宮崎駿に地平線はあるが庵野秀明にはない?(小原篤のアニマゲ丼)
スタジオジブリ発行「熱風」の連載を大幅加筆し書籍化した三浦雅士さん著「スタジオジブリの想像力 地平線とは何か」(8月刊、講談社)を読みましたが、いろいろ首をかしげる問題点が。一昨年出たスーザン・ネイピアさん著「ミヤザキワールド 宮崎駿の闇と光」(早川書房)、昨年のステファヌ・ルルーさん著「シネアスト宮崎駿 奇異なもののポエジー」(みすず書房)に続きいろいろツッコんでいきましょう。「熱風」掲載時にちゃんと読んでなかったけど、編集部はこれ通したんだよね……?
くどくど書くと長くなるのでまずは最大の問題箇所から。
「大友克洋も押井守も庵野秀明も、宮崎とは対照的です。彼らの描く空間はおしなべて地平線をもたない。少なくとも宮崎のような安定した地平線はもたない。ひょっとすると関心もないのかもしれない。外界と個人の内面空間が重ね合わせられますが、外界が入ってくるというよりは、内面世界が外部に拡張されるという印象が圧倒的で、感じられるのは内面の閉鎖空間、他者を排除して成立する空間の、その息苦しさです」(143ページ)
じゃあ、本書で並んで語って飛翔(ひしょう)シーンの素晴らしさをたたえていた高畑勲はどうなのか? 富野由悠季、出崎統、細田守、新海誠は? 「私はアニメーション批評の専門家ではありませんし、熱心なファンというわけでさえありません」「ですから、いわば、アニメーションについて語るだけの資格を持っていない」(8ページ)と断っておきながら、どうしてその人選になるのか? 続く文章から透けるのは「マニアックでオタクっぽい作風の人たちなんだろ」という「印象」ですね。「地平線を持つから宮崎アニメは素晴らしい」はいいとしても、比較対象として具体的な作者名を出すならその代表作について「地平線がない」「この地平線は違う」と説明してほしいものです。
本書は「私の見聞の範囲では…