昨日1月16日、日本の文学賞としては名高い第148回芥川賞・直木賞の受賞者が決定しました。

第148回芥川龍之介賞

黒田夏子『abさんご』

第148回直木三十五賞

朝井リョウ『何者』 安部龍太郎『等伯』 

この記事では、受賞者の簡単なプロフィール紹介と共に、受賞記者会見での質疑応答で印象的だった部分を抜粋します。

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左より安部龍太郎さん、朝井リョウさん、黒田夏子さん
(画像はニコニコ生放送での受賞者記者会見生放送より)

芥川賞を受賞した黒田夏子さんは、1937年東京生まれ。早稲田大学を卒業後、教員・事務員・校正者などを経て、2012年「abさんご」で第24回早稲田文学新人賞を受賞してデビュー。作品はもちろん、デビュー時の年齢が75歳ということでも話題になりました。今回の『abさんご』の受賞により、黒田さんは過去最高齢での芥川賞受賞者となりました。

黒田さんは記者会見でも笑顔を見せながら話しました。受賞の喜びはあるものの、半分には「思いがけない」という気持ちがあったそうです。

── 受賞した今の気持ちをお聞かせください。

黒田:もうずっと、何かあのこういう年齢になりましてからということが、ずっとためらいがありました。若い方のお邪魔になっちゃいけないと思っていたのですけれども、もし、こういう例外的な年齢での受賞になりまして、それが他にもたぶんたくさんいらっしゃる、長年隠れているような作品などをまた見つけるきっかけになるならば、何かそれが私のひとつの役割なのかと思って、喜んでお受けしたいと思います。生きているうちに見つけてくださいまして、本当にありがとうございました。

── なぜ横書きで作品を書かれたのか。

黒田:横書きというのは数字とかアルファベットとかなんでも混ぜて書けるので大変機能的には良いものだと思っておりましたし、世間一般が、例えば学校の教科書などでも横書きが増えてきて、たったひとつ国語の教科書だけが縦書き。ですから縦書きにするっていうだけで、なんとなく文学的なムードみたいなものがまつわってきたような感じがして、それは振り払ってしまいたいという思いがあって、ある時、横書きにしようと決めました、それ以来、もう結構何十年間は横書きにしております。

── 選評で堀江敏幸さんが「ひらがなの使い方が印象的だ」と述べていました。ひらがなというものについて、どのような意識を持って使っていますか。

黒田:言葉っていうものをなるべく語源の方にさかのぼって行くと、結局、ひらがなになった。例えば「見る」という動詞を、漢字ですと5つも6つも使い分けている。そうするといろんな意味が出るようでもあり、限定してしまうようでもある。連想の広がりとかが豊かだというのが私の好みなので、ひらがなを多用するようになりました。

── 直木賞の朝井リョウさんとは52歳差ということになるが、どのように思われますか。

黒田:年齢は関係ないんじゃないかというのもあります。非常に今回も年齢のことが問題にされるのですけども、自分では子どもの時からやっていることは同じですし、あまり意識していないです。

直木賞はダブル受賞となりました。まず、朝井リョウさんは1989年生まれの23歳。2009年に後に映画化もされた『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞してデビューしました。平成生まれの著者として初、また戦後生まれ最年少での直木賞作家です。

受賞した『何者』は就職活動を題材にとった一冊。朝井リョウさん自身、現在は社会人1年目の新入社員として、企業に勤務しながら作家活動を続けているそうです。

── いま、「会社員としての顔」と「直木賞作家としての顔」と両方あるが、自分としては「何者」だと思いますか?

朝井:私は会社員でもありますし、作家でもありますので、「朝井リョウ」だなと思います。分けてという考え方ではなくて、どちらも本当の自分だと自信を持って言えるように頑張っていきたいです。

── 今年は社会人1年目だが、環境の変化というものを感じていますか。

朝井:文章を書く時間が減ってしまったのは確かなんですけれども、やっぱり人間って集中力がそんなに続かないなっていうことを痛感しました。結局、書く時間は減ってしまったとしても、自分が集中できる時間っていうのは学生時代と変わらなかったので、そこまで思ったよりガクッと書くペースが落ちるということはなく、安心しているところです。

── 今回、黒田さんと52歳差があることについて、どのようにお感じになりますか。

朝井:先ほど黒田さんもおっしゃっていたと思うのですけれども、あまり私も年齢のことに関しては、特に関係がないのかなという風に感じております。

もうひとりの受賞者、安部龍太郎さんは1955年福岡県生まれ。久留米工業高等専門学校を卒業。1990年に『血の日本史』でデビューしました。これまでにも多くの歴史・伝記小説を手がけており、著作も多数あります。

受賞作『等伯』は、絵師・長谷川等伯の生涯にスポットを当てた上下巻の意欲作。デビューしてから長い時間をかけ、ついに安部さんは「遠い遠い目標」と語った直木賞をつかみました。

── 「このような晴れやかな舞台に立てるとは思わなかった」と最初におっしゃったが、それでもなお今日まで書き続けてこられたのはなぜか。

安部:僕自身は第111回の時に候補に挙げていただいて、それから19年という歳月が流れましたので、もうたぶん候補の範疇からははずされたのだろうなという実感を持っていました。(中略)それでもなお書き続けてきた理由というのは、黒田さんも朝井さんもおっしゃいましたが「小説を書く以外にやりたいことがない」のですね。小説によって自分というものを確立したい。小説によってこの世の中を変えていきたい。理想があります。それは遠い遠い理想ですけども、それに向かって少しずつ歩いて行くことが、僕の人生の喜びであり楽しみですから、ものを書くということをやめられないのですね。

── 今回の『等伯』について、自分自身と重なりあう部分はありましたか。

安部:(長谷川等伯は)能登の七尾という田舎から33歳という遅い歳で上洛をして、なおかつ51歳で世の中に認められるまで、非常に苦難を耐え抜いてきた。僕が等伯にシンパシーを覚えたというのは、そういうところに僕自身と重なるような思いがありました。(中略)等伯の絵の中には「高い理想を求めて自分の弱さを克服していく」という生き方の足跡を見ることができます。そういう点では、僕自身にも18歳で作家になろうと思った時に「自分の人生っていうのはこのためにあるんだ」と決意をいたしました。

黒田夏子さんと朝井リョウさんは実に52歳の差があります。どちらも今こうして評価されていることは、すでに「若すぎるから」、「歳を取り過ぎているから」という言葉があまり意味をなさないという表れでもあるのでしょう。けして小説だけに限ったことではないと思います。

以前に「人気アパレルECサイトModCloth創業者夫婦の仕事術」の記事で、スーザン・グレッグ・コガーさんも「年齢に気後れするな」というアドバイスを送ってくれました。今回の受賞はすべての人に勇気を与える、あるいはさらにやる気をくれる、そんな一回となったのでは。

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長谷川賢人