【MUTEK.JP 2024】今、アートはどこにある? ETERNAL Art Spaceで見つけた、アート鑑賞の現在地点

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Photo: Shigeo Gomi

アートは、なんだか難しそうでよくわからない。そんなことを聞くことがある。

果たして本当にそうなのか。私は、“アート”というものが、神聖視されすぎていると思っている。

11月22日から24日の期間、「MUTEK.JP 2024」の中で展示された「ETERNAL Art Space」は、難しく考えずとも感覚で楽しめる、アートの本質的な価値を思い出させてくれる体験だった。

世界を魅了するアートコレクティブが送る、ETERNAL Art Space

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Image: MUTEK

ETERNAL Art Spaceは、電子音楽とデジタルアートの国際イベント、MUTEK.JP 2024を成す一つの展示として開催された。渋谷ヒカリエのホール内に設置された、3面の巨大なスクリーンとサウンドシステム、そしてライティングを用いた、没入感の高いオーディオビジュアル・インスタレーションだ。

参加アーティストは、日本の映像、サウンドシーンを牽引する黒川良一(RYOICHI KUROKAWA)と、イタリアのアートコレクティブ SPIME.IM + AKASHA。黒川良一 (RYOICHI KUROKAWA)の「re-assembli」と「ground」、SPIME.IM + AKASHAの「HINT」の3作品が上映された。

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Image: MUTEK
黒川良一(RYOICHI KUROKAWA)

ETERNAL Art Spaceは、最先端のオーディオビジュアルインスタレーション、ショーケースを世界的に展開するアーティストコレクティブ集団である。これまで東京、サウジアラビア、オーストラリアなどで展示を開催し、高い評価を受けてきた。そんな彼らは今回、一体どのような世界を見せてくれたのか。

巨大3面スクリーンと、サウンド、ライティングが作る、圧倒的な没入体験

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Photo: 小野寺しんいち

「とりあえず、すごい。」

これが、第一に私が感じた印象だ。本展示のテーマは、「Humanity and the Modern System -Showcasing reality as art through a transformative experience-」(“人間”と“現代的な構造” - 現実を芸術として見せることで、それが観る者に変革的な体験をもたらす-)である。

日常の出来事や要素をアートにすることで、鑑賞者に新たな視点を与え、意識に変化をもたらすことを目的とした展示だ。

作品内では、3つのスクリーンが用いられ、人間、自然、廃墟となった建物、世界の街並み、さらには戦争、貧困、優雅な暮らしをする人々など、地球上に溢れる現実が、あらゆる角度から、あらゆるスピードで、怒涛の如く映し出される。映像だけではない。ビジュアルに連動して鳴り響く高音、重低音を織り交ぜたノイズミュージックにも近いサウンド、そして、様々な色を使ったライティングがさらに没入感を高めてくる。

鑑賞者は、日常で見ていたり、ニュースで眺めていたりする出来事を、普段とは全く異なる環境で体験していくことになる。

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Photo: 小野寺しんいち
映像が止まり会場が明るくなる演出

途中、映像と音が停止され、暗かった会場が明るくなるという演出もあった。急激に現実に引き戻されると同時に、スクリーンに映し出されている世界と、鑑賞者が今ここに存在しているという状態が、地続きであることを体感させられる。

また、本展示に席はない。任意の床の上に座り、場合によっては場所を変えて鑑賞することができる。その構造上、鑑賞者は自分の意思で作品を鑑賞する場所を決めた主体者となる。作品と鑑賞者という役割を超え、両者が一体となっていく感覚すら覚えた。

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Photo: Inoue Yoshikazu

本作を鑑賞するのに、作品の制作技法に対する深い知見も、アーティストのこれまでのキャリアについての理解も、作品に関する事前知識も、特に必要はない。ただその場に行き、全身で味わうことで体験が完結する。

