新型コロナウイルスの感染拡大を抑え込むために、居酒屋も休業や営業時間の短縮が求められている。
店の経営者や従業員はもちろん厳しい生活を強いられているが、通う場所がなくなった我々呑兵衛たちもつらい毎日だ。
居酒屋は「不要不急」の場所と思われているが、果たしてそうなのだろうか。テイクアウトをしても、ぽっかり空いたこの心の穴は何なのか。
酒場愛が高じて、酒場専門の雑誌を創刊、日本全国の酒場を呑み歩いてきた、『古典酒場』編集長、倉嶋紀和子さん。
自由に通えなくなった今、人にはなぜ酒場が必要なのかお話を伺った。
※インタビューは5月13日夕方にZoomで行い、その時の情報に基づいている。
テイクアウトを買いに行く日々 店主さんは苦労されている
ーー新型コロナが流行する前は、どのぐらいの頻度で酒場に通っていたのですか?
その時々によりますけど、下見のために行ったり、取材で飲みに出たり、なんかかんかで酒場に飲みに出歩いて、はしご酒しているような状況でしたね。
月曜日から日曜日まで毎日というほどではないですけれども、1週間に一度も呑みに行かないことはない。多い時は毎日のように酒場で呑んでいることもあります。
ーー今はどうされているのですか?
今はテイクアウトをされている酒場に日々、ご飯を買い出しに行っています。お酒の販売の許可がおりている店もありますので、そういうところではお酒も一緒にテイクアウトしています。
ご飯のみならずお酒もテイクアウトできるというのは、呑み手にとってもすごくありがたいことなんです。食と酒のプロに、つまみに合わせてお酒を選んでもらえる、保温マグを持参すれば抜群の温度帯で燗つけしてくれた燗酒も家呑みで楽しめる。そんな贅沢もできるんですから。
これまで通っていたお店はほとんどのところが、休業しているかテイクアウトになっていますね。
時短営業した上で店内呑みをされているところも、お客さんを1組か2組に制限し、ご近所の馴染みさんだけに限っていらっしゃったり。万が一、何かあった時に連絡が取れる人だけに絞っているわけですね。
ーーあちこちでテイクアウトされているのですか?
自宅から徒歩で行ける範囲内で、まずはこれまでお世話になってきた酒場で、ご挨拶まわりを兼ねてテイクアウトしています。
あとは、取材も兼ねて、新しいお店にもテイクアウトしに行ったりしています。酒場のことを紹介する毎月の連載で、今はテイクアウトをどんな感じでやってらっしゃるのかなということを紹介していますね。
ーーみなさん工夫されていらっしゃいますか?
それは本当に感じます。
やっぱりテイクアウトなので食中毒も気をつけなければならないでしょうし、日頃テイクアウトされていないお店だと、全く違うやり方になるでしょうから、どういった材料をどれぐらい仕入れて、と仕入れから全く変わる現状もあります。
すごくご苦労はされているのだろうなと、肌で感じますね。
ーー時間を短縮して店内営業を続けているところもありますね。東京だと午後8時閉店で、アルコールを出すのは7時までと要請されています。その時間を気にせずにこれまで通り開いているところもありますか?
私が実際にお邪魔しているところは、時短営業ばかりです。
酒場を愛するからこそ、今は通えない
ーー時短営業で飲むことはなさらないのですか?
私は酒場で飲むのは自粛をしています。もちろん、いわゆるソーシャルディスタンス(社会的な距離)を取り、ガイドラインを守って環境を整えているところには、呑み手側もそれらをちゃんと守れるのであれば飲みに行ってもいいのではないかと私は思っています。
ただ、私自身が、酒場に行くと絶対誰かしらに話しかけてしまう癖(へき)がありまして...。それはやってはいけないな、1人飲みも控えておこうかなと思って、テイクアウトにしている感じです。
ーー逆に言うと、1人呑みでも誰かに話しかけたり、話しかけられたりすることを楽しみにされていたのでしょうか?
