子宮頸がんの原因となるヒトパピローマウイルス(HPV)への感染を防ぐHPVワクチン。
公費でうてる「定期接種」でありながら、接種後に体調不良を訴える声が相次ぎ、国が対象者に個別に通知する積極的勧奨をストップしてから6年以上が経ちました。
その間、接種率は70%以上から1%未満に落ち込み、日本は先進国で唯一、若い女性を子宮頸がんから守れない国として、国内外からの批判を浴びています。
予防接種行政に長年携わり、HPVワクチンの政策決定にも関わってきた元厚生労働省健康課長で、現在環境省審議官の正林督章(とくあき)さんに、なぜ厚労省は積極的勧奨を再開しないのか伺いました。
マスコミの報道が世論を作った
ーーHPVワクチンなのですが、なぜ積極的勧奨を中止したまま6年以上も引っ張っているんですか?
今となっては、マスコミの方からそのように言われてしまうのですね。
ーーそれはマスコミがHPVワクチンは危険だという印象をミスリードしてきたという意味ですか?
積極的勧奨を差し控えた当時の世論には、マスコミの影響が少なからずありました。
ーー予防接種行政を担う役所として、当時のメディアの報道に対して不満がおありですか?
科学的なことをよく把握しないまま、「このワクチンは問題あるじゃないか」という論調で報道していたメディアもあったと思います。2013年4月に定期接種化した直後の4月、5月で毎日そのような報道がなされて、日本国民の間であのワクチンは危ないワクチンという方向に世論が導かれていったように思います。
その印象は今もたぶん国民の中から抜け切れていないのではないかと思います。
ーーそれは感じますね。
だから、再開したからといって、それだけでは国民が「ああそうか。じゃあ安全なんだ」とは思ってくれないでしょう。
ーーまだそういう空気は醸成されていないとお考えですか?
醸成されたという印象はあまりないですね。
ーーそれはメディアだけに責任があると思いますか?
メディアの役割は大きいですね。多くの方は、メディアからしか情報を得られないですから。
海外の行政はぶれていない 日本は?
ーーしかし、海外の国でも同じようにHPVワクチンに反対する運動は起きています。デンマークでもテレビが被害を訴える人たちのドキュメンタリーを放送したら、その途端、接種率ががたんと下がりました。それでも行政は態度を変えなかった。行政はこれは安全なワクチンだからと、勧め続けました。メディアが科学的でない言説をまき散らかしたとしても、行政はブレてはいけないのではないですか? 科学的に行政はこう判断するから、積極的に勧めるし個別通知もしますよとなぜ毅然とした対応が取れないんですか?
副反応を訴えている人たちは、嘘を言っているわけではなく、実際に体調不良を起こしています。因果関係があるかどうかわからない状況で、専門家で作る副反応検討部会が、定期接種は維持したまま積極的勧奨をするのは一時停止する方がいいとした判断は、いまだに変更されてはおらず、厚労省としても尊重しなくてはならないのではないでしょうか。
また、その指摘を裏返すと、マスコミはいい加減なことを書いてもいいように聞こえます。それはいいのですか?
ーーそれは違います。確かにマスコミの報道は問題があると思います。メディアが科学的でない情報を出すのは別に批判されるべきとして、予防接種行政を決める人たちはブレてはいけないのではないかと思います。厚労省の説明文書のリーフレットの下には、メリット・デメリットを説明した後に「HPVワクチンは、積極的におすすめすることを一時的にやめています」と一文がある。あれでやっぱり危ないワクチンなんだなと読んだ人は思ってしまいます。
では、自分たちが一生懸命報道しても、行政が動かなかったらどう思いますか? 自分たちが一生懸命この方向に持っていきたいと思って報道していても、行政が全く動かなかったら全く逆のコメント言いませんか?
ーー腹立たしいでしょうね。
私は、2013年4月以降、何度も記者会見や記者説明会を開きました。当初はワクチン懐疑派の記者さんたちからかなり厳しい叱責を受けましたが、その後はいい加減再開しろ、というご意見はいただいたことはなかったと思います。
これだけこのワクチンはしばらく様子見た方がいいんじゃないかという世論の中で、「再開しましょう」とはなかなかならないでしょう。
ーーでも、国が積極的勧奨再開の方針を示したら、メディアも一斉に報じるはずです。日和見的なメディアこそ、「これは行政も安全性にお墨付きを出した」と、一斉に報道し始めるでしょう。これだけこう着状態が続いているならば、行政がメディアをリードする方針を示してほしい。科学的に理があるのですから。
マスコミの方はよくそうおっしゃるけれど、感覚的にずるいなと思う。もし、それが科学的に正確だとおっしゃるなら、なぜ自らそういう報道をしないんですか? なぜ、報道のきっかけをこちらに求めようとするんですか? あなた方には世論への強い影響力がありますよね。
ーーその通りです。私は十分ではないかもしれませんが報じていますし、メディアも行政も両方が動かないといけないと思いますよ。
マスコミの側で責任を取って、世論を戻せばいいじゃないですか。メディアが世論を変えてしまった責任まで行政にあるのでしょうか。
ーーそれはおかしい。世論は世論として、正しい方針は方針として示すべきじゃないですか。予防接種行政を担っているなら、科学的にはこれが正しいという筋道を示すべきだと思うんです。
当時の記者の方とは違うからなんとも言いようがないですけれども、マスコミ全体という括りで言うと、一貫性がないなあと思います。
ワクチン行政、どこで消極的になった?
