日本経済団体連合会(経団連)の定例会見で、中西宏明会長が「2021年春以降に入社する学生向けの採用ルールを廃止するべきだ」と発言したことで、各方面に波紋が広がっている。企業にルール順守を求めた安倍晋三首相、議論を歓迎する声をあげた経済同友会、早々に異論を唱えた大学など、その反応はさまざまだ。
経団連に期待されていた「ある役割」
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人事コンサルタントである筆者が日頃接する企業の人事担当者の間では、今回の一連の騒動は二つの驚きをもって受けとめられている。
一つ目は、中西会長の発言が予想以上に踏み込んだものであったことへの驚きだ。
2021年春入社の採用については、どの企業にも「東京オリンピックへの配慮」が期待されている。ボランティア要員として期待されている大学生たち、とりわけ4年生に活躍してもらうには、遅くとも(開催前月の)2020年6月中には就活を終えてもらう必要があるというわけだ。
オリンピックでのボランティアを前提に就活スケジュールを組む発想自体の是非が問われて然るべきところだが、それをさておいても、実務的に考えてオリンピック前後の首都圏は、採用面接・セミナーの会場などを確保するのが難しい。そのため、2021年春入社の採用は例年より前倒しで行うべき、という共通認識を社会全体で形成する必要性があった。
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具体的には、採用スケジュールを(現在の6月解禁から)3カ月早めることを誰かが正式に宣言する必要があり、経団連にはまさにその役割が期待されていたところだった。
ところが、中西会長の発言は、オリンピックのために必要な2021年春入社の前倒しどころか、2021年以降も視野に入れ、横並びの新卒一括採用という採用形態のあり方に疑問を投げかけるという、企業人事にとって想定を超える踏み込んだ提言だったのである。
不安煽ってきたマスコミにも「ある変化」
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二つ目の驚きは、マスメディアがこの一歩も二歩も踏み込んだ提言を、文字通り正面から受け止めたことだ。すでに多くの企業が守っていない「就活ルール」というハリボテ制度の廃止をきっかけに、新卒一括採用・新卒市場主義の人事管理のあり方を本格的に見直す動きに、メディアが乗ったのである。
横並びの採用選考を廃止しようという議論そのものは、今までに何度もあった。1962年と1997年には、実際にルールを廃止したこともある。しかし、議論が起こるたびに「廃止は分かりました。で、現実的な解禁日はいつ頃になるのですか」と、暗黙に横並びのルール・ガイドラインを求めるのが従来のマスメディアのパターンだった。
あるいは、経団連が何を発表しようと、「青田買いの過熱が予想される」「学生生活を蹂躙する」などと企業側を悪者に仕立て、不安を煽る報道がこれまでのマスメディアのステレオタイプでもあった。
ところが今回は、日本経済新聞が「就活ルール見直し、企業は通年採用へ 雇用慣行の転機」(9月5日付)と題し、すでに通年採用に取り組んでいるソフトバンクの「学生が就活をしたい時期、企業が人材をほしい時期に採用するのが本来あるべき姿」との発言を紹介しているように、単なるスケジュールの早期化ではない、新卒一括採用の終焉への動きとして報じている。
テレビのニュース映像でも、不安を述べる学生や大学関係者の姿とともに、海外大学の卒業生やインターン活動に本格的に取り組む学生など、従来の一括採用の枠組み外にある多様なあり方をピックアップするものが目立った。
リクナビ、マイナビが決める採用スケジュール
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実際、新卒一括採用が廃れ、通年採用にシフトしていくとはどのようなことなのか。企業人事のオペレーションの視点から考えてみたい。
まず、実態として明らかにしておきたいのは、「3月説明会、6月面接解禁」という経団連の新卒採用指針通りに、実際のスケジュールは動いていないということだ。青田買いのためにルール破りをしているわけではなく、経団連はじめ企業側は、単に採用スケジュールを決める立場にないだけである。
では誰がルールメーカーなのか。それは、実は「リクナビ」「マイナビ」に代表される就職ナビサイトだ。
