日光東照宮の「陽明門」や「三猿」が大規模な改修を終え、3月に新たな姿でお披露目された。鮮やかな色彩に蘇り、美しい姿を見せている。
しかし、ネット上では「これでいいの?」と疑問の声も。特に三猿の表情を指し、「顔が変わっているように見える」という声が上がっている。
確かに素人目には変化があるように見える。今回の日光東照宮の修復はどんな裏付けでおこなわれたのだろうか?
BuzzFeed Newsは、現場の職人と、文化財の修復に携わる研究者に話を聞いた。
「違和感を感じて当然」その意味は?
今回の「平成の大修理」(2013年〜19年予定)は、「昭和の大修理」(1969〜73年)以来、約半世紀ぶりの本格的な改修だ。
色や輝きが落ちた装飾部分や、腐朽が進行する木部を改修・修理している。
今回、特に話題になっているのは「見ざる・言わざる・聞かざる」で有名な「三猿」の彫刻だ。国重要文化財「神厩舎」の全8面にわたって取り付けられている。
これまでも約10年ごとに修復作業を繰り返してきたが、8面すべてを塗り替えるのは65年ぶりという。
作業を担当した、日光社寺文化財保存協会の浅野和年技師長は、修復にあたっての指針をこう話す。
「現状を極力残すことが基本的な指針。『昭和の大修理』で作られた見取り図を参考に、過去の職人が残した姿に極力近づけ、彩色や修理をおこなっている」
三猿をはじめ、屋外に面した彫刻は外気にさらされ傷みやすく、下地があらわになっていく。そのため、彫刻部を建物から取り外し、一度現状の色をすべて落としてから塗り直す方法を取っている。
半世紀前に残された見取り図を見ながら、彫りの形に合わせ、猿の毛色や表情をゼロから描き上げる。今回の現場メンバーには、当時の職人の弟子にあたる人もいたそうだ(同協会はWebサイトで実際の見取り図も公開している)。
ネット上で「表情が違う」という意見も上がっていることを伝えると「ゼロから描き直す以上、先の太さ、筆のタッチなどが最終的に個人の力量や個性になるのは事実。違和感を感じる方もいて当然だと思う」という答えが返ってきた。
寺社によって修復へのスタンスは異なり、塗り直しはせず、劣化防止に力を入れるケースもある。日光東照宮は、江戸時代の造営以来、常に時代に合わせて修復を続けてきた。
現在は「文化財」として、現状の維持・保守を最重要に掲げているが、ある時には現場の監督者の意向で、従来とまったく違う色で塗り直したという記録も残っているという。「修復を続けていること自体が“ひとつの伝統”」だ。
研究者の視点は?
文化財の修復には、現場の職人だけでなく、考古学的な見地から研究者も多く関わっている。どのような姿勢で見ているのだろうか。
「一般の方が見られた時に違和感があるのは、ある意味自然な反応だと思います」
日光東照宮では「陽明門」の調査を担当し、平等院鳳凰堂などの修復にも関わる龍谷大学の北野信彦教授はこう話す。
「違和感があるのは自然」な理由のひとつは、色味の変化。
研究者は表面に残った痕跡を分析し、なるべく塗った当時のトーンに近い色味を示す。金箔がはげた部分や、色あせたものを塗り直すと相対的に派手に見えることは少なくない。
最近の事例では、姫路城の漆喰を塗り直す大規模修復の後、その白さから“白鷺城”ならぬ「白すぎ城」と揶揄された――ということがあった。当時の彩色を再現すると、見慣れた色味からは離れてしまうのだ。
もうひとつは、職人の手作業であること。
先述のように、建築物や屋外の文化財は修復の際に一度すべて色を落とすことが多い。その分、職人それぞれの技量に頼るところも大きくなるため「変化が生じてしまうのは否めない」。
とはいえ当然、すべてが個人にまかされているわけではない。世界遺産や国宝、重要文化財の修復にあたっては、文化庁のチェックもあるため「現場が勝手に判断したり、修正することはまずできません」。
「見た目の印象を見て違和感や異論があっても、学術的には裏付けがありますし、研究者も現場の職人も真摯に取り組んでいます」と北野教授は話している。