そうなんです。私は人に逢いに行くために酒場に行くことが多いので、今の状況だと逆に迷惑をかけてしまうかなと思って...。
ーーお店の人や他のお客さんに迷惑をかけてしまうかもしれないことを心配しているのですね。
それは考えますね。酒場でクラスター(集団感染)が発生した、となった場合、発生源が自分だったりした日には目も当てられないです。そんなことを考えてしまいます。
ーー自分のためというよりかは、自分の好きな酒場が困ってほしくないから我慢されているのですね。
そうですね。私がお邪魔しているところはテイクアウトに重心を置かれているところが今は多いです。店内営業も、もちろん換気をしっかりされて、席は離して、手指を消毒してというところばかりですね。
ーーそういうところに他のお客さんが通うことはいいと思うのですね。
国や都が基準、ガイドラインを出して、それに対応できている環境であれば、と同時に呑み手もきちんとそれらを守れるのであれば、それはいいのではないかと思います。
酒場は人が集う場 「あの時間が過ごせない喪失感」
ーーそもそもご自身で、『古典酒場』を作ろうと思われたのは、酒場のどういうところに魅力を感じてだったのですか?
もちろんお料理やお酒も楽しみの一つなんですけれども、私の中では、そこにいる人に逢いに行くというのが一番大きな楽しみなんです。
知らない人とでも、そこでは楽しい酔い時間を紡げるのが魅力なのではないかなと思います。なので、狭いお店に心惹かれますね。
ーー大将やスタッフの方だけでなくて、お客さんとのやり取りもですね。
そうですね。常連さんたちとのやり取りも楽しみの一つです。
ーー今、テイクアウトをされている店に取材も兼ねて通われているということですが、酒場という名前には「場」という言葉が入っていますね。どういう場なのだと思って通われてきたのですか?
やはり「人が集う場」というのがメインだと思って通っています。一つの寄り合い所のような場所。そういうところなのではないかなと思っています。
ーーそういう場所を大切に思うからこそ、今は行かないと決めてらっしゃる。ご自身にとっては行かない生活はどうなのでしょう?
非常に哀しいことです。日々日々、哀しい。
テイクアウトするためにお邪魔しても、「ああ、ここで呑めないんだ…」と思う。前のように、たまたま隣り合ったお客さんも含めてみんなでわいわい呑んでいた、あの時間が過ごせないんだ、というのはやはり、とてもとても大きな喪失感です。
酒場で作っていただいたご飯を食べられるとは言っても、「場」が違う。同じものなのだけれども、やっぱり家で食べ呑みするのとは、味わいが違います。虚しさを感じることはやはりあります。
ーー他のお客さんも同様に感じているでしょうか?
呑み手って、私のように話しかけるのが好きな人もいれば、誰も話しかけてくれるな、自分だけの時間を味わいたいという人もいるので、それはそれぞれなのだろうと想像しますね。
酒場は「不要不急」か?
ーー中には人と集う場としての居場所が失われた方もいらっしゃると思います。そういう人にとって酒場は「不要不急」なのでしょうか?
スーパーが不要不急でないとするならば、酒場も同じ立ち位置なのではないかなと思うのですね。今なら、日常の食べ物、飲み物を買いに行く場所という風に考えています。
ーー何を求めて酒場に通うかは人それぞれだと思いますが、飲食をするためだけに、腹を満たすためだけに通う場所とは思われないからこそ、『古典酒場』のような人間模様を伝える雑誌を作られてこられたのだと思います。そういう人間関係は「不要不急」でしょうか?
「不要不急」というのが、どういう観点で使われているのかが私には今ひとつピンと来ないのです。娯楽だからやめろ、趣味嗜好性があるものだからやめろと言われているのか。
ただ、私にとっては、「不要」なものではないです。酒場という場がなくなってしまったら…。そのことを想像するだけでも、言葉を失ってしまいます。
ーーしかし、居酒屋の店主さんや店員さんにとっては死活問題ですね。そういうお話も聞かれていますか?
はい。いくらテイクアウトを始めたとしても、売り上げは平常の足下にも及ばないぐらいとおっしゃる店主さんもいらっしゃいます。その中で家賃や光熱費を払って、日々、生活費も稼がなくてはいけない状況に置かれている。
そういう姿を見ると、生きていくためにはやらなければならないこともあると思います。
ーー酒場は感染対策の観点では、行くなと名指しされてしまう場所です。それについてはどうお考えになりますか?
