クリストファー・ノーラン監督が、J・ロバート・オッペンハイマーの半生を映画化した理由
2023年夏のアメリカで同日公開となった『バービー』と『オッペンハイマー』は、「バーベンハイマー」という流行語を生み、予想外の数の観客を劇場に集めた一方で、原爆を使った2作の合成画像には、とくに日本では多くの反発が起こった。『オッペンハイマー』は原爆の開発者である主人公を描いていることから、その後、日本での公開がアナウンスされない時期が長く続き、ようやく決まった直後にアカデミー賞で作品賞をはじめ最多13部門ノミネートを獲得。『オッペンハイマー』が、さまざまな意味で一年を代表する映画となったのは事実だ。
“原爆の父”とも呼ばれる、物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマー。その人生を、クリストファー・ノーラン監督が映画にする。この組み合わせは、ちょっと意外でもあった。ノーランといえば、「ダークナイト」3部作でアメコミヒーロー映画を革新し、初期の『メメント』(2000)から、『インターステラー』(2014)や『TENET テネット』(2020)で時系列や時空を操る設定を好み、『インセプション』(2010)では人間の夢を掘り下げた。つねに“新しい映画”を追求し、近年はそのスケール感も増大させていた。珍しく史実と向き合った『ダンケルク』(2017)でも、第二次世界大戦での空中戦を驚くべきスタイルで撮影するなど、映像へのこだわりを前面に出す映画作家だった。
そんなノーランが一人の物理学者を題材にしたのは、「オッペンハイマーの物語は、われわれ人類が今生きること、そして今後も生きていくことに関わっている。誰もなしとげなかった方法で、彼は世界を変えたからだ」と「ニューヨーク・タイムズ」紙のインタビューで語っている。オッペンハイマーによる原子爆弾の開発は、その後、現在に至るまで各国の核武装の起点を作ったわけで、世界の運命を大きく変えた責任を、彼はどう受け止めたのかに、ノーランは興味をもったのだろう。芸術としての映画のあり方を自分なりに変革してきた彼は、物理学者として革新的かつ開拓的であろうとしたオッペンハイマーにもしかしたら自身を重ねて描いたのかもしれない。そんな印象を、本作から感じる。
日本人からすると、原爆の開発者としての側面ばかりが気になるが、3時間にもおよぶ映画『オッペンハイマー』は、そこだけに終始するわけではない。ヨーロッパでの留学も経験し、アメリカで大学教授となる青年期で、科学者として、そして一人の人間としての原点を軽やかに描いた後、大きく分けて2つのドラマが、時代を行き来しながら絡み合うように進行する。ひとつは、原子爆弾の開発と、その原爆が日本に投下される物語で、ここが本作で大きなウェイトを占めるのは予想どおり。もうひとつは、オッペンハイマーの第二次世界大戦後の運命で、特に映画の後半はこちらがメインになっていく。歴史に名を残す一人の科学者の「光」と「闇」に迫った作品である。
第二次世界大戦のさなか、ナチス・ドイツが原子爆弾の開発を進めている情報に焦りを感じたアメリカが、極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を立ち上げ、その中心的役割を任されたのがオッペンハイマー。有能な科学者たちを集め、ニューメキシコ州のロス・アラモスに研究所と称して、ひとつの町を建設し、研究を重ねるプロセスは、人類初の野望にもえる者たちの高揚感あふれるチャレンジ・ストーリーとして描かれる。その中でオッペンハイマーの言動、立ち居振る舞いには、カリスマとしての素顔が確かに刻まれている。圧巻なのは、ついに爆弾が完成し、急ぎ行われる「トリニティ実験」のシークエンスで、人類初の核実験として、ここから核の世界が始まった歴史的瞬間を、ノーランはじっくりと、そしてセンセーショナルな映像で見せていく。
そして何かと日本でも話題になっているのが、広島・長崎の被害を直接的に“描かなかった”という点だが、ノーランの意図、作品の流れを汲み取れば、このアプローチは納得できるはず。一方で、戦争の勝利でヒーローに祭り上げられたオッペンハイマーが深い苦悩を強いられるシーンで、原爆被害を想像させるショッキングな描写もあり、現実の惨状を知っているわれわれ日本人には、むしろ彼の苦しみが深く伝わるのでは……とも感じた。自身が“悪魔の兵器”を誕生させてしまった後悔の念は、映画全体のさまざまな瞬間にさりげなく織り込まれ、直接的な謝罪や苦悩の言葉はなくとも、その蓄積によってオッペンハイマーの心情を届けている。
