多くの企業にとって、オンプレミスからクラウドへの移行の必要性は高い。しかし、システム提供側の都合による移行の推進は、企業の反感を招きかねない。SAPのクラウド移行推進策に顧客が戸惑う理由とは。
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企業向けソフトウェア大手のSAP SE(以下SAP)が組織再編に乗り出すという発表は世界中で反響を呼び、業界や経済全体のITスタックに影響を与えている。
ERPの巨人である同社は2024年1月24日(現地時間)、大規模な変革プロジェクトに数十億ドルを投じると発表した(注1)。AI(人工知能)への注力を強化するこの計画は、8000人もの従業員に影響が及ぶことに加えて、新たな市場を開拓し、新しい収益源を生み出すと予想されている。
SAPは利用量に応じた価格を設定するクラウドへの移行を強化している。この動きは数万人の顧客にも影響を与えるだろう(注2)。
ただし、顧客のクラウド移行は必ずしも順調に進んでいない。その理由は何か。
SAPは変革のためのコストとしてAIへの投資費用を計上し、今後2年間で10億9000万ドルをユースケースの開発に充てる。そして、膨大な顧客基盤をクラウドに移行するため、21億8000万ドルをより広範な再編に費やすことが見込まれている。
同社がビジネスにおけるAI機能に関心を寄せる背景には、顧客のクラウド導入を進展させる必要性がある。これは以前から実施されている取り組みだが、いまだに進行中だ。
「クラウドERPスイートは当社の成長をけん引している」とSAPのCFO(最高財務責任者)のドミニク・アサム氏は2024年1月24日に開催された2023年第4四半期の決算説明会で述べた。クラウドによる収益はソフトウェアライセンスとサポートの収益を上回り、現在同社で最も急成長している収益源だ。
Forrester Researchのリズ・ハーバート氏(バイスプレジデント兼主席アナリスト)は「CIO Dive」の取材に対して、「SAPの決算説明会では他の発表にも時間を割いたが、クラウドはSAPにとって避けて通れない大きな問題だ」と語る。
SAPはクラウドが登場するはるか以前の1972年の創業以来、オンプレミスソフトウェア企業として数十年の歴史を歩んできた。「企業向けアプリケーションスイート全体でクラウドが広く採用されているにもかかわらず、同社の顧客の多くはERPのクラウドへの移行を優先してこなかった」(ハーバート氏)
クラウド移行は、エンドユーザーにとって明確なメリットがある。
「クラウドに移行することで継続的なイノベーションが可能になり、アップグレードの心配をする必要がなくなる。プライバシーやセキュリティなど、あらゆる面で最新かつ最高の機能を利用できるようになる」(ハーバート氏)
それにもかかわらず、クラウド移行が進まない理由、そしてSAPのクラウド移行推進策が一部の顧客の戸惑いを生む理由は何だろうか。
ERPのモダナイゼーションは特に大企業にとって安価なものではない。
「一部の顧客は、大規模なERPのモダナイゼーションに数億ドル、あるいは数十億ドルを費やすのに、今が適切な時期であるか疑問視している。ERPのモダナイゼーションは混乱を招くだけでなく、費用がかかりリスクも大きい」(ハーバート氏)
SAPはクラウドに決して不慣れなわけではない。
調査会社であるGartnerのクリスチャン・ヘスターマン氏(シニアディレクターアナリスト)は「CIO Dive」に対して、SAPが最初のクラウドベースのSaaS「SAP Business ByDesign」を発表したのは2007年のことだと語った。
2020年にクリスチャン・クライン氏がCEOに就任し、クラウドにフォーカスした変革を推進したことでSAPのクラウドへのシフトは進展した。2024年1月初めには、元CIO(最高情報責任者)で製品エンジニアのトーマス・ザウエレッシグ氏の指揮の下、取締役会レベルのクラウド移行部門が設立された(注3)。
「これは現在進行形の変革だ。人事向けソフトの『SAP SuccessFactors』や、購買・サプライヤーネットワーク管理ソフトの『SAP Ariba』といった過去数年間にSAPが買収した業務系ソリューションのほとんどは最初からクラウドベースだった」(ヘスターマン氏)
しかし、SAPの既存の顧客基盤からのクラウドに対する支持は停滞している。