ーー日本ではこれまで、何度も副反応騒ぎが起きては、ワクチンを差し控えることを繰り返してきましたね。経口生ポリオワクチンも一時中止されましたし、日本脳炎ワクチンも積極的勧奨の一時中止、MMRワクチンも髄膜炎が問題となって中止となり、ムンプス(おたふく風邪)を抜いたMRワクチンに切り替えられました。
おたふく風邪のワクチンを単独でうった場合、今でも全く同じ頻度で髄膜炎は起きているんです。
もっと正確に言うと、あの時はMMR(麻疹、おたふく風邪、風疹)という三種混合でしたが、定期接種なのは、麻疹と風疹だけで、おたふく風邪だけは定期接種ではありませんでした。でも三種混合だから三ついっぺんにうたざるを得なかった。
しかし、髄膜炎を起こすのはおたふく風邪のワクチンでしたから、当時の健康局長が謝罪までする事態になりました。裁判も当時起こされて、いったん中止して、裁判の結果、ワクチン会社は負けて、国は半分勝ち半分負けのような形になりました。法的な責任はないが、道義的な責任はあるという形で判決が出たのです。
ーーそれで予防接種法が書き換えられたんですよね。
そうです。1994年に、当時、インフルエンザワクチン接種後の後遺症の責任を訴える裁判も国は負けて、それ以前は義務規定だったワクチンを、努力義務規定に変えたわけです。定期接種からいくつかのワクチンは外されて、そこから20年間、ワクチンは暗黒の時代が続いてきました。
ーー振り返ると、裁判での国の敗訴は、予防接種行政が後退する影響を与えたし、日本人のワクチン不信につながってしまいました。定期接種を努力義務規定にしたのはどうなのでしょうか? 公衆衛生上必要があるから国としてうつべきだとしているのに、あなたの判断に任せますと言っているようなもので、努力義務はすごく分かりづらいです。
ただ、海外ではかつての日本の予防接種法のように法律で強制的に打たせるという国はないと思います。
アメリカですら、小学校に上がる時に、このワクチンとこのワクチンを受けていないと入れさせませんよという、事実上の義務のような形になっているだけで、予防接種法なんて法律を持っている国はそうないのです。うつうたないの判断は、どこの国も一応本人に与えられていると理解しています。
「ワクチンギャップ」「ワクチン後進国」と呼ばれて
ーー日本では努力義務にしたことがきっかけで、うつのもうたないのも個人の自由というメッセージを国民に与えてしまった気がします。その感覚は、HPVワクチンの現状にも影響していますか?
根底にはあるかもしれません。20年間暗黒の時代が続いて、2009年に新型インフルエンザ騒ぎが起きた時に、「ワクチンをやっぱりちゃんとやるべきなのではないか」と逆の風が吹いたことがあります。
当時は、「ワクチンギャップ」とか「ワクチン後進国」とか色々言われたものです。私は長いこと結核感染症課にいて、当時7つのワクチンがギャップがあると言われていたんです。外国では当たり前にうてて、日本ではうてないものが7つあると、今度はワクチンを求める声が大きくなりました。
ーーHib とかHBV(B型肝炎)などですかね。
Hib、小児用の肺炎球菌、HPVワクチン、HBV、水痘、成人用の肺炎球菌、おたふくの7つのワクチンに関して、海外とギャップがあると言われていました。2013年4月以降おたふく以外の6つは定期接種にしました。
ワクチンの数だけで見ると、ギャップはほぼ解消されたわけです。おたふく風邪だけは単独でも前と同じ頻度で髄膜炎が起きているから、早くより安全なMMRが開発されないと難しいということで、その開発を待ちながら今日に至るわけです。
ーーいま、海外で使われているMMRワクチンの安全性はどうなんですか?
