京都の五条河原町にある「マールカフェ」のテラス席から清水寺がある音羽山を背に
2024年9月2日の試合で引退した、フードファイター・小林 尊(こばやし・たける)氏。日本では2000年からテレビ番組の大食い大会などを制し、2001年にはアメリカのホットドッグ早食い大会で優勝。
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■アメリカで最も有名な日本人
アメリカのNetflixのプロデューサーから小林 尊に番組出演の打診が来たのは、2023年春のことだった。小林は新型コロナウイルスの影響で様々なイベントが中止になったこともあり、フードファイターとしての活動を休止して2020年に帰国、京都に住んでいた。
Netflixは新たに始めるライブ・ストリーミングの目玉企画の一つとして、小林とジョーイ・チェスナットの対戦を企画していた。ライブ・ストリーミングとはインターネットを使用した生中継配信である。
まずは2023年11月に『Netflix CUP』というゴルフカップを開催。これはF1ドライバーとプロゴルファーがペアを組み、優勝を争う大会だ。
翌2024年には、ボクシングの元世界王者であるマイク・タイソンが現役復帰、YouTuberからプロボクサーに転向したジェイク・ポールとの試合を予定していた。これらの試合と肩を並べていることでアメリカにおける小林の知名度の高さがわかる。
「コロナ禍の数年間、そして明けた後もずっと日本にいました。年齢的にも40歳を超えてから、大会に出ていないというのは、けっこうでかいだろうなと思っていました。
しかしNetflix側は諦めなかった。
このオファーについて、小林は友人である柔道家の野村忠宏に相談している。オリンピック3連覇を達成した野村は競技から離れてアメリカに留学していた時期があった。野村は小林の問いに少し考えた後こう答えた。勝つ気がないんだったらやるべきではないんじゃないかな、と。
「そう言われたとき、勝つ気がなかったらこんなに悩まないだろうって思ったんです。競技者として勝負に勝てるか考えている。ただ、まだ自分には勝つ自信がないだけでした。(フードファイトに)身体も心も冷え切っている。身体を動かし始めたら、心も温まってくるかもしれないとも思いました」
まずは部屋の中で簡単なエクササイズから始め、その後ジムでウエイトトレーニングに取り組むことにした。かつて小林はボディビルダーのような身体を作り上げていた時期もあった。
「マッスルメモリーっていうんですかね。一度鍛えた身体は間が空いて緩んでも、比較的簡単に戻せるんです」
■アスリートとして戦ってきた
小林がフードファイターとして注目されたのは2000年のことだった。小林を中心として『TVチャンピオン』(テレビ東京系)、『フードバトルクラブ』(TBS系)といったテレビ番組が人気となった。
2001年7月4日、ニューヨークで行われたホットドッグ早食い大会に初出場、大会新記録で優勝。以降6連覇を果たし、アメリカで最も著名な日本人となった。
2001年7月4日、アメリカ・ニューヨークのホットドッグ早食い大会。優勝した小林 尊氏(右)。左は新井和響(かずとよ)氏、中央は数々の世界記録を持つエリック・ブッカー氏 ⓒAP/アフロ
小林はフードファイトの競技化、競技者の社会的立場を確立するために戦ってきた男でもある。日本では月数万円の契約社員として抱え込もうとしたテレビ制作会社と訣別した。
アメリカでもホットドッグ早食い大会を主催するホットドッグ・チェーンのネイサンズが小林と独占契約を結ぼうとしたが、こちらも小林の知名度からすると不当に安い金額だった。小林は拒絶した。
Netflixと同時期、YouTubeやネイサンズからも大会出場の打診があった。
「YouTubeの提案はぼくの意図と違っていた。
自分の身体を使って危険なことに挑戦するという意味です。だから日頃の体調管理が重要になる。アメリカの大会に出てくる選手の中には、今すぐ病院に行ったほうがいいんじゃないかっていう人もいます。ぼくが復帰して勝ったとしても何も変わらないならば、出る意味がない」
フードファイターは普段の食事でもひたすら食べていると思われがちだが、小林氏はアスリートとして体調を管理するために食べすぎないようにしているという
消去法でNetflixが残る形になった。
2023年11月14日、小林はラスベガスで行われたゴルフの『Netflix CUP』に招待された。プロゴルファーのリッキー・ファウラーやF1ドライバーのカルロス・サインツなどが参加、ラウンド中には著名なDJによるブースなどが設置されていた。
かなりの資金が投じられており、Netflixの本気度を小林は感じた。そして、2024年2月、Netflixと出演契約を結び、本格的なトレーニングに入った。
■ルールを巡るせめぎ合い
〝シーズンイン〟すると小林はまず、大量の水を飲む。胃袋の容量を確認するためだ。5リットル程度の水を飲むことができた。5年近くトレーニングしていなかったが、かつてとほぼ同量であったことにまずは安堵した。そこから水の量を増やして胃袋を広げていく。
「以前ならば大会の2、3ヶ月前からこうした準備を始めていました。今回は対戦の時期がまだ決まっていなかった。7月4日に行う可能性があったので、余裕をもって今回は、4ヶ月前の3月から始めることにしました」
しかし、小林は7月4日に試合を行いたくなかった。
「『アメリカの独立記念日に日本人のぼくに勝ちたい。外国人に勝ってアメリカ人の誇りを取り戻したヒーローになりたい』というチェスナットの意図を感じていたんです」
