ワシが『富導算塾』塾長、江古田島平八である!!
母が亡くなった。
数年前に大喧嘩をして、それ以来、疎遠になっていた。
久しぶりに会った母は、脳死状態で話せなくなっていた。
親とは元気なうちに話しておかないと後悔するよと言う人が多いが、後悔することはなかった。
性格が破綻しているのだと思う。
大学受験に一度失敗して臨んだ二回目の受験。
第一志望に落ちたが、日大の芸術学部に合格した。
喜びとともに報告に行ったが、母に大激怒された。
「そんな大学に行く必要ない!」
学費を自分で払う手段も持っていない。
絶望し、諦めて二浪するのかと涙が溢れた。
もう無理なのかと恐る恐る親父に話しに行った。
無言でワシの話を聞いた後に親父が一言。
「本当に行きたいのか?」
心の中を全部吐き出した。
ここしかチャンスがないかもしれないと必死に訴えた。
「分かった。でも卒業だけは絶対すると約束しろ!」
嬉し涙を流しながら、東京行きの準備を進めた。
親父はOKを出したが、母は半狂乱になって否定し続けた。
「そんな大学に入って就職はどうするんだ?」
「俳優になんてなれるはずがない!」
「どうせ実家に戻ってきて働くのに意味がない」
■母の信じていたこと
大学では、親父との約束を守るために単位だけは落とさなかった。
ただ、俳優にはなれなかった。
塾業界に就職し、俳優ではなくサラリーマンになった。
悔しかったが、じゃあ、ビジネスの世界で上を目指してやろうと頑張った。
ところが、社長と喧嘩して会社を辞めることになった。
「3年もたってないのに辞めるのか?石の上にも3年だ3年は続けろ」
「辞めるなら地元に戻ってくれば良いんじゃないか?」
雀荘を購入したことを伝えた時は、
「・・・・・なんでそんなの買わなきゃならないんだ」
と心底嫌そうな顔をされた。
その後は、何かやっても母には言わなくなった。
ワシと疎遠になると、今度は妹に執着し始めて、妹が地元に残るように必死で洗脳を始めた。田舎の人でも名前を知っている大手の会社に転職して、結婚して子供が生まれると文句を言うことがなくなった。
ワシも自分で考えて不動産投資を始めて、少しずつ未来が明るく感じられるようになった。もう大丈夫かもと、不動産投資をしていることを言ったら、また半狂乱で文句を言われた。
「そんな借金なんかして、返せなくなったらどうするんだ?」
説明を聞く前に、自分の感情を押し付けてくる人だった。
自分の意見が正しく、子は親の意見を聞くものだと絶対的に信じている人だった。
■妹の離婚
江古田島平八を名乗り、ブログを始めた頃。妹が離婚した。
結婚のために小学校の教諭を辞め、転職しても旦那の転勤の度に退職、転職を繰り返していた。
平均給与自体が低い業界にいたので、元旦那の給与は低かった。
さらに低い給与の妹。それにもかかわらず、生活費を折半で払っていると聞いたときは驚愕した。
妹に条件の良い求人を教えた。
派遣から正社員になって、給与が旦那の倍になった。
その頃、旦那はなぜか会社を辞めて、地元に近いところに転職した。
妹に「会社を辞めて付いて来い」と迫ったが、生まれて初めて条件の良い会社で働いた妹は初めて付いていくことを拒否した。
自分より給与の良くなった妹を引きずり下ろしたかったんだろう。
そして離婚。
離婚が決まった時、「妹」が慰謝料を請求された(何も有責は無い)。
言い分は、「給与が多い方が慰謝料を払うべき」というもので、金額を聞くと30万円だという。
呆れて開いた口が塞がらなかった。
「縁切りで払ってやれ。二度とかかわるな」と伝えた。
妹はその後、不動産投資を始めた。
慰謝料はすぐに取り戻した。
■入院中に届いたLINE
妹は一人暮らしで、1LDKに7万円払っていた。
離婚して一人になるんだから、賃貸併用住宅を購入したらどうかと勧めた。
その後、茅ケ崎で1,680万円の1LDK+2LDKの上下分離タイプの二世帯住宅を発見し、購入。
毎月4.5万の支払いで6.5万の収入がある物件だ。
この物件を購入したことを、妹が母親に伝えた。
すると母は泣きながら電話をかけてきて、妹の人格否定、人生否定をした。
「女がそんな家を買うなんて、もう結婚しないつもりか?借金するなんて正気か?離婚したならそんな馬鹿なことしないで実家に帰ってこい」
女性が家を買うことは母親の常識ではありえない。
実家に帰ってこいと言うが、妹の転職先の当てはない。
本気で自分のアドバイスが妹にとって良いことだと信じていた。
その後、妹は順調に物件を増やし、会社員生活も安定。
新しい、穏やかな伴侶を見つけて、「お金の心配もなく」人生を謳歌している。
ある時、妹がワシが江古田島平八として活動していることを母に話してしまった。
その日から、母はワシのブログを読んでいたらしい。
ワシが購入4日目のBBQ場が水害に遭い、さらに交通事故で入院しているときに、ブログを読んだ母から長文のLINEが来た。
入院をしていることは知っているはずなのに、お見舞いの言葉も心配するでもない。代わりに、
「川沿いの物件を購入するなんていう馬鹿なことをするからこんな目に合うんだ!!考えが足りない!!」
このLINEで心が折れた。
入院先の病院で、身体が動かないのに吐いて死にかけた。
この日から連絡を取っていなかった。
■母の死
今年の年明け、マレーシアから帰国する日に、母が死んだと親父からLINEが来た。
何故か、楽しかった幼少期のことを思い出した。
母親も父親もワシも妹も笑顔だった。
ところがその後、救急車の中の人工呼吸で息を吹き返した。
ワシが帰国した時、呼吸はあって、脳死状態だった。
親父は、「お母さんは息子に会いたくて息を取り戻したんだ」という。
息をしている状態の母に会う想定はなかった。
「なんか、お母さんに声を掛けてやれ。ずっとお前のYouTube見たり、ラジオを聞いたりしてたんだぞ」
母親に掛けたい言葉はなかったが、大学入学を許してくれた親父に。
ずっと母親を支え続けた親父のために。
親父に聞かせるために母親に言葉を掛けた。
脳死状態の母親に、声は届かない。
でも、ワシが声を掛けなかったら親父がずっと後悔すると思った。
母親が大反対した不動産投資でワシも妹も幸せになった。
母親が大反対した「芸術学部への入学」。
すぐに結果は出なかったが、20年越しに俳優活動を始め、舞台出演、Vシネマ出演を果たした。
今年、初の主演舞台も決定した。
初の主演は、家族を残して母親より先に死んだ男役。
舞台は斎場。何かの「縁」を感じる。
ワシは、ワシの人生を、自分で決めて生きていく。
今回の「役」は主役。
しっかりと演じ切りたいと思っている。
天国から、きっとワシと話したかった母親が観に来ると思っている。
親の考えに従わせることが子の幸せにつながるとは限らないことを。
自分の考えが間違っていたことを。
観て、考え直してほしいと思っている。
次の舞台は、大人になって大嫌いになった、子供の時大好きだった母に・・・捧げたい。