Gartnerによると、「SAP ERP Central Component」(SAP ECC)の顧客のうち、最新のERPである「SAP S/4HANA Cloud」に移行したのはわずか3分の1だった。Gartnerは中間報告書で「2027年にSAP ECCのメインストリームメンテナンスサポート終了という目標達成に必要なペースでSAP S/4HANA Cloudに移行していることを示す証拠はほとんどない」と指摘した。
「現在のSAP S/4HANA Cloudの顧客の大半はパブリッククラウド版ではなく、(よりオンプレミスに近い方法で利用できる)プライベートクラウド版を利用しているとわれわれは考えている」(ヘスターマン氏)
SAPはクラウド移行を進めるために幾つかの動きを見せている。2023年7月にはオンプレミスのソフトウェアのサポート料金を値上げした。一部のアップデートや機能はSaaSベースのERPプラットフォーム以外では利用できないと発表したのだ(注4)。
ヘスターマン氏によると、2023年夏にSAPは「一部の革新的な機能はパブリッククラウド版のみでの利用になる」と発表して顧客を驚かせた。
SAPは事業のモダナイゼーションに数十億ドルを投資しているが、それに加えてクラウドファーストモデルを中心とした業務の再構築にもまたコストがかかる。
同社がSaaSに移行する際には、クラウド側の容量を増強する一方で、オンプレミス側の容量を縮小する必要があるとヘスターマン氏は言う。そのため、ワークフローや人員の変更が必要となり、配置転換やスキルアップ、レイオフ(一時解雇)を実施する可能性がある。
SAPは「影響を受ける8000のポジションの大部分は、自主退職制度と社内のリスキリング措置でカバーする」と言明している。
SaaSモデルは、特に買い手と売り手の関係において別の意味合いも持つ。
「SaaSを購入できるのは、IT部門以外のビジネス部門だ。新しいサーバーを購入したり、ITスタッフにシステムを操作させたりする必要はない。つまり、ベンダーはIT部門や調達部門を経由せず、ビジネスユーザーに製品を直接提供できる」(へスターマン氏)
こうした変更を公に発表することにもメリットがある。
ハーバート氏によると、既存、及び潜在的な顧客基盤に対してモダナイゼーションに真剣に取り組んでいると示すことがSAPにとって重要だ。
これは投資家にとっても好ましいシグナルだ。
「SaaSはより予測可能な収益モデルであるため、株式市場はSaaSへの移行がどの程度進んでいるかに大きな関心を寄せている」(ヘスターマン氏)
ハーバート氏によると、問題は導入の過程にあるという。
同社は2021年に企業がクラウドにスムーズに移行するためのマネージドクラウドサービス「RISE with SAP」を、2023年には中堅顧客向けに同様のサービスである「GROW with SAP」の提供を開始した(注5)(注6)。
「当社はRISE with SAPとGROW with SAPの提供を優先的に実施している」とクライン氏は決算説明会で述べた。RISE with SAPの導入を推進するため、的を絞った移行の取り組みと手法を提供していると付け加えた。
「クラウドを推進するのは良いことだ。しかし、『2024年に柔軟なクラウド展開モデルというアイデアを推進してパブリッククラウドに移行しなければ、あらゆるイノベーションとメリットを享受できない』という考えに至ったことで、SAPは少し問題を抱えてしまったように思う」(ハーバート氏)
(注1)SAP to restructure 8K positions in AI-focused transformation(CIO Dive)
(注2)SaaS moves to usage-based pricing as enterprises optimize tech spend(CIO Dive)
(注3)SAP adds board-level cloud migration unit, reshuffles executive roles(CIO Dive)
(注4)Escalating SaaS prices outpace consumer price index inflation(CIO Dive)
(注5)SAP Debuts Milestone Offering to Revolutionize Customer Business Transformation(SAP)
(注6)GROW with SAP Brings Proven Cloud ERP Benefits to Midsize Customers(SAP)
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