松山東高伝統のかけ声「がんばっていきまっしょい」に意外な歴史 調べた人の思いとは 生みの親にも聞いてみた
小説や映画、ドラマのタイトルとして有名な「がんばっていきまっしょい」。小説の舞台となった松山東高校伝統のかけ声で、運動会や気合を入れる場面など、学校生活のあらゆるシーンで使われています。卒業生だけでなく、愛媛の人にとって親しみのある言葉の一つではないでしょうか。
かけ声が生まれたのは約60年前にさかのぼりますが、背景を知る人は多くはいないかもしれません。卒業生の松﨑伸一さん(61)が実施した調査によると、当初は「しょい」ではなかったとか…? 10月25日に劇場アニメが全国公開されるのを前に、「がんばっていきまっしょい」の歴史と変遷をたどります。かけ声の誕生に一役買ったキーパーソンの上田健二さん(75)=松山市、大伴隆夫さん(75)=東京都=にもインタビューしました。(原田茜)
🏫 記念碑にないもの
松山東高グラウンドの国旗掲揚台そばに、高さ約1.8メートルの黒色の石碑が立っています。力強く書かれているのは「がんばっていきましょい」の文字。創立125周年記念事業の一環として、2003年に同窓会と教職員が寄贈したものです。かけ声の由来については「1965年ごろ、高橋俊三教諭と共に集団走する生徒の中から互いを励ますかけ声として生まれた」と刻まれています。
2003年に寄贈された記念碑。東高の頭文字「H」をモチーフに、二人の人が力を合わせている様子を表現している
ここで、ある違いに気付く人がいるかもしれません。小説などのタイトルが「がんばっていきまっしょい」なのに対し、石碑には促音の「っ」が含まれていません。この違いに目を付け、かけ声の歴史をひもといたのが四国電力(高松市)で執行役員土木建築部長を務める松﨑さんです。
「1982年に東高を卒業した私は“っ”が入らない方がなじみがありました。入るのかどうか、はっきりさせておきたいと思ったんです・・・
「“っ”が入らない方がなじみがありました」と語る松﨑さん
「がんばっていきまっしょい」の知られざる変遷をたっぷり紹介。かけ声の生みの親とも言える卒業生の上田さん、大伴さんの2人にも思いを聞きました👇
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