ローマ教皇が訪日、長崎で核廃絶訴え
訪日中のローマ教皇フランシスコは24日、第2次世界大戦で核兵器の標的となった長崎を訪れ、核兵器の廃絶を訴えた。核兵器がもたらす「恐怖」について語り、核兵器は世界平和にとって「解決策」ではないと述べた。
長崎には1945年8月9日にアメリカ軍によって原子爆弾が落とされ、少なくとも7万4000人が亡くなった。
爆心地公園で行われた式典では、原爆を生き延びた80代の市民2人が、教皇に献花用の花輪を手渡した。
ローマ教皇が日本を訪れるのは1981年のヨハネ・パウロ2世の来日以来で、2度目。教皇は23日に訪問先のタイから日本に到着。26日まで滞在する予定だ。
24日には、もうひとつの被爆地である広島の平和公園も訪れている。
核兵器の使用を非難
激しい雨の中での式典で、教皇ははっきりと核兵器の使用を非難した。
「この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます」と述べ、「国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです」と語った。
教皇はその上で、世界中で武器に財が費やされるのは「無駄遣い」だと批判。さらに、「相互不信」によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があると指摘した。
長崎では、10代で被爆した下平作江さん(85)と深堀繁美さん(89)が教皇と対面した。
AFP通信によると、下平さんは「私の母と姉は真っ黒焦げになって亡くなった」と語った。
「生き延びたとしても、人間らしく生きることも死ぬこともできない。(中略)それが核兵器の恐怖です」
ヴァチカン・ニュースによると、日本には約53万6000人のキリスト教カトリック信者がいるが、これは人口のわずか0.5%未満。日本では仏教と神道がもっとも広まっている。
長崎は、キリスト教が禁止されていた17世紀ごろ、信仰を守った「隠れキリシタン」の場所として有名。
アメリカの軍用機は1945年8月6日、広島に史上初の原子爆弾を投下した。アメリカ軍は、原爆投下によってアメリカ本土での犠牲者を出さずに戦争を早く終わらせられると考えていた。
広島では同年末までに推定約14万人が原爆の影響で亡くなったとされ、その半数は、最初の爆発によって死亡したと考えられている。
投下された原爆は戦時中に開発されたばかりのもので、当時のハリー・トルーマン米大統領は、広島への投下後に初めてその存在を明らかにした。
その後も日本が降伏しなかったため、アメリカ軍は3日後の8月9日に2つめの原爆を投下した。当初は福岡県小倉が標的とされていたが、悪天候のため急きょ、長崎への投下が決まった。
日本は6日後の8月15日に降伏し、第2次世界大戦が正式に終了した。
原爆投下の是非や市民への深刻かつ永続的な影響については、現在に至るまで議論が続いている。