海外では「Jeryl-Lynn株」と言って、副反応があまり出ない株を使っているので安全だと言われています。
ーーそれを日本に導入することはできないんですか? MRワクチンが足りない時に、個人輸入で使われていますけれども。
多少時間はかかっても、できるはずですよ。だから今、その方向で開発が進んでいるはずです。
ーーそれが開発されれば、おたふく風邪もMMRにして定期接種にできるわけですね。
そうなるだろうと思います。
「ゼロリスク」を求める日本人の国民性
ーー副反応のショックというか、裁判のショックというか、厚労省も一度、副反応騒ぎになったワクチンには腰が引けているというところもあるんですかね? ワクチンはメリットとデメリットを天秤にかけてうつものですが、おたふくも安全なものが開発されるまでは定期接種にできないとするのは裁判のトラウマもあるのでしょうか?
裁判が影響したというのは、原因と結果が逆になっているかもしれません。
ワクチンはもともと健康な人にうつものなので、「リスクはゼロでないといけない」という国民性が根底にあります。接種後に重篤な症状が出ればその補償を求めて裁判が起きる。
そして結果的に裁判で負ければ、それに対して世論も、無理やりうたせて健康被害が発生するのは問題だ、ということになります。本来、リスクはゼロであるべきだというのが、日本全体の国民性でもありますから。こうして1994年の義務から努力義務に変える法改正につながったと理解しています。
ーーゼロリスク信仰は、日本特有のものなんですか?
聞いている範囲だと、限りなくゼロリスクを求める国民性は、外国と比べると特殊なものです。狂牛病が典型ですけれども、なぜあんな全頭検査をするのか。そんなことをやるのも日本ぐらいで、安全だけでなく、安心まで確保しないと前に進めない。
ーー福島の米もそうですね。全袋検査をして検出限界値以下が出続けています。
そうですね。これはもしかしたら分野に関わらず、日本人独特の感覚かもしれないですね。
ワクチン行政も、1948年に予防接種法が出来てから、ずっと副反応との兼ね合いで動いてきました。
国民全体が副反応はゼロでなければいけないという意識が非常に強いので、一人死亡ケースが出ようものなら、マスコミは毎日書き立てる。
国民受けするからマスコミも多分書くんでしょうけれども。いったんそのように火が付くと、行政が世論を無視して、このワクチンをうちつづけると宣言するのは難しいですね。
ーーHPVワクチンもそうした歴史やゼロリスクを求める国民の意識、マスメディアの報道の仕方の問題が絡み合ってこうなったという分析ですか。
そうだろうと思っています。
HPVワクチンどうしたら再開できるのか?
ーーHPVワクチンはどうやったら積極的勧奨を再開できると思いますか?
わかりません。ただ、国民の理解は重要です。
ーー9価ワクチンも承認申請してからずいぶん経ちます。審査は終わっているのでしょうか?
わかりません。
ーー今後、状況を変えるために何が必要なのでしょうか? メディアがセンセーショナルなことだけ取り上げて後始末をしない問題にしても、国民のゼロリスク信仰にしても、何を改善したら変わっていくと思いますか?
教育とマスコミの報道姿勢が改善すれば変わっていくと思います。
ーーなぜ日本人はゼロリスク信仰が強いのでしょう。
なぜでしょうね? 戦前の全体主義のようなものも関係しているのかもしれない。みんなと同じことをしていないと安寧を得られず、ちょっとでも違うものが出てくると排除したくなるような気持ち。その結果としてゼロリスクを信じるのかもしれません。
ーー医療の選択はリスクを伴う。インフォームドコンセントも広がってきましたが、結局、「先生がそう言うならとその通りにします」ということで決めたりしますよね。理科教育の問題ですか? それ以前の問題でしょうか?
理科教育も大きいのでしょうね。
厚労省の説明リーフレット 伝わりにくくないか?
ーーHPVワクチンについては説明の素材もあまり良くないです。厚労省のHPVワクチンのリーフレットも、メッセージがすごく伝わりにくいです。あれは誰が作ったのですか?
私が課長の時です。
ーー子宮頸がんそのものを予防する効果は現段階では証明されていないとかわざわざ書いています。不安にさせる要素がたくさん盛り込まれています。正確を期す、という意味なのかもしれませんが、国民にはわかりにくいメッセージです。
そういう見方もあるでしょう。でも嘘はついていないのです。現時点で言えることを正確に書いているということです。子宮頸がんそのものを防ぐエビデンスは残念ながらまだなくて、10年ぐらい先にならないと出てこないです。
ーーしかし、前がん病変で見つかったら手術するわけで、倫理的にがんになるまで放置して比較観察しようとはならないと思います。そういう意味で、子宮頸がんを防ぐというエビデンスは出しづらいはずです。
異形成の段階で見つからず、もっと後になって見つかる人もいます
ーー研究に参加している人は検診も受けるはずですから、がんになる前に手術してしまうと思うんです。がんになるまで観察を続けることはできないから、がんそのものを予防するエビデンスは出にくいと言われてますよね。
それは聞いたことないです。ワクチンをうったグループとうっていないグループを20年追跡調査して、途中で前がん病変を見つけたら手術する人もいるかもしれませんが、見つかった時にがんの人がどれぐらいの頻度でいるかを見ればいいはずです。
ーー検診をきちんと受けていたら、前がん病変の段階でほとんど見つかるはずですよね。
みんなが検診をきちんと受けていればそうですね。それに、前がん病変の時に全て手術で取ることはあまりしないと思います。
ーー軽度異形成、中等度異形成なら経過観察をすると思いますが、さすがに高度異形成になったら、円錐切除するのが一般的ではないでしょうか?