行くなとは言われていないですよね。営業時間がイレギュラーではありますが、行ってはいけない場所ではないですよね。
国や都が「こういう風にしたら3密にならない」と示した基準で営業しているなら、そして呑み手もそれを守れるのであれば行ってもいいと思います。
飲食店に求められている時短営業は、朝5時からから夜8時までとされていますが、朝だからコロナがうつらないということもないわけですよね。時間帯というよりも、環境の方が大事なのではないかと思います。
ーー緊急事態宣言も緩める地域と続行する地域が出てくると思います(5月14日に39県で解除)。緩和されるにしても、ウイルスが残っている以上、しばらく前と同じように過ごしていいとはならないと思います。制限の中で酒場との付き合い方をどういう風にしていきたいとお考えですか?
目に見えないウイルスが原因で感染するから、すごく難しいと思います。専門家ではないので、酒場の環境が大丈夫なのかどうかは私には判断がつかないのです。
だからこそ、国や都が示している基準をクリアすることが一番重要だと思います。すごく厳しくし過ぎる必要はないと思うのですが、基準をクリアして営業が続けられれば、ベストだと思います。
ウイルスがなくなる日がくるとするならば、その時まで酒場がちゃんと残っていられるような形で、酒場を支えていければと思っています。
ーーそういう輪は広がっているのですか?
今は集まって呑むことはできないので、個々人で、自分の身近な酒場を応援する。自分の生活範囲でテイクアウトして、それぞれの酒場をそれぞれで支えるということではないかと思います。そうするしかないのかなと思います。
示されている基準を守らずに営業した結果どうなるのだろうというのが私にはわからないですし、それが安全なことなのかもわからない。
万が一、その基準を破ってやったとして、また流行が酷くなった場合、どうするのか。その酒場に迷惑をかけることになるのではないか。そういうことを考えちゃいますね。
自分に感染症の専門の知識がないので、示されている基準に従わざるを得ないです。
「何をやっているのだろう」「助けになっているのか?」悩む日々
ーー専門家は「新しい生活様式」を作るよう訴えます。このまま酒場で呑めない日々が続くとして、その新しい生活に耐えることはできそうですか?
うーん。正直私自身は厳しいなぁと思います。酒場に行って、誰とも喋らずに、グッと呑んで帰る、となったとして、それは私にできるかなと思います。でも、大好きな酒場で呑むためには、ちゃんとできるようにならなくちゃいけないですね。
ーー今、酒場に呑みに行かなくなってどれぐらい経ちましたか?
小池さん(都知事)の記者会見があったのが3月の終わり頃ですね。そこから酒場では呑んでいないですね。
ーー喪失感とおっしゃっていましたが、倉嶋さんの場合は自分の半生を酒場に懸けてきたようなものですね。酒場と一生関わるつもりで生きて来られたと思うのですが、急に災害のような形でその生活が絶たれました。人生が変わるような痛みなのではないかと想像するのですが。
本当に虚しい喪失感がただただあります。自粛要請が出て、酒場呑みを自粛するようになってから、逆に自分で料理をすることが減りました。酒場のテイクアウトを食べています。
それなりに酒場自体には足を運んでいるのですが、そこで作ってもらって、家まで持って帰る道すがら、「ああ、何だろう。この日々は」としみじみ感じるのですね。
これだけ美味しいものをいただいて、いいお酒を、燗酒まで作ってもらったりもして、それを家で食べる、呑むのはすごく贅沢なことだとは思うのです。
でもものすごく、「何をやっているんだろう」という徒労も感じるし、果たしてこういうことで酒場を救えるのだろうかと懐疑的になる時もあります。
いったい自分はどうしたらいいのだろうとすごく迷う時もあります。日々、悩みの中にいる感じです。
私の中では自分がその場に身を置けないこともとても辛いことなんですけれども、それよりも、酒場の店主さんたちがお店を辞めちゃおうと追い詰められてしまうことの方が心配です。
酒場の店主さんたちのために何か役立ちたいと思っても、結局自分は何もできていないのではないかという無力感が大きいです。
ーー次のアクションも考えているのでしょうか?
今、仲間と一緒にプロジェクトを立ち上げようとしているところではあります。今、失われつつある横丁をインターネットを利用して応援する取り組みです。
Zoom呑みは?
