば、ゲーム市場は第二段階の飛躍を遂げると思います。

ノンプレイヤー市場をイメージする上で、野球を例にしてみます。
野球関連の事業を雑駁に抜き出してみました。きっちりとプレイする以外の分野がほとんどである事に気づくと思います。

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この市場を立ち上げていくためには、まずは、コンテンツデザインを変える必要があります。
野球観戦でプレイヤー視点の画面しかなかったとしたら、どうなるか考えてみてください。例えばキャッチャー視点。守備の際には、ボールが飛んできて目の前でバットがブンと振られる。攻撃の際には何回かに一回、相手のピッチャーと睨み合いますが、あとはベンチで観戦。
現在のゲーム実況はこれと同じ事をしています。やはり、TVで放映するような観戦視点、つまりノンプレイヤー視点のカメラでなければ楽しめません。ちなみに、esports が格闘ゲームから始まったのは偶然ではありません。ゲームの中では例外的に、FPS、TPSのようなプレイヤー目線ではなく、対戦観戦のカメラになっています。また、ライフゲージにより、誰でも戦況が理解できるのも大きいですね。ちなみに野球の放送では、ストライクゾーンが示されピッチャーの配球がリアルタイムで解説されますが、今後はこうした工夫も必要です。

また、マネタイズもきちんと考える。
私にとっての野球とはビールを飲む事です。現在のゲームはプレイヤーのみを対象としていますから、野球で言えば、試合をするために野球場を貸したり、グラブやスパイクシューズを売る以外にマネタイズのポイントがないという事になります。

観客とプレイヤーとのインタラクションも参考になります。野球場の応援合戦は風物詩ですね。ゲームの場合は注意しなければプレイヤーの邪魔になりますから、やり過ぎは禁物です。しかしながら、全く新しい遊び方を創造するポイントでもありますから、全力で検討していいところですよ。

2.開発者の拡張

黎明期はホビーPCからの流れもあり、また、そもそもゲーム業界が存在しなかったので、アマチュアからプロに育っていくのが通常でした。ところが、ゲーム開発が高度化するとともに、ビジネスが複雑になり、プロ以外ゲーム開発が出来なくなっていきます。後者の観点は見落とされがちですが重要です。

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その中にあって開発者のすそ野を広げる流れが脈々とあります。スライドの左側を見てください。

90年代から、Mod、マシニマが現れ、2000年代から普及していきます。Mod はカウンターストライクの華々しい成功で認知されましたが、一般的なプレイ手法の一つとしても定着しています。また、マシニマについても、HALOなどがユーザー投稿をDVDにして販売する等、業界内では存在は知られています。ただし、やはりこれらの試みは、プロ、セミプロ等、心得のある人でなければ扱えないものでした。

2000年代には、Mod が発展し、ゲームエンジンが普及していきます。ゲーム開発のハードルが下がり、インディー開発スタジオが立ち上がります。ユニティくらいになるとコミュニティも親しみやすくなって独学でもゲーム開発できますから、スマホゲーム市場を支えるインフラの一つになったと思います。

2010年代になると様相が変わります。本当のアマチュアが参加する土壌が出来始めました。マインクラフトは今後絶大なインパクトを持つと思います。世界中の子供達がプレイしている初めてのゲームで、ゲームデザインの基礎になっており、興味を持った子供はプログラミングの習得に自然に移行するでしょう。10年後が楽しみですね。また、ツール群の普及も注目に値します。昨年来人気のVTuber もその成果の一つ。いまやスマホだけで出来てしまう。今後、ツールの高性能化と、それらツールのスマホを通じた普及により、新たなアイデアがどんどん出て来るでしょう。

さて、ここでの本題はスライドの右側です。
2015年くらいから特に顕著になってきました。ほとんど加工せずに大量のデータが取り込めるようになったのは画期的です。
先ほど述べた、Physical 世界からDigital 世界への翻訳の飛躍がここで活きてきます。ゲーム開発のハードルが下がり、ビジネス展開が容易になったとしても、やはり最後はゲーム内のデジタル・アセットをこつこつ積み上げるのが大変すぎてなかなかゲームを作ろうとは思えませんでした。この最後のハードルが下がるのです。
自動生成技術も年を追って向上し、定着してきています。両者合わせ技でいけば、これまでは想像も出来なかった大量のアセットが供給されます。

3.ゲームデザインの変遷(脱予定調和)

このスライドは、2000年以降のトレンドを記しています。

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ゲーム業界の言語で書くとこのようになりますが、要するに、ユーザーの参加度合いがどんどん高まっていくという流れです。
一般的に言って、底流でテクノロジーがインフラを整え、上層で新サービスが文化を仕立て上げていく。ゲームはその上に乗りますから、この流れは不可逆的だと思っています。