例えば、2019年春卒業予定の学生向けサイト「リクナビ2019」は、2017年6月1日にサイトオープンしている。つまり、学生たちは3年生の6月から、自身のアピールポイントを入力することが期待されている。
これに対し、入力を済ませた学生たちに企業が連絡できるのは、2017年8月11日から。企業側が協定などで決めているわけではなく、リクナビ側がそのように規定しているからだ。経団連の採用指針によって抑制されている3月以前の会社説明会は、実際の内容に関わらず「インターンシップ」「仕事研究会」などと名づけられ、その告知・応募受付もサイトが定めるスケジュールの中で進められている。
採用活動はすでに通年化している
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ある経団連加盟企業の2019年春入社の採用スケジュール概要を例示しながら、企業人事の声を紹介したい。
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この企業では、説明会から内々定までの流れを4回繰り返している上に、前年の夏からインターンとしての事前マッチング、また人材紹介会社を経由した候補者との面談対応も長期間にわたって設定している。
「実質的に1年中ずっと採用面接をしている。終わらない仕事をえんえんとしている感じ」(通信大手の人事担当)
未曽有の求人倍率が示すように、企業の人材獲得競争は激化している。なかなか採用できないだけでなく、内定を出しても入社直前まで辞退される可能性がある。そんな状況のもとで、長期間学生とコンタクトできるナビサイトがある以上、企業人事は採用活動を行い続ける必要があるのだ。
言ってみれば、年がら年中動いているナビサイトというプラットフォームにより、採用・面接活動はすでに通年化している。学生側も、ごく限られた人気企業を除けば、いつでも選考に応募できるようになりつつあるのが現実なのである。
企業人事担当のリアルな声を聞いてみた
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すでに実質的には選考が通年化しているのに対し、入社日だけが「4月1日」固定であることが無理を呼んでいるという声も出てきている。企業人事のリアルな声をさらに紹介しよう。
「4月1日に全員入社させようとするから無理が出る。内定を出した学生をインターンやアルバイトとして勤務させ囲い込む、IT系ベンチャーのやり方がうらやましい」(自動車大手)
「新卒に欠員が出た時、中途採用や第二新卒で採用枠を埋めることが許される外資系やベンチャーがうらやましい」(医薬大手)
「内定を出してから1〜2カ月後にほぼ全員が入社する第二新卒採用は、採用する側としては気が楽だ」(食品大手)
もちろん、通年採用を疑問視する声や、人事のあり方を再考すべきとの声もある。
「入社日がバラバラになれば、内定研修から入社時研修、その後のローテーションや人事管理もバラバラになる。人事でそこまで管理できるのか」(通信大手)
「日本の大学が3月卒業である限り極端な変化は考えられないが、これだけ採用に手間がかかる現状がある中で、人事部門がまとめて採用する今のやり方には限界が来る」(大手食品)
「将来的には、海外企業のように各部門でそれぞれが採用や教育を対応することになるだろう。人事部門の存在も、従業員のキャリア管理も、根本から変わる」(大手商社)
「現状でこれだけストレスがかかる仕事を各部門に預けても、受け入れられるとは到底思えない」(大手医薬)
日本的人事戦略の根幹とされた新卒一括採用、雇用慣行の転換は、人事部門のあり方そのものを当然根幹から変えることになる。
しかし、現場をつぶさに見てきた人事コンサルタントの立場から率直なところを言えば、採用難で疲弊し、いまや採用市場に受け身の立場となってしまった企業の人事部門に、自ら意思をもって変革を先導する余力はもはやないのではないか。
秋山輝之(あきやま・てるゆき):株式会社ベクトル取締役副社長。1973年東京都生まれ。東京大学卒業後、1996年ダイエー入社。人事部門で人事戦略の構築、要員人件費管理、人事制度の構築を担当後、2004年からベクトル。組織・人事コンサルタントとして、のべ150社の組織人事戦略構築・人事制度設計を支援。元経団連(現日本経団連)年金改革部会委員。著書に『実践人事制度改革』『退職金の教科書』。