1枚のシートがひとりでに折り畳まれてウサギの形に変わる──。そんな手品さながらの新技術を、東京大学大学院の特任講師を務める鳴海紘也らの研究チームが、2023年8月に学術誌『ACM Transactions on Graphics』で発表した。
この技術は「インクジェット4Dプリント」と呼ばれ、作成されたシートは温水に浸すと自律的に折り上がる。いわば日本の伝統文化「折り紙」の応用によって立体物を造形する仕組みだ。
3Dプリントは縦・横・高さの3次元を入力データに基づいて立体的に出力する技術である。これに対してインクジェット4Dプリントは、さらに「時間に伴う変化」を加えたことから「4D」のキーワードが名称に含まれている。
鳴海によると、立体をそのまま造形する3Dプリントよりも、まず平面に印刷したものを変形させたほうが製造スピードに優位性があるという。造形物の形状や大きさにもよるが、実験では3Dプリントを使うよりインクジェットで印刷するほうが約20倍早いうえ、温水による変形は数秒で完了することが確認された。
印刷により折り目をプログラミング
印刷した1枚のシートを温水に浸すと、なぜ自律的に折り上がるのか。その秘密はシートの両面に形成されたインクの層にある。
インクジェット4Dプリントに使われているプラスチック製のシートは加熱により収縮する性質をもつが、印刷された部分はインクの層が収縮を阻害する。このため、温水に浸したシートはインク層なしの面だけが加熱により収縮し、折り目ができるというわけだ。印刷しない部分を裏側につければ山折りが、表側につければ谷折りがそれぞれできる。
このような自律的に折り上がる仕組みは「セルフフォールディング」と呼ばれている。セルフフォールディングとは、自律的に折り上がる仕組みによって人手をかけずに折り紙の構造をつくり出そうとする考え方だ。
インクジェット4Dプリントをセルフフォールディングの一種として捉えたとき、特筆すべきポイントは4,000個以上もの面をもつ“折り紙”に成功したことにある。以前はセルフフォールディングを実現できる折り紙の面の数は、数十個にとどまっていた。
「例えば4,299個の面をもつウサギの折り紙を人手で折ろうとすると、熟練者が取り組んだとしても折り上げるまでに10時間はかかります。一方、インクジェット4Dプリントを活用すれば、印刷から折り上げるまでに1時間程度で完了します」
セルフフォールディングで実現可能な面の数が飛躍的に増えた理由は、インクジェット4Dプリントの名にある通り、インクジェットプリンターを採用したからだ。これまでのセルフフォールディングは、溶かした樹脂をノズルから出力する3Dプリントを主に採用していた。
3Dプリンターのノズル径は数百マイクロメートルある。一方、インクジェットプリンターは数十マイクロメートルと、10倍以上の細かさだ。3Dプリンターではなくインクジェットプリンターを採用したことで、スピードだけでなく解像度においても飛躍的な成果を実現したことになる。
なお、インクジェット4Dプリントには、産業用プリンター大手のミマキエンジニアリングが製造するUVインクジェットプリンターが使用されている。このプリンターは吹き付けたインクを紫外線で瞬時に硬化させて印刷する方式で、主に商品パッケージの印刷に活用されてきた。シートの表面に一定の硬さのあるインク膜の層を形成する必要があったことから、UVインクジェットプリンターを選んだという。
フルカラー印刷もインクジェットプリンターならではの利点だ。論文では、青系のグラデーションカラーによるノースリーブジャケットや、色とりどりの造花に折り上がるインテリアが、インクジェット4Dプリントの活用例として提案されている。
開発時の課題は「インクの柔軟性」
インクジェット4Dプリントの研究開発では、インクの検討に時間がかかったと鳴海は語る。
「インクの柔軟性を調べる必要がありました。シートが折れるとき、インクが硬すぎると変形の瞬間に割れてしまいます。一方で、インクが柔らかすぎるとシートの収縮にインクが耐えきれず、全体がいっぺんに縮んでしまうので折り紙になりません。ちょうどいい柔軟性をもつインクを見つける必要があったのです」