上映後、目まぐるしく映し出された世界が脳裏に焼き付き、人知れず興奮している自分がいた。この体験こそ、アートと呼ばれるものの、醍醐味だと改めて感じた。

アートとは、一体なんなのか

冒頭の話に戻す。アートは本当に、難しくて敬遠されるようなものなのか。アートとは、一体なんなのだろうか。

大前提として、日本においてアートという概念は、輸入品であるということを理解しておかなければならない。西洋で長く培われてきた「Art」。

※「Art」は西洋的な美術や芸術全般を指す概念で、「アート」は日本で独自に解釈され、日常的・商業的なデザインや創作物も含む広義の表現として使われることが多い。

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Image: Yuri Turkov / Shutterstock.com

かつてはキリスト教を普及するためのツールであった絵画は、ルネッサンス期からレオナルド・ダ・ヴィンチを中心とする画家たちによって写実的な表現が追求されるようになった。しかし写真現像が普及すると、これまで絵が担ってきた役割を写真が代替し、Artでしかできないことが模索される時代に突入した。その後、Artとはなんなのか、たくさんのアーティストによって破壊、提唱が繰り返され、今にも続く現代アートに辿り着く。

Artは、長い文脈の中で、その作品の持つ意味を論理的に説明できるもの、という性質を帯びてきた。つまり現代アートにおいては、社会への問題提起などのメッセージ性が重要な要素として位置付けられるようになったのである。

本当に、私たちはアートを知らないのか

だいぶと端折って書いたが、こうした西洋の歴史の上に立っていない我々日本人にとって、アートは非常に難解に思われる。とりわけ日本における表現物は、装飾品などの目的を持ったものとして存在してきた歴史が、余計に事態を難解にする。

しかし、本当に私たちは、アートを知らないのだろうか。いや、そんなことはない。日常的に、漫画や映画を見て感動し、音楽の歌詞に心躍らせる。あれらはアートと何が違うのか。

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Image: MikeDotta / Shutterstock.com

2013年にはゲーム「パックマン」がMoMA(ニューヨーク近代美術館)に収蔵され、炎上した。パックマンはアートなのか、そうではないのか。

例えば、映画「スター・ウォーズ」、商業的な成功を収めている一方で、善と悪の対立を超えた調和という哲学的なテーマも描いたメッセージ性の強い作品でもある。あるいは「エヴァンゲリオン」、圧倒的なビジュアルと演出で見る人を興奮の渦に巻き込む一方で、他者との共生の難しさや喜びといった人間の普遍的な精神性も描かれている。こうした作品たちは、アート作品とは言えないのか。

対象物がアートなのか判断するには、アート自体の明確な定義が必要である。しかし、定義するのは非常に難しい。権威ある人々も様々な意見を述べており、だからこそ、いまだに「これはアートなのか?」をめぐって論争が起きる。

ただ、純粋な一個人である鑑賞者の視点に立ち返ると、正直アートかどうかの定義よりも、アートという形で具現化された表現物に宿る価値と、それをどのように楽しむかの方が、はるかに重要なことだろうと私は考えている。

アートは、脳内の分泌物がブワッと出るボタンを押すもの

現代アーティスト、村上隆氏は良いアートについて「脳内の分泌物がブワッと出るボタンを押すもの」だと語っている。それにより、強烈な中毒症状を引き起こすほどに、人の欲求を掻き立て、魅了してしまうのだと言う。

また、現代アーティストであり、東京藝術大学美術学部の日比野克彦氏は以下のように述べている

鑑賞する人が、物から発信された情報を受け取って「ああ、なんだかきれいだな」とか「懐かしい気分になるな」など、何らかの感情が湧きあがった時、その物と鑑賞者との関係性を「アート」と呼びます。

日本を代表する彫刻家、佐藤忠良氏は、「芸術は人生の必要無駄」と語った。以下に、彼が美術の教科書「少年の美術」に残した言葉を一部引用する。

美術を学ぶ人へ

私たちの生活は、事実を知るだけでは成り立ちません。好きだとかきらいだとか、美しいとかみにくいとか、ものに対して感ずる心があります。

詩や音楽や美術や演劇ー芸術は、こうした心が生み出したものだといえましょう。この芸術というものは、科学技術とちがって、環境を変えることはできないものです。しかし、その環境に対する心を変えることはできるのです。詩や絵に感動した心は、環境にふりまわされるのではなく、自主的に環境に対面できるようになるのです。

