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満蒙開拓義勇軍に参加、16歳で亡くなった少年の思い 遺品の日記を故郷で活用へ

2025年1月6日 05時10分 (1月6日 05時10分更新)
 太平洋戦争の開戦前から戦中にかけて、日本が中国東北部に建てた傀儡(かいらい)国家「満州国」に送り出された「満蒙(まんもう)開拓青少年義勇軍」。その隊員として長野県開田村(現木曽町開田高原)から現地に渡り、1942(昭和17)年に16歳で病死した森田節夫さんの日記などが今年の戦後80年に合わせ、地元で活用されようとしている。研究家によると、農業、軍事両面の役割を担った隊員が現地で書いた日記は珍しい。 (阿部竹虎、写真も)

義勇軍の隊員として満州に渡った森田節夫さん=森田しげ子さん提供

 「村民かんこの声に送られ、我が故郷を出発ス。目的は内原訓練所。あこがれの内原訓練所」。森田さんは41年3月22日、茨城県にある義勇軍の内原訓練所へと出発した心境を日記につづった。義勇軍は日本の国策として各自治体に送り込みのノルマが課され、軍事訓練を受けた隊員は「鍬(くわ)の戦士」とも呼ばれた。
 同年6月に満州・寧安の訓練所に到着。翌年には自身の吃音(きつおん)を矯正する講習を受けさせられ、...

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