ホットドッグはアメリカを代表する食べ物である。だからこそ、ネイサンズは独立記念日に大会を開催していた。この大会で、かつて小林の7連覇を阻んだのが、アメリカ人のチェスナットだった。
その後、小林は契約を断ったため大会から閉め出された。
2011年、小林はネイサンズの大会と同じ時刻の試合を主催し、チェスナットを超える世界記録を達成したこともある。チェスナットにとって、小林は目の上のたんこぶとも言える存在だった。
「ぼくは7月4日を避けること、そしてアメリカ、日本以外の第三の国で試合をすることを要求していました」
小林 尊 1978年生まれ、長野県出身。元フードファイター。2001年にニューヨークで開催された「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」で、初出場で世界新紀録を達成。10分でホットドッグ69個、8分でハンバーガー93個、10分でソーセージ110本など、数々の記録を持つ。2024年9月2日(日本時間3日)に行われたNetflixのイベントで引退を表明した
落とし所となったのが、9月2日、ラスベガスでの開催だった。7月半ば、小林はアメリカに渡っている。南カリフォルニアのビーチタウン、ヴェニスビーチの一軒家を借り、最終調整を行なうためだった。そこで久しぶりにアメリカのソーセージ、バンズを口にした。
「思った以上に食べられないことにびっくりしました。
以前はホットドッグを使ったトレーニングは週1回だったが、今回は週3回とした。
「舌の筋肉トレーニングにも力を入れました。舌に押しつけたスプーンを持ち上げるんです。また、飲み込むときに喉が嘔吐反射を起こしてしまう。喉の感覚をマヒさせるため、ソーセージを押しつける練習もしました」
胃袋の大きさは身体の大きさにある程度比例する。また身体が大きければ、喉の通り道も広い。173㎝と小柄な小林が、大柄な外国人を圧倒していたのは、こうした工夫があったからだ。次第にホットドッグを飲み込む感覚が戻ってきた。
フードファイトはボクシングのようにルールが確立されていない。体重別に分類されない上、何を食べるかという食材も大会によって変わる。その意味では、ルールを巡って事前にせめぎ合う異種格闘技戦に近い。最も大切な「ルール」である食材―ソーセージとバンズが決まったのは8月に入ってからだった。
「ぼくは硬くて太いホットドッグが得意。一方、チェスナットは細くて柔らかいのを好んでいました」
小林は喉を広げて飲み込む、チェスナットは咀嚼して飲み込むというスタイルの差だ。また、食材の選択は、どの食品企業がスポンサーにつくかとも関係がある。
「最終的には太くて柔らかいものになりました」
日本では見たこともないぐらい柔らかいソーセージなんですよ、と小林は苦笑いする。
「ぼくが練習していたのは、非常に硬くて太いものでした。そちらのほうが難しい。あえて難易度を上げていたんです。
ところが、試合で使うホットドッグを使ったとき、記録が伸びなかった。食べ方を変えなきゃいけないと思いました。練習すればちょっとずつコツがつかめる。マイナスからのスタートでしたが、どんどん記録が伸びていった」
■激闘の末に
後は時間との勝負だった。何らかの理由で試合を延期することはできないかと考えたこともあった。7月に行なうはずだったマイク・タイソンとジェイク・ポールの試合は、タイソンの体調悪化のために11月に延期となっていたのだ。
「ぼくは駆け引きが苦手なんです。アスリートのようにぱっと試合をしたい。これまでチェスナット側は色々と条件を出したり、約束を守らなかったこともあった。それに疲れていたので、もうやるしかないと心を決めましたね」
今年9月2日(日本時間3日)にラスベガスで行われたNetflix主催のホットドッグ早食い大会。ジョーイ・チェスナット氏(左)と小林 尊氏の激しい戦いが繰り広げられた ⓒBackgrid/アフロ
9月2日、小林はラスベガスで約5年ぶりにフードファイトの舞台に立った。10分間により多くのホットドッグを食べた側が勝利者となる。
小林はこの試合を最後に引退すると決めていた。
「ぼくはウエイトトレーニングをやるときも、これ以上やると筋肉が断裂しちゃうんじゃないか、ぐらいまで追い込むのが好きだったんです。でも今回はこれ以上やるとケガするかもしれないという思いが浮かぶようになった。以前よりアグレッシブさがないと、周囲から気付かれるかもしれない。もう最後にしようと」
舞台に上がったとき、小林は隣りに立つチェスナットを一瞥もしなかった。
「彼との勝ち負けよりも、自分に克つかどうか、しか考えていなかった」
結果は小林が66個、チェスナットは83個。チェスナットの勝利で終わった。
「今までどの試合も全力でやってきました。その中では上手くいかなかった試合もある。それがたまたま最後の試合であっただけ。やりきった感しかなかったですね」
チェスナットの83個については、「83という数字をぼくは想定していなかった。彼は十分準備してきたんだと思いました。すごい記録ですよ」と評価した。
「チェスナットとの試合が決まる前、ぼくは外に出たくない、何もやる気がしない期間が数年間ありました。鬱状態だったのかもしれません。
このまま引退しようか、じゃあ次、何やるんだと自問自答したんです。悩んでも悩んでも答えが見つからない。大会のステージに立って、全力で戦ったら、その時なんか見えてくるかもと思っていた」
でも結局、見えなかったんですと、ふっと笑った。
「競技としてのフードファイトの大会を自分の手で組織したいという思いもあります。フードファイターって栄養、食事の知識が必要なんです。自分で試行錯誤しながら身につけてきたことを後進に伝えていけたらいいなとも考えています」
取材・文/田崎健太 撮影/祐實知明 撮影協力/マールカフェ