もう少し概念的に、ユーザーとコンテンツ(開発、運営)との関係の推移として描いたのがこの図です。

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一つの例をあげますので、今までの話をなぞってみてください。

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左上が原初のジェットコースター。
ここから考え方が分岐します。左下は北米にある最大Gの絶叫マシーンで機能特化型、真中上はディズニーランドのカリブの海賊(ビッグサンダー・マウンテンのつもりでしたが写真間違えましたw)で、ライドはおまけでストーリーを追っている。どのエンタメの開発もこういう分岐をしますね。
次に出て来るのが右下で、ジャングルクルーズ。
一見ストーリー仕立てに見えますが、実際には業者は疑似ジャングルという世界観を提供しているだけで、その都度の体験は右上の小さな写真のキャストのお兄さんがリードします。現在のオンラインゲームで運営が重要になってきたのと符合します。
ここまでがテーマパーク的な考え方。

さらに進化するとサバイバルゲームになります。

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最早、大まかなルールを提示して場所を貸すだけ。何も作っていない。ユーザーが自由に遊び方を考えて楽しみます。
開発者が作り込んだゲームを、開発者が仕組んだ通りにユーザーが追体験するデザインから、最終的には、開発者はゲーム内のルール(法則)だけを決め全てが自然のように自律的に変化するようにしておき、その中でユーザーが遊びを創造する方向にシフトしていくと考えます。
ユーザーにおいて起こるハプニングの面白さに価値が出てきます。過渡期はバラエティのようなゲームデザインが流行るかもしれません。
無論、何事も極端には進みませんから、あくまで方向感を掴むつもりで考えておいてください。

4.ビジネスモデルのさらなる多様化

間接課金、直接課金についてはこれまで説明した通りです。
ここでは、ノンプレイヤーが市場を牽引していく時に、マネタイズの主流がどこにシフトするかを検討します。

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プレイヤーとの関りで一番わかりやすいのが既に実現している投げ銭ですね(gifting)。芝居のおひねり、相撲の谷町、宝塚、アイドルの握手券と、日本には、庶民がサポートする歴史があります。欧米等、諸外国では、宗教にはお布施はあるものの、エンタメの支援者は原則として資金力のある人達だけです。ストリートパフォーマンスにお金を払う人はいるにせよ、業や文化として定着しているようには見えません。日本のユニークさが際立っている部分で、世界をリードできるかもしれませんよ。

少し、妄想してみましょうか。
私があるアイドルを応援していて、彼女が週末、難攻不落のダンジョンで宝玉を争奪し合うという esports イベントに参戦するとします。私は週末までにゲーム内を旅して素材を探し、彼女のための武器を鍛え上げます。まぁその間にそこそこ課金するでしょう。で、彼女にその剣を貢ぐ。使ってくれるかどうかは分からないけど、週末本番に固唾を飲んで声援します。最後は一対一の決戦になりますが、ここからが出番です。スマホ連打すると(一打1円)彼女の防御力のパラメータが上がります。剣を切り結ぶ中、双方のサポーターが全国で連打合戦。こんなゲーム体験が実現するかもしれません。この場合の私は広義ノンプレイヤーであり、剣を捧げるのは gifting です。連打のような干渉ならプレイ体験を阻害しません。
また、賭博でないにせよ、軽い賭け事(betting)も出て来るでしょうね。あのプレイヤー、あのまま進むと岩陰に隠れているモンスターにやられるな、いや、俺は気付いて倒すと思うな、じゃ当たった方が今回の観戦料おごりね、といった具合。ノンプレイヤー同士でマネタイズが発生します。発展するとブックメーカー機能を果たすノンプレイヤーが出て来るかもしれません。勿論、そのまま実行すれば違法ですからルール作りは丁寧に行う必要があります。

さらに進むと、プレーヤー、ノンプレイヤー、クリエーター、オペレーターが参加する独立経済圏が出来て来ると思います。
四者共通という点が肝です。現在、「経済圏」を謳う人達は、生産は圏外として、流通のみを対象としているケースが多いのですが、それでは経済は回りません。ゲームはデジタル世界で完結しうるので経済を循環させる事が可能です。特殊通貨はゲーム内で閉じた状態でも十分に機能します。

5.産業エコシステムの変化

このスライドにあるのは、現在のエコシステムを形成する経済主体です。

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これまでの4つの観点のように力がシフトしていくと、中間搾取は成立しなくなります。
パブリッシャーの機能後退が最も顕著に起こるでしょう。また、プラットフォームもどんどんインフラ化していきますから、なければ困りますが空気のような存在になっていくのが健全だと思います。希望も含まれていますけどね。