このような課題は、シートの収縮差を利用するために収縮を阻害する部分にインクの層を重ねることで生じた。一般的なインクジェットプリントはナノメートル単位のインク層を形成する。一方、インクジェット4Dプリントでは、インクの層を合計するとマイクロメートル単位に厚みが増す。いずれも微小なサイズだが、層を重ねる印刷方法を検討したことで、標準的な印刷においてはほとんど起こらない課題に直面した。
さらに、インクの柔軟性が色ごとに異なる点にも手を焼いたという。当初の考えでは、鳴海らはインクを印刷面に定着させるプライマー層、色のついたカラー層、傷や水に耐性があるクリア塗料のコーティング層といった3層によるインクジェット4Dプリントを模索していた。
ところが、柔軟性の違いゆえに色ごとに印刷の調整を要するので、実用性の乏しさを懸念したという。最終的に落ち着いたのが、最下層のプライマー層の上に最も安定している黒のインクを5層重ねる方法だった。そこにさらに、黒インク最上層の上に1層の白インクを重ねる。そしてカラー層とコーティング層を加えて、計9層で印刷面を構成した。
「黒い層を重ねることによりセルフフォールディングの折り上がりが安定しました。白い層の上にカラー層を載せるので、白い紙に印刷したときと同等の色味を実現できます」と、鳴海は説明する。
「折り紙はあらゆる多面体をつくれる」
折り紙のもつ構造を産業利用する試みは古くから続いてきた。例えば、円筒にダイヤモンド型の折り目を付ける「吉村パターン」が考案されたのは1950年代のことだ。横方向からの圧力に円筒が強くなることから、吉村パターンは飲料缶に利用されている。また、70年代に考案された「ミウラ折り」は、地図の折り畳みに利用されたのち、90年代に入ると人工衛星用ソーラーパネルの折り畳み機構として脚光を浴びた。
さらに、「あらゆる多面体は一枚の紙から折り上げることができる」ことをマサチューセッツ工科大学教授のエリック・ドメインと東京大学教授の舘知宏が2017年に証明してからは、造形技術としての折り紙に期待が寄せられている。18年には、舘の研究室メンバーにより折り紙設計ソフト「Crane」が開発された。これはインクジェット4Dプリントの印刷パターンの生成に使用されているソフトだ。
さらにインクの特性を検討すれば、形以外の機能性をインクジェット4Dプリントによる立体物に加えられる可能性があるかもしれない。「導電性が備わっているインクを使えば、インクジェット4Dプリントによる折り紙の表面にLEDを設置して、配線なしで光らせることができるだろうと考えています」と、鳴海は期待を寄せる。
鳴海によれば、インクジェット4Dプリントにはいくつかの課題が残されているという。そのひとつが、折り鶴のような折り方に順序のある折り紙をつくれないことだ。「どれほど複雑な多面体でも折り紙でつくることが可能ですが、このためには順序なくいっぺんに折る方法があります。セルフフォールディングを考えるとき、折り鶴のように順序のある折り紙は難しいのです。今後、折る順序を制御する研究によって解決していきます」と、鳴海は語る。
また、インクジェット4Dプリントでつくられた立体は、ウサギの耳や帽子のツバのような先端部分が重力により垂れてしまいがちな点も今後の課題だ。「今回は無重力の宇宙向けにつくってしまいました」と鳴海はジョークを飛ばすが、実際のところ宇宙船内に持ち込む品にインクジェット4Dプリントでつくられた製品は適しているという。
宇宙船内は収納スペースが限られている一方で、分解して持ち込んだ品を組み立てるには手間がかかる。保管に場所をとらないうえに手作業がいらないンクジェット4Dプリントは、まさに宇宙での活用が適材適所というわけだ。
(Edit by Daisuke Takimoto)
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