「相手のポジショナルな守備構造の研究は困難になってきた実感がある」ガリアルディと考えるポジショナルプレーの未来(前編)
ポジショナルプレー3.0の胎動#1
ポジショナルプレー1.0をペップ・バイエルン時代の偽SB+5レーンの攻撃配置とすると、2.0はそれに対抗する5バックで横幅を埋める「ポケット封鎖」の守備配置であり、現在そこからさらに「ゾーンの間」を消滅させるマンツーマンプレスへと発展している。守備の進化の先にある3.0の胎動を読み解く。
第1~3回は議論の土台として、アントニオ・ガリアルディの論考を取り上げたい。イタリア代表のテクニカルスタッフを長く務め、2021年夏のEURO2020制覇にも貢献した彼は、その後ユベントスなどでアンドレア・ピルロの戦術コーチ、そしてつい先日まではロベルト・マンチーニのスタッフとしてサウジアラビア代表で仕事をしていた。現在はUEFA PROライセンスを持つ監督として独立し、その第一歩を踏み出そうとしている。
サッカー戦術の歴史、その進歩の過程について造詣が深く、『ウルティモ・ウオモ』にも「ポジショナルプレーの時代は終わったのか?」という、そのタイトルがすべてを物語る記事を寄稿。その続編として『ウルティモ・ウオモ』に掲載されたポジショナルプレーの未来を予見したダリオ・ペルゴリッツィとの興味深い対話を、前・中・後編に分けて転載したい。
この議論はここ数年、戦術に関心を持つ人々の間で広まっており、しばしばその対立項として語られる「リレーショナルサッカー」の台頭によって、ますます活発化してきている。
ざっくりと要約すれば、一方にはピッチ上での構造やポジショニングにより大きな注意を払うサッカー(最も有名な例を挙げればペップ・グアルディオラのバルセロナ)があり、他方には試合の文脈や状況に応じて選手同士のより自由な連携を許容するサッカー(リレーショナルプレーの原則が導入されているチーム、例えばカルロ・アンチェロッティのレアル・マドリー、フェルナンド・ジニスのフルミネンセ、ヘンリク・リドストレームのマルメなど)があるという構図だ。この二項対立を乗り越えてより深い理解を得るため、『ウルティモ・ウオモ』の寄稿者でUEFA-Bライセンスを持つコーチでもあるダリオ・ペルゴリッツィが彼にインタビューした。
「ポジショナルプレー原理主義者」が直面した悩み
――このところ、リレーショナルプレー、リレーショナルなサッカーという概念について多く語られるようになっています。今我々は1つの過渡期にいるわけですが、その中ですでにリレーショナルプレーという概念は広く知られるようになりました。あなたはそのキャリアを通じて長い間、ピッチ内外でポジショナルプレーの研究者、信奉者として知られてきましたよね。各年代の代表で導入されてきたマウリツィオ・ビシディの「CARPメソッド」(Costruzione=ビルドアップ、Ampiezza=幅、Rifinitura=2ライン間、Profondità=最終ライン裏)、ピルロ、マンチーニのスタッフとしての貢献など、あなたの仕事のほとんどはポジショナルプレーの理論と実践につながるものでした。しかし、このところあなたが書いたものを読むと、その考え方が変わってきたように見えます。何がこの変化をもたらしているのでしょうか。
「多くの人々と同じように、私もグアルディオラのバルセロナに魅了され、それ以来ポジショナルプレーというアプローチに着目して、その過去、現在、未来について探求を続けてきました。ヨハン・クライフのアヤックスとオランダについて重要な研究を行い、今もコベルチャーノの監督講座で使われているトータルフットボールについてのプレゼンテーションを作成しました。これは、当時のアヤックスやオランダとグアルディオラのマンチェスター・シティを、アリーゴ・サッキ、監督時代のクライフ、そしてルイス・ファン・ハールを経由して結びつける糸を見出そうとする試みです。私はポジショナルプレーと呼び得るすべてに魅了されました。そして今もそれは続いています。
私は、ポジショナルプレー原理主義者だったと言っていいでしょう。他の方法では勝利に到達できないと信じてすらいました。私の仕事の中でも時には、構造を保つことを重視するあまり選択に制限を加えるという失敗を犯したこともあったでしょう。私にとって構造はきわめて重要でした。マンチーニ、ピルロの下でコーチを務めていた当時も、チームはあらかじめ決められたパターンでプレーしていたわけではありませんが、今あらためて別の視点から振り返ってみると、結果的にはそれほど違っていたわけではないことに気づきます。相手の出方に合わせてほぼ常に同じ対応を選んでいたという意味で、ほとんど機械的な選択が行われていたからです。私はこれが勝利につながる優位性をもたらすと確信していましたし、当時それはおそらく事実でした。
その後私をポジショナルプレーから離れる方向に導いたのは、現場での直接的な経験でした。時間が経つにつれて、ユベントスでも、EURO優勝後のイタリア代表でも、さらにはトルコのカラギュムリュクでも、戦術的な困難に直面することが増えていきました。私の仕事は常に、対戦相手を研究して監督にその攻略法を提言することでした。もちろん、それぞれの監督のやり方に応じてです。例えば(アントニオ・)コンテの場合には、彼の好む攻撃パターンがはまる状況を相手の戦い方の中に探すというアプローチを取りました。マンチーニやピルロとの仕事では、相手の守備構造を研究してそれに応じた攻撃の構造を提言していました。しかし時とともに、以前は明らかだった優位性が徐々に減少してきていることに気づきました。それは、守備のやり方を変えるチームが増えてきたからです。
私は、この5~10年でサッカーを変えた要素として大きいのは、守備組織によってではなく人に基準点を置いて守るやり方が復活し、支配的になってきたことだと思います。マンツーマンのプレッシングだけについて話しているわけではありません。確かに(ジャン・ピエロ・)ガスペリーニは15年前からそういうスタイルで戦っており、当時から彼と戦う時には苦しめられました。しかし近年、人に基準点を置いてマンツーマンでタイトにマークしてくるチームは増える一方です。この事実だけでも、我々に変化を強いるには十分です。数年前までは年に2回、マンツーマンのハイプレスを仕掛けてくるチームを相手にするだけでしたが、ガスペリーニに追随する監督が増えた今は、それが年に10~12試合にも増えているわけですから。
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Profile
ウルティモ ウオモ
ダニエレ・マヌシアとティモシー・スモールの2人が共同で創設したイタリア発のまったく新しいWEBマガジン。長文の分析・考察が中心で、テクニカルで専門的な世界と文学的にスポーツを語る世界を一つに統合することを目指す。従来のジャーナリズムにはなかった専門性の高い記事で新たなファン層を開拓し、イタリア国内で高い評価を得ている。媒体名のウルティモ・ウオモは「最後の1人=オフサイドラインの基準となるDF」を意味する。