そしてもうひとつの、オッペンハイマーの“戦後”だが、アメリカ原子力委員会の創設者、ルイス・ストローズとの対立、さらにオッペンハイマーが共産主義者のレッテルを貼られ、尋問を受ける流れは、裁判映画のダイナミズムとして描かれていく。共産主義との関係は映画の前半からいくつものエピソードで示唆される。妻のキティや弟のフランク、そしてオッペンハイマーと不倫関係に陥る精神科医のジーン・タトロックが共産党員だったことから、オッペンハイマーは1950年代のアメリカにおける“赤狩り”のターゲットになってしまう。このあたりはアメリカの歴史の暗部がえぐられるスリリングさと同時に、真実を見極めるミステリーの様相を帯び、映画的な醍醐味がもたらされる。オッペンハイマーとジーンの関係は躊躇なく大胆に描かれ、アメリカでは2人のラブシーンによってR指定となったが、オッペンハイマーの科学者ではない部分に迫る意味で、そこは重要だったことも理解できる。
このようにドラマとして濃密なうえに、クリストファー・ノーラン監督らしく映像や音響へのこだわりも破格だ。オッペンハイマーの視点のパートはカラーで、一部ストローズの視点のパートはモノクロとなるアプローチが効果的。そのモノクロ部分には、本作のために新たなフィルムが開発された。前作『TENET テネット』と同様、今回も65mm、およびIMAX用の大型カメラが使われているが、65mm用のモノクロフィルムは存在していなかった。劇場の大スクリーンで、その質感をぜひ確かめてほしい。
また、要所には核融合や素粒子の動きをイメージした映像が挿入され、それがオッペンハイマーの脳内を表現しているのだが、それらのシークエンスは映画の中で独特のインパクトを残す。トリニティ実験の恐ろしさを体感させる音響など、とにかくノーランの演出マジックは書ききれなく、これまでアカデミー賞では無冠だった彼に監督賞が贈られるのは確実と言えるが、その鋭い演出術に応えたキャスト陣も高く評価さえるべきだろう。
最多13ノミネートを得たアカデミー賞受賞の行方
アカデミー賞の演技部門では主演男優賞(キリアン・マーフィー)、助演女優賞(エミリー・ブラント)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr)の3人が候補入り。これまでアカデミー賞において、ノーランの近作はつねに複数ノミネートを果たしていたが、演技部門は入らなかった。さかのぼればノーラン作品での演技部門ノミネートは、『ダークナイト』(2008)のジョーカー役、ヒース・レジャーだけで、彼は見事に助演男優賞を受賞した(授賞式は亡くなった後だったが)。その意味で、今回の3人ノミネートは異例だ。
オッペンハイマー役のキリアン・マーフィーにとってノーラン監督作は、これが6本目。監督との信頼関係は絶大であり、野心に溢れる青年期から、さまざまな苦悶を抱えていた晩年までを演じ切ったうえに、オッペンハイマー本人の面影を再現することに成功。原爆投下に対する心境を、徹底して繊細に、複雑に見せきったアプローチは驚嘆する。勝ち気な性格でアルコール依存にも苦しんだという妻のキティを演じたエミリー・ブラントの凛とした佇まい。そしてストローズ役、ロバート・ダウニー・Jr.は、「アイアンマン」と別人としか思えないシリアスさで観る者の心をつかむ。とくにオッペンハイマーに対するストローズの、嫉妬も絡んだ感情にハイレベルな演技を実感できることだろう。
ほかにもマット・デイモンやケネス・ブラナー、フローレンス・ピューらが持ち味を発揮。短い登場シーンながら、ケイシー・アフレック、ラミ・マレックといったオスカー俳優が存在感を放つうえ、アメリカ大統領役で大物のカメオ出演など、『オッペンハイマー』は、オールスター映画の魅力も備えている。こうした“華やかさ”も、アメリカでの予想以上のヒットの要因を作った気がする。
3月10日(現地時間)に開催される第96回アカデミー賞の授賞式で『オッペンハイマー』が作品賞に輝くのか。また、何部門で受賞を果たすのか。それはまだわからないが、アカデミー賞とともに大きな話題になった後、3月29日の日本公開は適切なタイミングだと言えるだろう。今から35年前の1986年。やはりマンハッタン計画を描き、オッペンハイマーも重要な役割で登場した映画『シャドー・メーカーズ』は、ポール・ニューマンらスター共演ながら原爆を扱ったアメリカ映画ということで、日本での劇場公開は見送られ、ビデオスルーとなった。今回は時間を要したものの、オッペンハイマーの映画が日本でもスクリーンで観られるわけで、日本の観客がどのように受け止めるのか、そこにも注目が集まる。そういう意味で、2024年最大の話題作のひとつになってほしい。
Text: Hiroaki Saito