昨今の若者が音楽に興味を持ち、日本のロックを掘り下げたとする。
ミュージック・マガジンやロッキング・オン発の視点でのみ、日本の歴史は語られがちだ。
でも、例えば内田裕也を媒介にして語られるべき側面も絶対にあるはず。パブリックイメージのせいで、見過ごされがちだけど。
不当な評価が下されている重要事項が、歴史にはあまりにも多く存在するのだ。
伝説のロックバンド・ BOφWYの解散に焦点を当てたドキュメンタリームービー『 BOφWY1224 FILM THE MOVIE 2013』が、3月21日より全国公開されている。
現在、「 BOφWY」とはどういう存在なのか? “伝説のバンド”と称される機会は多いものの、その言葉にどれ程の神通力があるのか? 少なくとも小山田圭吾のリスナーで、同時に BOφWYを愛聴する人は少ないと思う。
あぁ、そうだ。「渋谷系」という言葉が発明された時期、 BOφWYは黒歴史になりかけた。シリアスに向き合うには憚られる風潮が、確実に存在した気がする。
1978年生まれの私からすると、その歴史的変換はショッキングでもあった。
まず、彼らをリアルタイムで体験していない。テレビへの露出を極端に制限しつつ、知らぬ間に東京ドームで解散してしまっていた。兄貴のCD棚にコレクションされている、ちょっと大人なバンドが BOφWYだったのだ。
当時、チャートを賑わせていたB’zやTMN、ユニコーンらと比較すると、そこまでポップに寄り切っていないのも良い。“売れ線”と揶揄されがちでもある BOφWYなのだが、我々にとって BOφWYは“売れ線”ではなかった。
何より、あの頃は「ヤンキー」が未だカッコ良い存在足り得ていた。大抵の中二男子なら、洗礼を浴びてしまっていたのだ。
話を戻そう。この映画を観るため、私が渋谷の劇場に足を運んだのは3月22日。客席を見ると、主な年齢層は30代半ば~40代のようだ。
身を以て、 BOφWYを体験した世代。
そして、映画はスタートする。ゴルチエの衣装に身を包んだ4人が静かに歩を進めるフィルムが、この作品のオープニングである。
彼らのクールな出で立ちに熱狂し、歓声を上げる当時の観客。手拍子が物凄い。“伝説”の熱量を推し量るには、これだけで十分だ。
……と思いきや、いきなり始まる「LIAR GIRL」。この映像には、見覚えがあるぞ。1987年12月24日、渋谷公会堂におけるライブ。Youtube等で、体験済みのやつ。しかし、映画館で観ると迫力が段違い。思わず、その場でヘドバンしてしまいそうになる。
言わずと知れた、氷室の圧倒的な歌唱力。その右サイドには、もちろん布袋寅泰。そういえば近田春夫が布袋のことを「根本的にヴォーカリストに向いてない」と評していたが、正直私もそう思う。ソロデビューから20年以上経つが、未だ慣れない。懐古趣味でも何でもなく、こちらのツーショットの方がしっくり来る。ムダな要素が、何一つ無いもの。
2曲目の「ANGEL PASSED CHILDREN」で跳ねまくると、すかさず氷室によるMCに突入。
「今夜は、特別な夜だぜ!」(氷室)
どう、特別なのか? この日の彼らには、秘めた思いがあった。
そして3曲目は、個人的に大好きな曲「BLUE VACATION」が登場。それにしても、氷室のアクションがブチ切れている。「氷室狂介」に戻ったかのような憑きっぷり。
また、この曲のギターソロを「ジングルベル」のメロディに差し替えた布袋寅泰がイカしてる。
4曲目の「ハイウェイに乗る前に」が終了すると、場内は暗転。すかさず、沸き上がる歓声。
実はこの時、最も大きく聴こえるのは布袋へのコールなのだ。当時、ギターキッズ内の“神”的存在として、どれだけ布袋への期待値が高まっていたか。如実に伝わってくる瞬間だ。