次の世界はこのようになるのではないでしょうか。

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基本的にはコンテンツに直接かかわる主体のみでシステムが回る。
ただし、さすがにそれだけでは無理があるので、溝を埋め、各主体をサポートする役割が出て来ると思います。
ここでは solution provider と名付けてみました。また、ユーザーも、いわゆる「お客様」という受動的な立場から「参加者」といったもう少し踏み込んだ存在になると思います。

繰り返しですが、私の述べている事はあくまでも方向感です。
幸か不幸か、あるタイミングまでは世の中は何事も起こらないかのように映ります。そればかりか冒頭述べた通り、ゲーム産業では、地層のように堆積していき、あるカテゴリーが完全に無くなる事は、なかなかありません。この場合、古い層では集中化が起こり、勝ち残った企業は残存者利得を享受できます。

従って、現在プラットフォーム、パブリッシャーとして成立している会社は、当面は最終決戦に臨むべきで、そのアドバンテッジを自ら放棄するのは愚の骨頂です。
他方、プラットフォームになる事の出来た事業者の勝因はタイミングがほとんどであり再現性はほぼ期待できません。また、パブリッシャーは努力で切り開けますが10年仕事になります。できそうだからと言って、これからパブリッシャーになろうとしている新興勢力は要注意です。いつ革命がおこるかは分かりませんが、10年の間には確実に起こりますから、今から着手するのは無謀です。


実践を考える上でのヒント

以上が理論編でした。これまでの40年を振返りながら、未来を占う上での大きな流れを掴んでいただけたかと思います。
最後に実戦への応用につきお話ししてみます。

社会現象時刻表

一般的に市場とは、無垢なものではなく既に何らかのバイアスがかかっています。どのようなバイアスが存在するかを冷静に見るために、「社会現象時刻表」を確認してみるのが有効かと思います。なぜなら、自分自身もどっぷり時代に飲み込まれ、客観視できていませんからね。「社会現象」と表現したのは、それくらいのインパクトがなかったら社会の記憶に残らないからです。

スターウォーズ版です。

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表の見方を述べます。例えば1980年生まれの人は、1990年は10歳で2030年には50歳になります。斜めの直線上を歩んでいきます。一方、スターウォーズ「ファントムメナス」は1999年に公開され、15歳から50歳くらいまでが映画館に行ったでしょうから、影響範囲は縦の直線になります。1980年生まれの彼が19歳の時です。
さて、2020年にスターウォーズの企画をするとしたら、その時点のどの年齢レンジをターゲットにして、どの3部作を意識したものにしますか?

これはゲーム機版。

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きちんと分析したものではないので、あくまでも考え方の参考として見てください。
ゲーム機一世代は数年にわたるので影響は直線ではなく帯になります。ちなみに、その時期の主役のみを書いています。例えば2010年時点でもPS3は売れていましたが、メインストリームはDSになっていたので、そのような図になっています。2020年、20代の人達にはDSやスマホといったモバイル端末でしかゲーム経験がない時代になるという事ですね。
また、インフラは紫の棒にしました。本当は帯ですが、そうすると、それ以降全期間、また全世代に影響して図がわかりにくくなるので。2015年あたりにVRとあります。まだ大した動きにはなっていませんが、その頃、中学生で興味を持った子供が高校からコンピュータを学び、大学で起業し世界を変えるなんて事が、2025年には起こってもおかしくないわけです。

こちらはゲームタイトル版。これも単なる例示であって、深い意味はありません。

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少し補足しておきます。
この図では直接影響する範囲を描いていますが、実は間接範囲も割と重要です。
現時点でのポケモンGOのプレイヤーの多くがオッサンである事は電車に乗っていれば分かりますよね。彼等の年代だとポケモンはプレイした事はないでしょう。しかし、子供に買ってやったり、映画に連れて行ったりして馴染んではいます。この下地があるので、まぁ少し歩いてみるかという気持ちの後押しで、いまやせっせと課金するようになりました。
ドラクエでもこの考え方を取り入れた事があります。ショッピングモールにキッズカードゲームを投入する際にイメージしたのは、ドラクエ卒業生の両親が、子供にプレイのための小遣いを渡し、遊んでいる子供の後ろでモンスターについての蘊蓄を話してドヤるという絵ですね。ドラクエ卒業生に伝搬者になってもらったわけです。
皆さんが取り組もうとする企画につき、こんな図を描いて検証してみてはいかがでしょうか。

