破産農家から億万長者に チェイス・ウオツカの誕生秘話

ウィル・スメイル、ビジネス担当

ウィリアム・チェイスさん

画像提供, Lawrence Looi (STF)

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イングランド北西部の田園地帯、ヘレフォードシャー州のジャガイモ農家にしては、ウィリアム・チェイス氏は良いパブリシティーや面白い逸話がいかに大事か熟知している。

32歳で破産したチェイス氏はこの才能に助けられ、48歳の頃には億万長者となっていた。

そこへ至るまでには高級ポテトチップスとして大ヒットしたブランド「ティレルズ」を設立し、売却し、世間の注目を集めたスーパー超大手テスコとの闘いで勝利を収めた。

チェイス氏は現在56歳。自分の農場で栽培したジャガイモから作る高級蒸留酒「チェイス・ウオツカ」ブランドの創業者兼オーナーだ。これまで立て続けに事業を起こしてきた同氏によると、「みんな裏話が大好きだ。それが実話なら」という。

「ティレルの草創期からずっと、メディアは自分にとってとても大事だった」と、同氏は振り返る。

「当時の私は、スーパーマーケットにたたきのめされた男。そんな負け犬を応援するのが、人々は大好きなんです」

「恥ずかしかった」

ヘレフォードシャー州レオミンスター近郊のジャガイモ農家に生まれたチェイス氏は、20歳の時に「20万ポンド(約3260万円)も貸してくれる勇敢な銀行支店長」を見つけ出し、実家の農場を父親から買い取った。

ジャガイモの価格は変動が激しく、不安定な経営が12年間続いた。そして1992年、豪雨のため収穫ができなくなる。畑の作物が腐っていくのをただ見ているしかなかった。

チェイスさんは生まれながらのジャガイモ作りだ
画像説明, チェイスさんは生まれながらのジャガイモ作りだ

資金繰りが行き詰まって経営は破たんし、チェイス氏は破産申請を余儀なくされた。「自分が情けなくて、恥ずかしかった」。

数カ月ほど「オーストラリアへ逃亡」した後、ヘレフォードシャー州に戻ったチェイス氏は、借金をして管財人から農場を買い戻し、経営を再開する。

今度は収入を補うために、仲介業者となって複数の農場からジャガイモを買い付け、スーパーへ売りさばいた。

こうして経営は立て直したものの、チェイス氏はスーパーが「完璧な見た目」のジャガイモしか受け付けてくれないことに不満を募らせていく。

「毎日トラック10台分のジャガイモを出荷しても、5台分が返されてくる。自分たち農家に対するスーパーの扱いは本当に辛かった」

チェイスさんの会社はジンも作っている

画像提供, Lawrence Looi (STF)

画像説明, チェイスさんの会社はジンも作っている

そんなチェイス氏の人生は、2002年にがらりと変わった。スーパーが返品するジャガイモを、米国のポテトチップス・メーカー、ケトル社が買い上げていることを知ったのだ。

ケトルは当時、「高級ポテトチップス」を売り出していた新参メーカーのひとつだった。量販ブランドより厚めに切ったジャガイモを、手作業で揚げていた。

ポテトチップス作りの経験も知識もないチェイス氏は、自分にも高級チップのブランドを立ち上げることができるはずだと確信した。

そこで英国内のポテトチップス・メーカーに電話をかけ、製造過程をみせてほしいと頼んでみたが、全て断られた。しかしこれにくじけず、米国へ飛んでペンシルベニア州とコロラド州の工場を訪問する。

そして帰国後、実家の農場にポテトチップス工場を建設。農場からその名を取ったティレルズは、6カ月後に操業を開始した。

テスコとの戦い

チェイス氏は早速、ブランドの知名度を上げるため、地元紙にそれまでの経緯を紹介。ポテトチップスのサンプルを携え、国内各地にある個人経営の食料品店を2週間かけて回った。

「ティレルズはどんどん大きくなって、目覚ましい収益を生み出した。私たちが店に1ポンドで売り、それが2ポンドで販売される。我が社の純利益は35%にも上った」と、チェイス氏は振り返る。

ウィリアム・チェイスさん
画像説明, チェイスさんはポテトチップス会社を2008年に売却

ウェイトローズをはじめとするスーパーもすぐについてきた。しかしチェイス氏は、最大手のテスコにだけは頑として売ろうとしなかった。農家に値下げを迫るテスコの態度が不愉快だったからだ。

ところが2006年のある日、友人からの話で、テスコがティレルズのポテトチップを売っていたことを知る。テスコは非正規のルートでポテトチップスを仕入れ、推奨価格よりも安く店頭に出していたのだ。

これに激怒したチェイス氏は、テスコに販売中止を要求した。テスコ側がこれを拒否したため、同氏はBBCラジオ4のニュース番組「Today」に出演するなどメディア戦術を開始。結果としてテスコは引き下がった。

ティレルズ・ポテトチップスの売り上げは伸び続け、数年後には年間1400万ポンドに達した。チェイス氏は生産拡大のため、銀行から融資を受ける。銀行側は条件として、経営を補佐する幹部チームを新たに招き入れるよう求めてきた。

チェイス・ウオツカの原材料となるジャガイモの収穫

画像提供, Matt Cardy

画像説明, チェイス・ウオツカの原材料となるジャガイモの収穫

チェイス氏はそれまで自ら熱心に現場に立ち、事業のあらゆる面を好んで手助けしていた。しかし新しい経営陣を迎え入れたことが、最終的に会社を変容させてしまうほどの弊害をもたらしたと、同氏は話す。

「会社はいつしか私の意に反する方向へ進んでいた。新しい経営陣は、どうやってもっと会議を開くか話し合うために会議を開くようないわゆるビジネスマンだった」

社内にはびこり始めた大企業的な風潮に不満を抱き、さらに前妻との「ややこしい」離婚争議も抱えていた同氏は2008年、自ら独占していた同社の株式を4000万ポンド近い値で投資会社に売り渡した。

蒸留酒ビジネス

ティレルズの新オーナーは、ジャガイモを別の農場から仕入れ始めた。そこでチェイス氏は新事業として、農場で採れるジャガイモから上等のウオツカを作ることを思い立つ。

もはや資金力には何の問題もない。チェイス氏は蒸留装置を購入し、「チェイス・ウオツカ」がこうして誕生した。

750ミリのウオツカ1本を作るためにはジャガイモ300個が必要だ

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画像説明, 750ミリリットルのウオツカ1本を作るにはジャガイモ300個が必要だ

高級志向の市場向けで、小売価格は1本35ポンド(約5600円)だ。

ポテトチップスに比べてもうけがずっと少ないことは同氏自身も認めているが、そこにはもうけ目当てではない楽しみがあるようだ。輸出に主眼を置いているため、同氏は世界各地での売り込みに多くの時間を費やす。

宣伝の腕前は衰えを見せない。毎年世界中から著名なバーテンダーたちをヘレフォードシャーの農場に招き、ジャガイモ栽培やウオツカ醸造の現場を紹介している。

チェイス蒸留所は今やジンやウイスキーも手掛け、販売のペースは毎週1万本に上る。

「ブランドを築きたければ自分の物語を大勢の人に聞いてもらわないとならない。ただし成功するには、物語の裏に本当の本物がないとだめだ」とチェイス氏は言う。