今後40年で精子はゼロに?
男は呪われている。男の命運は尽きた。もはやそれは公然の秘密だ。いずれ死に絶える。女も道連れだ。そもそも男は女よりも早死にする。肥満や喫煙、酒の飲み過ぎや薬のやり過ぎで死ぬのは男が多い。働き過ぎで死ぬのも多い。男はさっさと死んで未亡人を残す。
死に急ぐだけではない。どうやら男は人類を滅亡へと導びこうとしているらしい。昨年の夏、ヘブライ大学(イスラエル)とマウント・サイナイ医科大学(アメリカ)の研究者らが発表した調査結果によると、米欧およびオーストラリアとニュージーランドに暮らす男たちの精子数はこの40年で半分以下に減った。つまり、今の男は祖父の代に比べて半分しか精子を作っていない。私たちの生殖能力は半減したのだ(研究チームは世界の他地域に暮らす男性のデータも参照したが、条件が違うので比較できないと判断して除外した)。
この論文は、ヘブライ大とマウント・サイナイの疫学者や臨床医などからなるチームが既存の論文185本のデータにメタ分析を加えたもので、約4万3000人の男の精液を調べている。結果は、人類がすでに繁殖不能への道を歩み出している可能性を示していた。精子数は1973年時点で精液1ミリリットルあたり9900万個だったが、2011年には4700万個に減っていた。しかも減少ペースは上がっていて、悪くすればあと40年でゼロになるという。
あわてた筆者は、マウント・サイナイの疫学者シャナ・H・スワンに電話した。生殖医療のプロで、論文の共同執筆者の一人だ。やけに暗い話だけれど、人類が滅亡に向かっているというのは本当ですか?
あいにく、スワン先生の返事は暗かった。「私たちの研究が『何を意味するのか』という質問には答えられない」としつつも、彼女はこう断言した。「これからどうなるのか、人類はいつ絶滅危惧種になるのかといった質問になら答えられる。ええ、人類は間違いなく絶滅に向かっています」
精子数は1973年時点から2011年にはほぼ半減、しかも減少ペースは上がっていて、あと40年でゼロになるという。
つまり、遠からず男と女のナチュラルなセックスで子を産むことは不可能になり、いずれは不妊治療の手も尽きて、絶望した最後のホモ・サピエンスは過疎の大都会をさまよって最後の日を迎えるというシナリオだ。
そんな事態に、なぜ私たちは気づかずにいたのだろう。基本的には、余裕があったからだ。1つの卵子を受胎させるには1つの精子で十分なのに、昔の男は1回に2億個もの精子を放出してきた。だから2億個が1億個に減っても心配はなかった。一方で人工授精の技術も進んだから、少ない精子で受胎が可能になった。いわゆる「少子化」が問題になっても、男のせいだとは思われなかった。経済的に自立したい女性が出産を遅らせ、出産の回数も減らしているせいだと考えられた。
実を言うと、生殖医療の専門家は何年も前から気づいていた。精子の減少を示唆する研究は1970年代からある。しかし決定的な証拠はなかった。そこでスワンは3年前に、ヘブライ大学の疫学者ハガイ・レヴィンやデンマークの内分泌学者ニールス・ヨルゲンセンらと組んで既存のデータを洗い直し、統計学的な手法で問題の全体像に迫ろうとした。
結果は衝撃的だった。精液1ミリリットルあたりの精子数が1973年当時に比べて半分以下に減っただけでなく、精子の総量も6割近く減っていた。つまり精液の量が減り、そこに含まれる精子の数も減っていた。そうであれば事態は一段と深刻だ。一般に、精液の濃度が薄い男性は死亡率が高く、糖尿病や癌、心臓病などになりやすいとされる。
テストステロン(男性ホルモン)の分泌も減っている。しかも、まだ母親の胎内にいるうちから足りていない。身体的な性差の指標の1つに肛門・性器間距離(AGD)というのがある。男性の場合、AGDは女性の2倍というのが相場だ。しかし男性ホルモンが少ないとAGDは短くなる。そしてAGDが平均より短い男性は一般に生殖能力が劣り、精巣の形成不全や精巣癌になりやすいという。なぜだろう? 何か原因があるはずだ。それが解明されれば、きっと精子の減少も止められる……と思っていたら、答えは意外なところにあった。
プラスチックがホルモンに与える影響
筆者はデンマークの首都コペンハーゲンに飛び、小児内分泌学の権威であるニールス・E・スカケベックに会った。御年82歳の彼は開口一番、男の不妊は深刻な危機だと言い、今や「デンマークの男の20%以上は父親になれない」と告げた。
スカケベックが最初に異変に気づいたのは1970年代の後半だという。男性不妊患者の精巣に異様な細胞を発見したからだ。それは精巣癌の前駆細胞で、しかも胎児のうちに形成されていた。長じて精巣癌になることを宿命づけられて生まれてくる男たち。子宮のなかで、いったい男の胎児に何が起きているのか?