隣接産業との共振

ゲーム産業はテクノロジーがドライバーになっていると述べましたが、コンピュータ、インターネットの進歩は、コンピュータゲームだけでなく、他のコンテンツ、サービス産業にも当然に影響を与えます。
ゲームと隣接産業とが、テクノロジーを梃に共振した時、市場が飛躍します。

1995年から2005年は映画業界と相乗効果が出ました。
PSを始めこの時期のゲーム機は処理能力が格段に向上すると共に、記録メディアも光学ディスクになり大容量になりました。このため3D描画が可能になって音源も豊かになり、ゲームは圧倒的にリッチになっていきました。
コンピュータグラフィクス(以下、CG)の進歩は、他の産業を圧倒してゲームが牽引していきます。ハリウッドのエンジニアとゲームのクリエーターとの人事的交流が始まり、映画の中のCGも大きく進歩します。映画製作会社とゲーム会社とが業務提携し、CGのアセットを共有する試みも見られました。
ユーザー側の交流も進みます。PS、XboxともDVDプレイヤーを兼ねていたため、ゲームファンと映画ファンとは同じマシーンでコンテンツを楽しむようになりました。加えて、エレクトロニック・アーツ社を始め、映画IPのゲーム化も積極的に行われたため、ますます両者の融合が進みました。この時期の米国プロモーションにおいては、ゲームと映画とはほぼ同一セグメントと看做されていましたね。
この頃から、ゲームの目的の一つは「映画をプレイしているようなゲーム」になっていきます。
実は日本のゲームの見た目が欧米と乖離してきたのは、2000年辺りからです。日本ではCGを使う映画が少なく(予算も少ない)、またアニメが上位にあったため、映画ではなく、アニメとの融合が進みます。特殊進化としてはトゥーン・シェーディングが挙げられます。3Dで制作したものを、あたかも2Dアニメの様に見せるCG技術です。米国のピクサーやドリームワークスが目指していた方向と比較すれば、彼我の方向がいかに違ったかが理解できると思います。

脇道に逸れます。
エンタメなのだから融合するのは当然なのではと感じる方がいるかもしれません。
しかし、ノベルゲーム、音楽ゲームのジャンルも存在しましたが、ニッチのままです。また、ビジネス機器との共振もいくつか試みがありましたが、どれも火が付きませんでした。私は以前野村證券に在籍していたため、任天堂とのファミコン・トレードの経緯はつぶさに見ていましたが、少々無理がありましたね。ゲーム機を使ったワープロ、年賀状印刷等、当時のCMにはお宝映像が豊富ですから、是非探してみてください。
やはりCGというテクノロジーの飛躍のタイミングが、映画産業とゲーム産業とでぴったり一致したのが大きいと考えます。

2005年から2015年はインターネットとの蜜月期間です。
アバター、PCカジュアルゲーム、ブラウザゲームをSNSに実装するところから始まります。
ゲーム業界からの初期の動機はマーケティングでした。
私自身の経験からお話しすると、2004年にDSが出てきた時、ゲーム市場が変質していく事が予想され、従前のマーケティングでは新たなユーザーは捕まえられないと、戦略の変更を迫られている感覚でした。同じ頃にブログが流行り始め、次の活用はここだと確信しました。個人の発信力でレバレッジする。コミュニティが既に成立しているSNSの軒下を借りれば効率的だと考え、第一弾がゼイヴェル(旧社名、東京ガールズコレクションの企画等)とのJV設立(2006年)。コミケ、バンカー、士業、自衛隊等、濃いコミュニティの存在する主体と次々に組んでいこうと企画していましたが、結局1社で終わり。まだこの頃は、物理世界のコミュニティとSNSがリンクしておらず、コンテンツを乗せるメディアが不十分だったんですね。つまり、SNSを活用した拡散が設計できなかったという事です。
当然、世界には似たような発想を持つ経営者がいます。その中でもずば抜けていたのが Zynga(2007年)。彼等はFacebookの上昇気流にまんまと乗り、天まで昇ります。SNSマーケティング、F2Pの浸透等、新たなビジネスモデルの先駆者になり、この時代の起点と評価できる貢献でした。

その後、日本では2010年、怪盗ロワイヤル、ドラゴンコレクションがガラケーに登場し、市場を成長軌道に乗せます(GREEは釣りスタを2007年に投入し先駆的位置にいましたが、市場の成長に貢献したのは2010年以降と考えます)。
さらにiPhone登場以降、スマホがこの市場の主役となり、地域的にも世界を飲み込んでいきます。

