理論も揉み手も通じない ソ連は四角四面ではききめのない国 昭和31年「天鼓」

プレイバック「昭和100年」

ソ連から舞鶴港平桟橋に到着した引き揚げ者=昭和31年
ソ連から舞鶴港平桟橋に到着した引き揚げ者=昭和31年

いいたいことは誰れにもいろいろあるに違いないが、とにかく妥結はまことにめでたいこと、これで長らくの肩のシコリが一応とれたのだ。

▼シコリの第一が在ソ抑留者の問題であるこというまでもない。人質という前時代の惨酷きわまる言葉が文字どおり生きていて、またそれあるがために交渉に伸縮性が欠け、当初から非常なハンディキャップであった。同胞よ家族よ、大局のためだ、もうしばらくの辛抱をと、心に思うものでも口に出してはいいきれない場合もあった。それが解決したのだから、この点に関するかぎり、御同慶の至りである。

▼領土問題は、いまのところ、煙にまかれた形だが、冷静に返れば、いわゆる「汝を封じてハボマイ・シコタン王とす」式の幕ぎれ、しかも期限つき手形である点に、相当異論がわきそうだ。だが、百パーセントうまくいったところでもともと、まずくいけば元も子もなくなる恐れがあるのがこんどの交渉だった。

▼それが首相出発前に考えられたよりも急速順調に進んだのは、全権団日夜の奮闘もさることながら、一つは日本国内の政情・動向や対ソ警戒心理を先方がよく知り、これに逆手を打ったのだとの見方がある。とすると、「反鳩山派日ソ交渉を妥結す」という筆法も成立ちそうだ。

▼何にしてもむずかしい相手である。理論を並べても、揉み手をしても、感じない。すべては現実と必要とにもとづく。同時に、モーニング姿で四角四面に切り出しても一こうにききめのない国だということを、この交渉が如実に教えてくれた。

(昭和31年10月20日)

※当時、産経抄は天鼓と呼ばれていました。

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