研究を続けたスカケベックは、精巣形成不全と呼ばれる一連の症状(精子の劣化や精巣癌を含む)が胎内で始まることを突き止めた。妊娠中の母親が飲酒や喫煙を続けると胎児に悪影響があることは知られていた。そうしたストレスが胎児の生殖能力も損なっているのだろうか。
しかしスカケベックは、もっと決定的な原因を見つけた。それは産業革命に始まり、20世紀における石油化学産業の勃興がもたらしたもの。石油の浪費による二酸化炭素の大量排出は地球の温暖化を招いたが、石油化学産業はプラスチックの微粒子をまき散らし、それを体内に取り込んだ私たちのホルモン(とりわけ女性ホルモンと男性ホルモン)のバランスに深刻な影響を与えていた。
人のホルモンバランスに悪影響を及ぼす合成化学物質は、専門用語では「内分泌かく乱物質」と呼ばれる。通称は環境ホルモン。私たちが日常的に使うプラスチック製品の可塑性や強度を高めるために使われる物質の多くは環境ホルモンだ。妊娠中の尿検査で、こうした物質が高濃度で検出された女性から生まれる男児はAGD(性器と肛門の距離)が短く、ペニスも短く精巣が小さい傾向がある。前出のスワンによれば、胎児の睾丸が男性ホルモンを作り始めるのは妊娠8週目の前後。そのころから環境ホルモンのせいで男性ホルモンが足りなければ、AGDが短くなるのも当然だ。
しかも私たちはプラスチックに囲まれて生きている。ペットボトルや食品の容器、サプリメントや錠剤のコーティング、柔軟剤や乳化剤、洗剤、便利な包装材。食品加工の装置にも使われているから、微量ながらも確実に私たちの口に入る。現代社会に生きる私たちは、いやおうなく環境ホルモンを体内に蓄積させている。
しかも、その影響は遺伝する。肥満による精子数の減少は遺伝しないが、化学物質の影響で男性ホルモンの分泌が減った場合、その傾向は息子に受け継がれる。つまり精子の少ない親から生まれた子の精子は、もっと少ない可能性がある。
日常的に使うプラスチック製品は環境ホルモンを含み、微量ながらも確実に私たちの口に入り、体内に蓄積させている。
次なる取材先は、2018年5月にスウェーデン・ストックホルムで開かれた国際精子学シンポジウム。そこでヘブライ大学のハガイ・レヴィンに会い、マウント・サイナイのシャナ・スワンらとの共同研究が「何を意味するのか」を確かめるのが目的だ。
開幕前夜の夕食会で、私はさっそくレヴィンと話をした。まだ40歳の彼は本当に男たちの、そして人類の未来を憂えていた。「明るい希望を持つのはいいが、最悪の事態に備える必要もある」。レヴィンはそう言った。
「人類が滅亡に向かっているというのではない。滅亡の確率を予想するつもりもない。ただし滅亡の可能性がある以上、きちんと備えをすべきだ。その備えが、今はない」
翌日のシンポジウムでも、レヴィンは「内分泌系に障害をもたらす化学物質に対して、今すぐ行動を起こす必要がある。そうした化学物質が安全だというのなら、それを証明する責任は製造業者にある」と述べた。参加者からは、疫学的な研究(つまり統計的なデータ分析)だけで因果関係は立証できないとする慎重な声も上がった。しかし最終的には、参加者全員の共同声明の形で警鐘を鳴らすことが決まった。男性の健全な生殖機能の維持は人類の生存に不可欠であり、その低下は看過できず、よく研究されるべきだが、現時点では研究資金も世間の関心も足りていない、とする声明だ。
簡単になくならないプラスチック
プラスチックに含まれる環境ホルモン(内分泌かく乱物質)を規制するのは難しい。ある化学物質の使用を禁じても、すぐに代替製品が開発され、別な化学物質が環境中に放出されてしまうからだ。それに、石油化学産業は巨大で政治的な影響力が強く、資金も豊富だ。自分たちの製品がいかに有益で、いかに無害かを立証するような研究には潤沢な資金を提供する一方、自分たちのウェブサイトにはレヴィンやスワンの研究に疑問を突きつけるような論文を掲載している。いくらタバコの危険性が指摘されてもタバコ産業が滅びないのと同様、石油化学産業も簡単には滅びない。
それに、今の私たちはプラスチック製品なしに生きていけない。そのせいで精子の数が減るのだとすれば、なんとか別な方法で男の生殖能力を維持することはできないのか。どんなに男の精子が劣化(今のペースでいけば、2034年には精液1ミリリットルあたりの精子数は200万個にまで減ると試算されている)しても、きっと繁殖を可能にする技術的な解決策があるはずだ。体外受精の技術は進んでいるし、いざとなればプラスチックに汚染されていない「代理父」の精子を借りる手もある。
なにしろ技術革新に限界はない。仮に男の精子がゼロになっても、幹細胞を培養して精子を作るという奥の手がある。夢物語ではない。体外配偶子形成(IVG)と呼ばれる技術で、2016年12月には京都大学の斎藤通紀教授らのチームが、マウスの胎生幹細胞から精子のもとになる細胞を作り、これをマウスの精巣に移植して精子に育て、めでたく妊娠・出産にこぎつけている。ちなみに実験で使った幹細胞はメスのものだった。
つまり(少なくとも理論上は)男がいなくても精子はでき、人類は生き延びるということだ。