空気に湿り気を帯び、空の色が変わり始めると鼻の奥に感じる匂いまで変わることに気づかされる。「森に入ると、雨の降る直前の木々が発する匂いを強く感じます。木と土の匂いがふわりと鼻腔をくすぐるような。都会も同じで、石やアスファルトなどの匂いが少し強まってくる印象があります。雨を知らせる匂いは特別だなぁと感じるのです」
そう話すのは、調香師の沙里さん。そして雨は、体臭や息の匂いも強める。なぜか。「それは湿度が高くなると鼻が敏感になるから」。日本では茶道や香道を、イギリスでは天然香料やコスメティックの調香を学んだ沙里さんに雨の日の香りについて、その選び方を指南いただく。
雨の日は鼻が敏感になる?
日本最古の遊びと伝えられているものの一つに、香道がある。「匂いを嗅ぎ当てて楽しむものですが、まずはお茶を飲み、香のお手前を始めます。粘膜を潤すことで鼻は敏感になるんです」と沙里さん。「ですから、雨の日に使うフレグランスは控えめに」と続ける。「例えば、乾燥しているヨーロッパでつけるのと同じ量の香水を日本で使うとトゥマッチになってしまうんです。半分か1/3で十分。これは湿度の差が影響しています」。もし、からっと晴れた日と同じだけのフレグランスをつけたなら、思っているよりもパワフルに香りを広げているかもしれない。
雨の日の香水のつけ方は、晴れた日とは異なる?
フレグランスを使う前に思い出したいのが、雨そのものに匂いがあるということ。これを意識するだけでも、雨の日のフレグランスの使い方は変わってくる。「雨との調和を考えると、香りをつける場所を晴れた日とは変えた方がいいでしょう。香りは上に広がることを思い出して。脈を打つところにつけるのが基本ですが、普段は手首や首につける人であれば、足首や膝裏などに変えてみてください。プラスで香りを足したいなら、胸もとも良いですね」。鼻から少し離れた、首より下につけることで香りは自然と馴染むようになるそう。ポイントは、使う量とつけるパーツへの配慮だ。
鬱屈した気分に寄り添う、雨の日の香りとは
今日の雨と、どう過ごしたいか。室内で過ごすのか、外に出るために後押しして欲しいかなど、その日の気分やスケジュールにより、シチュエーションはさまざま。「香りを使うシーンやその日の気分に合わせることが肝要です。それから大雨であるか小雨なのかなど、雨の降り方もよく観察して楽しみたい」と沙里さん。
外出するためのやる気が欲しいなど降雨にネガティブな気持ちを持つなら、ハーバルなものを。「ローズマリーやユーカリ、日本のもので言えばヒノキの葉などの針葉樹系をセレクトして。例えばローズマリーの葉は形状が尖っていますが、人間にとって剣の代わりになるのがこのツンツンした形。こういった細く鋭い葉の形は、人に刺激を与えるものとされています」。その作用により、血液循環を上げて交感神経を高める効果が期待できる。「精神面への作用だけでなく、体内の血液循環においても交感神経をオンにすることでやる気を起こさせてくれます」
ほかにも雨の日を楽しくするハーバルなノートとしてロックローズが挙げられ、その人肌に溶け込む香りは柔らかなポジティブさをもたらしてくれる。「休日、雨の中を歩いたときに見つけた、花びらの上に眠る水の露のイメージです」
雨との調和を堪能しリラックスを促す香り
一方で、雨を愛おしく感じられる人もいるだろう。雨の気候に穏やかな気持ちで向き合え、リラックスした気分なら、「アイリスの根や、植物性のアンブレット、苔、花などが良いでしょう。これらの湿度を持った香りは波長も合わせやすいという特徴があります」。アイリスの根にはパウダリーさがあり、フローラルな雰囲気もある。「大地と繋がりを感じる、包み込まれるような安心感を与えてくれるでしょう。また、しっかりとしたベースノートのものや、サンダルウッドを加えた香りは副交感神経に作用する効果を期待できます」
ヒノキから抽出されるαピネンによる働きが副交感神経を刺激し、血液循環を下げるのをサポートしてくれる。「木と一言で言ってもさまざまなパーツがあり、樹木の中でも幹の、少し甘やかな香りを持ったものがリラックスに導いてくれ、ヒノキ以外にクスノキも効果的です」。同じ木でも根と葉では陰と陽ほど違い、真逆に働く。「葉の場合、αビネンと反対の作用を持つ成分のサビネンが気力に働きかけます」
話を聞いたのは……
沙里
調香師。「記憶」をテーマに風土や人、音楽、季節のうつろい、五感と響き合う体験を香りによって引き出すことを探求する香りのアーティスト。日本の伝統的な香道作法と西洋の香り文化を融合させた新しい聞香を創始。2012年に創設したナチュラルフレグランスブランドかほりとともに、を2024年に蕊-Sui-と改名。
@sari___sui
Text: Akira Watanabe Editor: Rieko Kosai