6曲目の「PSYCHOPATH」も、見もの。2013年に聴いても、無茶苦茶アヴァンギャルドだと思う。
ここで注目してほしいのは、同曲を作曲したのは布袋ではなく氷室であるという点。故郷・高崎ではさらしを巻いて街を闊歩していたような男が、こんな前衛的な曲を作るまでに成長した。 BOφWYというバンドにおける6年間が、どれほどジェットコースターだったか。
7曲目は「CLOUDY HEART」。ブルーのライトに照らされた布袋が奏でるオープニングが陰鬱で、至極ヨーロピアン。そんな曲調に、ヤンキー嗜好の抜け切らない氷室による歌詞が被さる。
これぞ、 BOφWYなのだ。彼らがブレイクした要因の多くは、この曲に凝縮されているように思う。
続いては、当時圧倒的な支持を勝ち得ていた楽曲「MARIONETTOE」が登場。チラッと映る観客が、跳ねまくっている。
9曲目の「わがままジュリエット」はバラードだが、氷室に力が入りまくっているため完全にロックナンバーと化してしまった。音程を一箇所も外さない氷室のヴォーカルスキルも驚異的だ。
一息付こう。氷室による、メンバー紹介。
「タフで、最高に優しい男です。
「ずーっと昔から知ってるけど、シブい男です。松井常松!」
「日本でギタリストはたくさんいるけど、こんなカッコいい奴はいません。布袋寅泰!」
熱く、バンドメンバーを紹介する氷室。そして、付け足しのように
「そんでまぁ、俺が歌を歌ってる氷室京介だ」、「キャーッ!!」(観客)
ここからはもはや、ウイニング・ラン状態。「LONGER THAN FOREVER」、「季節が君だけを変える」、「WORKINGMAN」と、弾丸のように畳み掛けて行く。
そして、決め手は「B・BLUE」。「ON THE WING WITH BROKEN HEART」というコーラスに乗り、観客全てが拳を振り上げている光景は、ちょっと物凄い。
そして注目は、この曲のギターソロ時。右手を軽く上げ、「バイバーイ」と呟く氷室の動きがカメラに収まっていた。やはり、そういう意味なのか? この日は、彼らの仕草がいちいちドラマチックだ。こちらからしたら、手当たり次第に勘繰ってしまう。
14曲目の「RENDEZ-VOUS」は、スタジオヴァージョンとまるで違う終わり方がカッコ良かった。
15曲目は「ホンキー・トンキー・クレイジー」。ロックと歌謡曲の融合として、一つの完成形だと思う。あまりにもキーが高い、布袋によるコーラスもお馴染み。そうなのだ、彼の声はこんな風に使われるべきなのだ。しっくり来た。
そして、続くは「PLASTIC BOMB」。私の周囲では、ラストアルバムの中で最も人気の高い曲である。
この曲でのサビ直前、氷室のアクションがブチ切れ過ぎてて異様なものと化しており、それが無茶苦茶カッコいい。またギターソロの後、布袋が何となしに奏でたギターが、この世のものとは思えないくらい滑らかで激しく、思い出しただけで鳥肌が止まらない。
17曲目の「BEAT SWEET」では、氷室のヴォーカルが一瞬“キヨシロー”入ってたのが面白い。またエンディング間近で、氷室と布袋が隣り合わせながらステージ前方に歩み進んでいくシーンは失禁モノだ。
三たび、氷室によるMCに突入。
「渋公選んで、ヨカッタと思います!」(氷室)
そうなのだ、彼らのターニングポイントにおけるハコは「東京ドーム」ではなく、やはり「渋谷公会堂」。新宿ロフトから巣立って行った“GIG”が売り物のバンド・ BOφWYには、この会場こそが相応しい。
続いては、彼らのデビュー・アルバム「MORAL」から2連発。18曲目の「IMAGE DOWN」では「イメージ、ダダダダダダダダダウン!」と、絶叫。これが、まるで地鳴りのよう。
