CELEBRITY / VOICE

ビリー・アイリッシュがVOGUEに明かした苦悩や孤独、そして歌う意味

これまで9つのグラミー賞を受賞し、驚くべき飛躍を続けるビリー・アイリッシュ。12月18日に23歳の誕生日を迎えた彼女は、カバーを飾ったUS版『VOGUE』11月号のインタビューで、これまでの苦悩や孤独、そして歌うことの楽しさを語ってくれた。その中から彼女の言葉を一部抜粋してお届けする。

初の"ソロ"ツアー

Photo: Arturo Holmes/Getty Images

9月から始まったビリー・アイリッシュの「ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト」ツアーは北米の都市を巡ってから、2025年にオーストラリアとヨーロッパへと続く。このツアーは、兄でコラボレーターのフィニアスがほぼ帯同しない初めてのツアーであり、何でも身の回りのことをやってくれる両親が同行しないツアーでもある。

5月にブルックリンのバークレイズ・センターで行われた「ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト」のニューヨーク・リスニング・パーティーでは、スモークが充満したスタジアムのフロアを飛び回り、愛犬のピットブル、シャークを脇の下に抱えて走り続け、両方の拳を突き上げて腰をひねって踊っていた。

「ハーネスをつけた筋肉質の大きな犬がランニングマシーンに乗せられて、吠えたり鳴いたりしながら走り出す動画を見たことありますか? あれはまさに私。あの犬みたいなんです」

本当はダンス好きの少女だった

Photo: Kevin Mazur/Getty Images

当初、ビリーは歌手になるつもりはなかった。 ロサンゼルス児童合唱団で音楽理論を学んだが、本当はダンスが大好きだった。 2015年、彼女が13歳のとき、股関節の成長板を損傷したことをきっかけに音楽に傾倒し、フィニアスとともに「Ocean Eyes」をサウンドクラウドにアップロードすると、10代の熱狂的なファンが瞬く間に集まった。

「自分が歌手だと思ったことはありませんでした。それが自分のアイデンティティだと思ったことは一度もありません。(でもここ2年ほど、ヴォーカル・コーチのレッスンを受けてきて)本当は、人生において歌うことが大好きなんだと気づきました。 声という楽器を訓練したら、歌うことをもっと楽しめるなんて知りませんでした。何かを学ぶのは、最高ですね」

耐えてきた痛みと孤独

Photo: Kevin Mazur/Getty Images

2019年、ビリーは「When We All Fall Asleep」ツアーの前に衰弱性パニック発作を経験したことを打ち明け、10代の早い時期にうつ症状が自傷行為や自殺願望につながったことを詳細に語った。

「全然幸せだとは思えなかったし、喜びを感じられませんでした......。 17歳まで生きられるとは思っていませんでした」とビリーは2020年にTV番組のインタビューでゲイル・キングに語っている。

「基本的に9歳のときからずっと痛み(関節が一般的な可動域を超えて曲がってしまう可動性亢進症)に悩まされてきました。 何年もの間、自分の身体と戦っているように感じてきた。 大人になってから『生き急がないで!これからもっと辛いことがあるんだから』といつも人に言われて、怒りに震えたのを覚えています。これまでのツアーでも、本当にすごく辛い時期がありました。 ずっと、それは一時的なものなんだと思うようにしてきたんです。『ツアーをしているのに、なんかいやだ。でもすぐに解消される』って。でも実際は、これからもずっとそれが続くんです。だから、ツアーを楽しめるようになるとは思ってもいませんでした。 長年とても孤独だった。でももう、そんなことを考えるよりも、ショーや日常生活を楽しみたいと思っています」

音楽以外のことにも挑戦

兄フィニアスと母マギーとともに。

Photo: Taylor Hill/FilmMagic

「13歳で有名になって、突然奇妙な人生を歩み始めました。学校にも通ったことがありません……(最近は)トレーナーと定期的にワークアウトをしたり、本を読んだり(『改めてこう聞くと変な感じですよね。誰もが本は読みますから』)、セラピストに会ったり、自分で料理をしたりしています。 母はとても料理上手で、私は下手だと思っていたのですが、今ではみんなに料理上手とまで言われるようになりました。ただ、レシピをあまり知らないんですよね。(ボディイメージや)食べることについては問題を抱えているけれど、料理するのは役立ちます。『ああ、この食事はまさに私のためにある!』って思えるんです」