絶対手術するとは言えないと思います。観察もしている。元に戻ることがあるから、手術に踏み切れない人もいると思いますよ。
HPVワクチン、積極的勧奨再開のためには世論が必要
ーー再び、伺います。厚労省は、これ以上、何が整ったら積極的勧奨の再開に踏み切れるのでしょうか?
いろいろありますが、やはり国民の理解も大切ですね。
ーーそれにはメディアがもっと頑張れということですか。
国民に適切な情報提供ができるまでの間、積極的勧奨差し控えるとしています。ワクチンは感染症を防ぐことができるというメリットと副反応が生ずるというデメリットがあり、その情報に基づき、自分で判断して接種するというのが予防接種行政の基本です。
治療薬と異なり、健常者に接種するのでメリットをイメージしにくいのですが、接種によって感染症及びそれにより引き起こされる重篤な状態を防ぐことができるということがイメージできるよう、具体的にメリットを伝えるとともにリスクがゼロとなることはないということも理解してもらわなければいけません。
そして、場合によっては死に至る重い副反応もあるということをマスコミがしっかりと国民に情報提供し、国民の間に理解が進めば少し状況は変わるかもしれないですね。
ーーメディアもこの6年の間で積み上がった知見を伝えるべきですし、厚労省も再開してほしいと思います。WHOからも名指しで批判され、関連学会からも何度も要望されているのに、なぜ無視し続けられるのか、逆にその心の強さは何から来ているかが知りたいです。
国民の間に理解が進めば状況は変わると思います。そのためにマスコミの力は大きいです。
ーー今、残念ながらマスメディアの力はすごく弱まっています。東日本大震災以降、メディアに対する国民の不信感は強く、マスゴミとまで言われ続けています。そして、HPVワクチンの新しい知見を積極的に発信するメディアはまだ少ないです。
今日の取材は典型的ですが、なぜ私にそういう発言を期待するんですか?
ーーみんなで変わろうよと言いたいからです。我々メディアも変わらないといけないし、厚労省ももう6年経って知見も積み重ねられたのだから変わってほしいですし、一般の人もゼロリスク信仰を変えてほしい。でも少しずつ変わっていると思いませんか?
6年前に比べたらだいぶん変わってきたと思いますよ。
ーーエビデンスを報じるメディアも増えています。厚労省の副反応研究班長の池田修一さんの研究を批判する記事を書いた村中璃子さんを池田さんが訴えた裁判の結果は影響していますか? なぜ池田先生を今年度からまた厚労科学研究に採用したんですか?
それはわからないです。私は去年の8月に異動しているので、また採択されたのかも知らないし、研究班は厚労省の意向とは関係なく、研究評価の点数で機械的に決まっていきますから。
ーー池田班は、問題ある中間発表をして、厚労省も「この研究では何も証明されたわけではない」と異例の見解を出しているのに、再び採用するとなるとお墨付きを与えたかのように見えます。
研究班の採択は評価委員会で点数をつけて自動的に採択を評価委員会で決めるから、役所の意向は働きにくいですよ。
ーーこの先もこう着状態が続くことをよしとするのでしょうか?
いずれにしても、このワクチンに不安を感じている多くの国民の気持ちに変化がない限り、例え積極的勧奨を再開したとしても接種する人は増えないのではないでしょうか?
このワクチンへの不信感を払拭するために役所も新しい情報をリーフレットなどで国民に伝えるようにしていますが、世論を動かすためにはマスコミなどの報道も考え直してもらわなくてはならないと思います。
そして、副反応を訴えている方々も、一定の納得感を得られるように、治療体制の整備などに引き続き力を入れていく必要があると考えています。
(終わり)
【正林督章(しょうばやし・とくあき)】環境省大臣官房審議官(水・大気環境局担当)
1989年3月、鳥取大学医学部卒業。都立豊島病院での勤務を経て、1991年2月厚生省(当時)入省。厚生省大臣官房厚生科学課長補佐(ロンドン大学留学)、WHO(世界保健機関)出向などを経て、健康局結核感染症課新型インフルエンザ対策推進室長、結核感染症課長、がん対策・健康増進課長、健康課長を歴任。2018年8月に国立がん研究センター理事長特任補佐、2019年7月、現職。
訂正
正林さんの肩書きを訂正しました。