19曲目の「NO.NEW YORK」は、歌詞があまりにも氷室京介(作詞は旧メンバー・深沢和明によるもの)。北関東から東京を想起した寺西修(氷室の本名)が、そのイメージを具現化したかのような内容になっていると思う。
ここで4人は、ひとまずステージを降りる。当然、場内はアンコールを要求。カメラは BOφWYを追いかけ、そのまま楽屋へ。
この時、例えば高橋まことの表情などは非常に明るい。カメラに向かっておどけてみせたりする。氷室に関しては、もはや疲労困憊といった感じ。隅っこで、黙々と着替える松井常松。ヘアスプレーをかけ、髪型を整え直す布袋寅泰。
数分後、ステージに再び上るメンバーたち。最後に姿を表したのは、氷室だった。
アンコールの1曲目は「MEMORY」。この曲を、氷室は非常に丁寧に歌い上げている。布袋の表情もどこか思いつめており、先程までの明るさはない。
続いての「ONLY YOU」演奏時に関しては、完全に何かをこらえているかのような様子を見せる氷室。
そして、またしてもステージを降りる BOφWYのメンバーたち。二度目のアンコールを要求する観客。この時、楽屋での4人は平静だ。と言うより「平静を装っている」と表現した方がいいかもしれない。
数分後、誰よりも早くステージに向かう氷室京介。再び戻ったそこには、客席から投げられた花束が横たわっており、それを布袋は氷室に手渡した。
「今日は、みんなに言わなくちゃならないことがあって」(氷室)
何かを拒絶するように、悲鳴を上げるファンたち。薄々、みんなが察している。
「6年間 BOφWYというバンドをやって来ましたが、これから一人ひとりが一人ひとりのために。今まで4人でしかできなかった音楽をやってきたように、一人ひとり、これからやって行こうと思います」(氷室)
瞬きの回数が異様に多く、涙がこぼれないよう取り繕う布袋。一方、完全に泣き顔の氷室。
「フォークのバンドじゃねえんだから、最後にビシっと贈るぜ。ドリーミン!」(氷室)
さっきまでのクールな振る舞いもどこへやら、完全に声が裏返ってしまっているが、それも気にせずに絶叫する氷室。
この湿っぽさ、わざとらしさが、アンチからすると“突っ込みどころ”なのかもしれないが、この渦の中にいると、まるで気にならない。そうか。「 BOφWY」はバンドでありつつ、現象でもあった。
こうして、6年間走り続けてきた BOφWYによる最後の演奏が始まった。あまりにもタイトなビートで、怒涛のように突き進む「Dreamin’」。
そしてまるで余韻を残さず、何事もなかったかのようにステージを降りていくメンバーら。館内は明るくなってしまったが、いつまでもアンコールを求め続ける観客たち。
「 BOφWYのメンバーは、ただいまの『Dreamin’』をもって、終わりました」
無情なアナウンスを送る係員に「お前じゃねんだよ!」と罵声を浴びせるファン。理性を失い、号泣している者も多い。
翌年4月の東京ドーム公演(LAST GIGS)は、メンバー曰く「少し早い再結成、同窓会みたいなもの」だそうで、やはりこの瞬間こそが終止符だったのだ。
思うに、こんな終わり方を成し遂げたバンドは、他に無かった気がする。「スピーディーに生き、若くして死にたい」という言葉があるが、それを BOφWYは体現してみせた。
だからこそ「一周回って、アリになってきた」とも言われる現在の状況は、少し寂しい。
それにしても、不思議なのは我々だ。この作品は、20年以上前のドキュメントフィルム。全部、知ってることである。なのに、全員肩を落として家路につく始末。漏れなく、みんながアンニュイなテンションになってしまった。2013年に。
オチを知っているのに、否が応にも浸ってしまう。タイムマシーンのような映画である。
「望んでいるけど、もう戻らない」という状況だからこそ、幾度でも思い出したい。やはり、再結成するべきではない。
(寺西ジャジューカ)