グーグルマップで遊んでいたら、北太平洋にぽつんと浮かぶミッドウェー諸島に、明治時代の「櫻井又五郎」という名の墓を見つけた。
墓の存在に気づいたのは2020年9月。新型コロナウイルス「第2波」で自粛ムードが漂う中、せめて旅行気分だけでも、と(グーグルマップで)太平洋の島々を巡っていた時だった。
深夜にスマホの中の墓を見つめながら、素朴な疑問が浮かんだ。100年以上も昔、櫻井さんはなぜこんなところに? こつこつと調査を重ね、結論には至っていないが、ひとまず経過をまとめてみたい。何か情報をお持ちの方は、ぜひお寄せください。(デジタル編集部・谷岡聖史)
ミッドウェー諸島(環礁) ホノルルから約2000キロ北西、東京都心から約4100キロ東南東にあり、主に大小2島からなる。世界複合遺産でもある北西ハワイ諸島の一部だが、行政上はハワイ州ではなく、米連邦政府の魚類野生生物局が直接管理する。長らく無人島だったとみられるが、20世紀初頭から国際電信ケーブルの経由地や民間の空港、米空軍の基地として利用され、現在は自然保護の専門家が活動。
◆墓には何が書いてあるか
マップ上でミッドウェー諸島西側のサンド島を拡大すると、「Japanese Markers(日本人の墓)」が3基ある。向かって右側の墓は「東京府下 櫻井又五郎之墓 明治三十二(1899)年十二月」と読めた。1942(昭和17)年のミッドウェー海戦の40年以上前だ。中央と左側の墓にも「インターアイランド船員」「南无阿弥陀佛」などの日本語が彫ってある。
マップ上の画像を飽きるほど眺めた後、こう思った。墓の裏側や側面に何かヒントがあるのでは?
疑問を持ったら現場に行くのが記者の基本。とはいえ、ミッドウェー出張の経費はまず認められないだろう。島を管理する米政府のミッドウェー環礁国立野生生物保護区に「この墓について何か知らないか」とメールを送った。
だが、音沙汰なし。質問内容が怪しすぎて無視されたのかも…。通常業務(当時は歌舞伎などの担当)の合間を縫って、国立国会図書館やネット上で情報収集する日々が続いた。
すっかりメールのことを忘れかけた1カ月後、ハワイにいる担当者パメラ・レップさんから返信が届いた。「日本人の墓碑の図解」という題名の文書や墓の写真が添付されていた。文書は保護区のパソコンから探し出したもので、作成者や時期は不明だというが、墓の文字が日本語で書き起こしてある。そこから次のことが新たに判明した。
まず、グーグルの画像で「又五郎」と読める櫻井さんの名前について、文書は「丈五郎」としている。送られてきた写真を見直すと、確かに「丈」と読めなくもないが、部分的に崩れているため断定はできない。
建立した人物や時期も分かった。左右の墓は1911(明治44)年4月1日に「愛知県人竹内四郎」が建てた、と側面に書いてある。1899年が櫻井さんの没年だとして、その12年後だ。中央の墓はさらに5年後の1916年6月17日付。櫻井さんの名前に「他四名」と添えられており、5人分の墓であるようだ。
◆明治の日本人が夢見た「無人島で一獲千金」
まだ飛行機もなかった時代。櫻井さんは、数千キロも離れた太平洋の小島までなぜ足を運び、生涯を終えたのだろうか。公文書をネット上で閲覧できる「国立公文書館アジア歴史資料センター」で調べると「ミットウ...
残り 1398/2795 文字
今なら最大2カ月無料
この記事は会員限定です。
- 有料会員に登録すると
- 会員向け記事が読み放題
- 記事にコメントが書ける
- 紙面ビューアーが読める(プレミアム会員)
※宅配(紙)をご購読されている方は、お得な宅配プレミアムプラン(紙の購読料+300円)がオススメです。
カテゴリーをフォローする
おすすめ情報
コメントを書く
有料デジタル会員に登録してコメントを書く。(既に会員の方)ログインする。