隣接産業との共振につき、パチスロをイメージする方もいると思うので、ガチャについて少々お話しします。
この現象は「時刻表」と睨めっこすれば不自然ではありません。
PS2の末期、タイトル供給が枯れてくる中で、パチスロ・シミュレーターが上位ランキングの常連になった事があります。また、ゲームセンターでは、メダルゲーム(換金はしない)が大手顧客を惹きつけていました。日本では、ユーザーが以前から被っていたのですね。
だからと言って行き過ぎは不味い。社会の理解を得られなければ、幸福な発展は望めないと謙虚になるべきだと思います。
いずれにせよ、ゲーム会社としてはガチャ依存の体質を早く変える努力をしなければ、ゲームデザイン、ビジネスモデル共に、将来の展開のための力がつきません。各社、苦しくても脱ガチャに取り組むべきだと思います。

こう見て来ると、その時期のゲームと共振する産業を見極めるのが極めて重要な事が理解できると思います。

さて、2015年以降はどう視るのか。
編集、発信ツールの高性能化、普及により、「業者以外」が新しいゲームを産みだしてくる可能性が高いと思います。
その時の価値は、コミュニティ、ライブ、ハプニングになるでしょう。現時点での萌芽は、ゲーム実況、esports、VTuber 等。
共振とは、二者が分離したままで影響し合って成長するという意味ですが、今回は、融合して、新しいコンテンツの姿になる可能性もあると思います。その原型は、端末で言えばスマホ、ジャンルで言えばARで生まれてくる予感がします。勿論、単なる予感なので、意図して未来を創りにいくのであれば、どのような組み合わせにも可能性はあると思います。正解まで未だ随分と距離がりますから、とにかく着手する事です。

その他トピックス

まずはスマホ。
これまではPCの最終形として捉えられていましたが、視点を切り替え、センサーの塊として捉えてはどうでしょうか?
カメラ、マイクの性能は驚くほど高く、安価なデバイスを付けるだけで、例えば赤外線等、人間が認識する以外の波長も捉えられます。加速度センサーも優秀ですし、私も知らなかったのですが気圧も感知するそうですね。これらが全てデジタルデータとして処理できます。いわずと知れたGPS以外にも、ゲームに活用できる機能を多く実装しています。4G+クラウドで、コンピュータとしての能力向上は保証されますから、センサーにフィーチャーして企画するのも面白いと思います。

ここで、あえてesports をディスっておきます。可能性は非常に大きく、大切に育てて欲しいと思うが故の事ですから、悪しからず。
まずは視聴者が off-player になっている点が不味いと思います。これでは市場の拡大に繋がらない。現時点でのスポンサーは、新たな市場と考えて広告価値を追求していると思いますが、実態と乖離している印象です。誤解に気付かれる前に早く溝を埋めないと、セカンドライフのように瞬間的なお祭りで終わってしまう危惧があります(セカンドライフはデジタル空間としては今だに素晴らしく評価しています。ここで言及しているのは一般スポンサーの関わり方の観点からのみです)。
もう一つ。ゲームはインタラクティブである点に価値があるのに、単なる映像排出になっています。デジタル世界の特質が何も活かされていない。当初からesports に向けてデザインされたゲームが開発され、さらに双方向を可能にする技術が提供されてからが本番になるでしょう。
江戸時代、安魚のまぐろは保存のために漬けまぐろとして寿司になり、漬けの浸みこまないトロは捨てられていたそうです。早くトロが食べてみたいですね。

ようやく最近ブロックチェーン・ゲームが出始めました。未だ実験段階ではありますが、じっくり勉強してみる事をお薦めします。
トークンで一山当てようとの動機であれば、残念ながら期待通りには行かないでしょう。もっと仕組みにフォーカスすべきです。小さなコミュニティに細分化していく際(独立経済圏もその一つ)、また業者でない者が牽引する際、デジタル世界と物理世界とを往来する際、ブロックチェーンは武器になると思います。

最後に、ゲーム会社のドヤ話は無視するのが良いと思いますよ。
産業エコシステムの転換点に立っていますから、手本になる会社はまだありません。むしろ本質を見るために、テクノロジーや社会全体から導き出される必然を追い求めるのが健全ではないでしょうか。
技術的なインフラは、社会、人間に大きく影響を与えます。科学と人間は相対するものではなく一体となって進歩していく、といった世界観が必要なのではないでしょうか。
であるが故に、テクノロジーの進展には目を光らせておくべきでしょう。


まだまだお伝えしたい事はありますが、今回はこの程度にしておきます。
ありがとうございました。

(本稿は2018年12月福岡大での講義に加筆して作成しており、スライドは当日使用したものです)




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