批判に振り回されない

Photo: Jason Armond/Getty Images

2023年5月、ビリーはインスタグラム・ストーリーにこんな投稿をしている。

「私のキャリアの最初の5年間は、ボーイッシュなことや服装をバカたちに攻撃されて、女性らしく振る舞えばもっとセクシーなのにと言われ続けた……そして、私が少しでもフェミニンな服や身体にフィットした服を着てみようと思うようになったとたん、今度は変わってしまっただの、裏切りだのと言われるようになった」

「長い時間をかけて、(プライベートとビリー・アイリッシュというペルソナ)をうまくミックスさせてきたと思います。自分が自分であると感じられるようにしているし、外部からの評価だけで満足しているわけではありません。観客の反応だけが重要だった時期もありました。インターネット上でみんなが私をいいねと言ってくれれば幸せに思えたけれど、その逆だと心が落ち着きませんでした。でも、そうしたことに振り回されずにいる方法を学んだんです」

もう二度と自分のセクシュアリティについて話すことはない

Photo: Kevin Mazur/Getty Images

ビリーとフィニアスが映画『バービー』のために書きおろし、グラミー賞アカデミー賞を受賞した楽曲 「What Was I Made For? 」のリリース後、アイリッシュは女の子が好きで、人として惹かれるという発言をしてメディアを賑わせた。特にカミングアウトするつもりではなく、本人は「すでにバレバレだと思っていた」そうだ。今年8月、チャーリーXCXと「Guess」のリミックスでコラボレーションした際も、セクシュアリティについての歌詞が話題になった。だが今は、そこまでオープンに話さなければよかったと思っているという。

「自分のセクシュアリティや誰とデートしているかについて、誰にも知られたくありませんでした——絶対に。今後は知られずに済むことを願っていますし、もう二度と自分のセクシュアリティについて話すことはありません。誰と付き合っているのかも公表しないでしょう。

(『ローリングストーン』誌がセルフプレジャーについてのビリーの見解を報じたことが、タブロイド紙を賑わせたことについて)私の発言が全世界で大きく報道されることを過小評価していたようです。私たちはみんな未熟なんです。成長過程の途中にいる、自分自身について学んでいる子どもみたいなものなのに。あの報道のされ方は尋常じゃないです」

カマラ・ハリスへの支持を表明

Photo: Kevin Mazur/Getty Images

「私たちの時代で、最も重要な大統領選かもしれません。それについて考えたくないというスタンスを取るのはすごく簡単なこと。私みたいなたった一人の人間に、何かを変えることはできないと思うことは、私もあります。でも本当は、私たちは誰もがみな変化を起こすことができる。そのために、私は自分のプラットフォームを使っていくつもりです。(私にとって重要なのは)人権、女性の権利、女性のリプロダクティブ・ライツ、社会的公正、銃規制。私のファンの中には、初めて投票できる年齢に達した人もいます。その子たちには、自由であるのって好き? と聞いたりしています……カマラ・ハリスが初の女性大統領になったら、本当に素晴らしいと思います。 自分の国で女性として安全に暮らしていきたいですから」

心から楽しむためだけに音楽を演奏する

Photo: Kevin Mazur/Getty Images

今回のツアーセットは8の字形のステージで、バンドメンバーの周りをアイリッシュが歩き回ったり、グルーヴしたりできる。円形ステージでのパフォーマンスは彼女にとって初めての経験で、以前からやってみたかったことだ。油圧装置で上下する中央のプラットフォームや、原色を基調とした映像を流すスクリーン、時には手持ちのビデオカメラからバンドのバックシンガーやミュージシャンを映し出すこともある。

「私はミュージシャンなのだから、(楽しんで演奏するのは)当たり前だと思うでしょう。でも、仲間とジャムセッションしていたはずの年齢で、私のキャリアは急展開しました。そこから音楽は仕事になったので、ジャムセッションに興味が持てなかったんです。でも今回のツアーで初めてやってみて、すごくいい感じ。これが次のシングルになるのかな?とか、そういうプレッシャーがないのがとてもよくて。ただそこで演奏しているだけ。まさにその瞬間を楽しんでいるんです」