この直接役に立たないものが、心のビタミンのようなもので、しらずしらずのうちに、私たちの心のなかで蓄積されて、感ずる心を育てるのです。

自分が楽しめれば、それでいい

3者共に、見た人の感情を湧き上がらせることに、アートの価値があると説いている。私自身、アートの魅力とは、自分には考えもしなかった世界の見方を知れることであり、それによって自分の固定観念が崩されたり、新たな気づきを得たりすることだと考えている。そして、そうした体験を五感で体験させてしまうのが、アート表現の強みだと思っている。

日比野克彦氏の言うように、見る人がいて初めてアートが成り立つなら、むしろ主役は、あなた自身なのである。

アート鑑賞というと、あたかも”形式が決まった難しい競技”のように神聖視されている節があるように感じるが(点数評価をする日本の美術教育の弊害だと思われるが)、本質的には、自分自身の心を満たす、非常に個人的な活動なのだと思う。

その点で、先に挙げたパックマンもスター・ウォーズもエヴァンゲリオンも、見た人が心動かされたなら、アートと考えてもいいのではないだろうか。いやむしろ、アートかどうかが問題なのではなくて、その心動いた体験こそ、最も価値のあることだと私は思う。

私個人としては、もはやアートという言葉すら忘れて、「純粋にしたことのない体験をする、そして自分の心がどう動くのか感じてみる」、そういうふうに楽しめば十分なのではないかと思っている。

ETERNAL Art Spaceは、正に“アート”だった

改めて、ETERNAL Art Spaceを振り返ってみよう。ETERNAL Art Spaceは、圧倒的な体験により、村上隆氏の言うところの、脳内の分泌物をブワッと出してくれるものだった。頭で理解するよりも先に、身体が反応してしまう。それが、私の第一声、「とりあえず、すごい」という感情を引き出したのだと思う。

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Photo: Shigeo Gomi

そしてこの衝撃的な体験は、現代のテクノロジーが可能にしたものだった。解説を見ることで初めてその意味がわかるような難解な作品とは違い、映像を演出することで印象づけたいものを強調したり、強烈な音を使って恐ろしさや悲しさを想起させたり、あらゆる表現手法が取り入れられ、どかどかと感情の蓋を開けてくる。

その点、これまで体験したことがないほど、作品鑑賞の解像度が高かった。

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Photo: 小野寺しんいち

感ずる心が価値ある時代へ

時代によって、姿を変え続けてきたアート。昨今では、人類は全く新しい物作りの次元へと到達しようとしている。AIの登場である。

思い描いたものを一瞬で、低コストで具現化してしまうAIは、創造活動であるアート表現において、多大な影響を及ぼしつつある。これはまるで、写真が発明され、絵画の存在価値が損なわれた時と同じように、もはや上手い絵が描ける、リアルな彫刻が作れるといった技術的な優位性は、無に帰す時の訪れと言える。

そんな時代を、私たちはどうやって生きていけばいいのだろう。そのヒントが、佐藤忠良氏の言うところの“感ずる心”なのではないかと思う。ただ完成度だけが高いものを出されても、人の心は満たされなくなっていく。必要なのは、心を動かす体験だ。

ただ、それは放っておいても育たない。忠良氏の言うように、育むものだ。だからこそ新しい体験に自らを置き、感性を磨いていく積極性が、これからより一層重要になっていくのだと思っている。

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Photo: Shigeo Gomi

ETERNAL Art Spaceは、人間の感性とテクノロジーの素晴らしいコンビネーションを見せてくれた。写真というテクノロジーの発明が、新たなアートの可能性を開いたように、AIを正しく使えば、私たち人間の創造性はさらに広がっていくことだろう。

改めて、アート鑑賞という自分の感性を自由に羽ばたかせる時間の、大きな価値を思い起こさせてくれた展示になった。