ーーネットと言えば、新型コロナ以降、「Zoom呑み」など、ネットの画面を通じて一緒に呑むということも流行っています。やられたことはありますか?
1回やりました。
ーーどうでした?
好きな人はもちろんそれでいいと思うのですけれども、個人的にはまだ今ひとつしっくり来ない感じがあります。縛られるのが嫌なので、「いったいいつこれが終わるのだろう」ということを考えちゃうんですよ(笑)。
リアル酒場だったら、この一杯呑んだら次の酒場に行こうーって、ひとり自由気ままに呑めるんですけれども、Zoom呑みは仕組みがよくわからないので、この飲み会がいつまで続くんだろうと思うのがきつい。
ーーとてもよくわかります。現実の場や空間に一緒にいることは何が違うのでしょうね。
Zoomで呑み会をした時に思ったのは、違うのは空気かなと。
やっぱり酒場にいると、音とか隣の人が話している言葉がある。自分に話しかけられているものでなくてもそういうBGMがあっての空間なのかなと思うんですよね。
Zoom呑みだと、もちろんそんなものはないし、画面を一歩外れると、全くの日常の自分の家がある。何だろうこの差は、と思います。お酒を呑んでいるから気持ちはいいのですが、頭は妙に醒めている感じがあります。
ーー音や人の声、匂いや明るさなど色々な要素がリアルな酒場にはあると思うのですが、それの何が魅力なんでしょうね? すごくよくわかるのですが。
何か予定調和ではないところがいいですよね。私がやったZoom呑みは仲間内の呑みだったので、話す内容も面白いのですが、予定調和なんです。
酒場に行くと、普段出逢わない人と出逢えますよね。
いつもと違うなという感じを味わいに行くのも楽しみの一つだったなと改めて思います。
なぜ人は酒場に通うのか? 「一人だけと一人じゃない時間」
ーーそこをもう少し聞きたいです。酔っ払って会話を覚えていないことだってありますよね。倉嶋さんも取材に行ったのに酔っ払って聞いたことを忘れて、店主さんが代わりにメモを持たしてくれるということもありましたね。ああいう交わりって、家族からも得られないものですね。
そうですね。やはり自分だけの時間を持てるというのはすごく大きいですね。特に、この今の状況だと、家族と同じ空間にいることが長くなります。
やはり一人で楽しむための時間が酒場にはあったなと思います。仕事を兼ねることも大部分になっているのですが、でも仕事とも家庭とも違う場というのは、私の人生の中ではとても重要な、大きい場なんだなと思います。
ーー1人であることを楽しむのは何がいいのでしょうね。倉嶋さんは結構、大勢との呑み会もなさっていますが、一人呑みが多いのですか?
そうですね。仕事でなければほぼ一人呑み。一人呑みが好きです。自由なのがいいですね。
ーー1人を楽しむことは、他の場所ではできないでなぜ酒場ならできるのでしょうね。
酒場は1人なようで1人でないところがいいのだと思います。完全に一人じゃなくて、おかみさんとお話をしたり、たまたま隣り合った人とちょっと2、3会話を交わしてみたり。
ずっと喋っているわけではなくて、黙って呑んでいる時間の方が多いのだけれども、その合間、合間に差し色のようにそんな会話が入ってくる。そうすると、いい時間をもてたなと思いますね。
何者でもない、自分でいられる場所
ーーそういう「いい時間」は感染対策の目線では「些細なこと」と切り捨てられてしまうと思うのです。でも酒場に通う呑兵衛からすると、それが人生の中で重要な時間ですよね。
そうですね。べったりではなく、そこはかとなく触れ合っている。そのソフトタッチな関係が心地いいんですかね。
ーー職場はそれなりに濃厚に付き合います。家庭はもっと濃厚に付き合いますね。そうじゃない人間関係って、人にとってなぜ大事なんですかね。
やはり「個」の時間というのが何かしら必要なのかもしれません。何者でもない自分でいられる場所というんですかね。
ーー役割がない感じですかね。
そうですね。まっさらな感じでただ、呑んでいる。それだけである自分というのがどこか根っこのところでないと、日々立ち行かなくなるような気がします。
ーー仕事でも家庭でも濃厚な人間関係だからこそストレスはありますね。そこから解放される感じですかね。
後腐れなくバカ話ができるのもいいですよね。
ーー出た時には、入る時とは違う感覚になっている感じですよね。
いい出逢いがあった時は、最高に楽しい気持ちでお店を後にできますよね。
ーーそういう時間って人間の生活に必要ですよね。
そうですね。楽しい時間は何かしら必要ですよね。息抜きの場でもありますし、ストレス発散にもなるのでしょうし。
酒場の文化を守るために
ーー人によっては酒場ではなくてもいいのかもしれませんが、酒場がこれほど世界各国でも続いてきたのは、人の生活にとって重要だからですよね。
これだけ酒場の文化は長く続いていますものね。
ーーこの文化を潰してはいけないのではないかと思います。芸術領域だと、「この文化を潰してはいけない」と応援されやすいのですが、「酒場」「居酒屋」となると、「なくても生きられるでしょ?」と言われてしまう。呑兵衛の一人としては悔しいのです。この文化、守りたいですよね。
今のこの状況がなくなった先に酒場がもしも0軒になっていたら、いったいその先、何を楽しみに生きていったらいいのだろうと心底思います。とにかく酒場は残さないといけない。ちゃんと営業が続けられる状況にはあってほしい。
ーー感染拡大は防げた、でも酒場はなくなった、だと、人によっては何のために生きているの?と思う人もいると思います。居場所でもあるわけですよね。私は医療記者なのですが、感染防止ばかりして大事なものが失われたら、意味がないじゃないかと思うのです。
今の酒場の状況を見て思うのは、店主さんたちは手探りなんです。果たして今、こういう風に努力していることが感染の防止につながっているのかなと、医療の専門家でもないのでわからない。でも営業はしないと生活は成り立たない。
それで行き着いたところがテイクアウトだと思います。
こういう風な間仕切りをするとか、こういう店舗設計にしたら、コロナの感染が防止できますよ、というモデルを専門家が示してくれれば、それに合わせてお店作りをすれば再開できるのではないかなとも思います。
あまりにも店主さんたちに対応を任せすぎている。責任が重いことだから判断が大変だと思います。カウンターに透明なシートを張ったり、一人席のところに透明パネルを立ててみたり、工夫を凝らされている酒場もあります。
そのあたりの心理的負担も除いてあげられないのかなと思います。
ーー倉嶋さんが2007年に古典酒場を創刊された当時さえ、そもそも酒場は失われそうな場所だったわけですよね。そこに強い一撃を食らった状況ですが、酒場を本当に古典にしてしまっていいのか、と思いますね。
それは強く危惧しています。老舗の酒場さんほどSNSも全くやっていないお店もありますし、そういうところはテイクアウトを始めたとしても情報を拡散できないからお客さんが来ない現状があると思います。
古い酒場になればなるほど存続の危機を覚えていて、心配しています。
ーーそのために呑兵衛ができることはなんでしょうね。
自分で言うと、テイクアウトを買いに行くことでしょうか。お酒も一緒にその酒場で買う。酒場の店主さんたちは、酒の目利きでもあります。そのプロが選んだ酒は、ちゃんと付加価値のついた値段でテイクアウトをしたい。そうやって何とか呑み食べ支えできればと思います。
ーー今はこうやって支えながらどんな未来を夢見ていますか?
一番の願いは酒場でただ普通に呑める。ただただそれだけです。あの何ヶ月か前までのあの状態で呑めるなら、なおさらそれほどいいことはないのですが…。
酒場なしでは生きていけません。
【倉嶋紀和子(くらしま・きわこ)】 酒場雑誌「古典酒場」編集長
1973年熊本県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士前期課程修了。三度の飯より大好きな酒の本をつくりたい、と07年「古典酒場」を創刊。泥酔しては記憶喪失、そんな日々の呑んだくれ生活を綴った「古典酒場編集長酔いどれブログ」を運営。熊本復興応援雑誌「古典酒場特別編集 熊本酒援酒場」発刊。著書に『Tokyo ぐびぐびばくばく口福日記』(新講社)。TV「にっぽん酒処めぐり」(CS旅チャンネル)にて、酒蔵&酒場ナビゲーターとして出演中。TV「二軒目どうする?」(テレビ東京系)のおつまみさんとして時々出演。
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