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吉田沙保里、その強さの先にあるもの。

「人生は、勝つことだけじゃない」。吉田沙保里が、この夏のオリンピックを振り返る。聞き手を務めたのは、タレント、エッセイストとして活躍する小島慶子。次々飛び出す言葉のキャッチボールの中から、その孤高の強さの核に迫った。

リオオリンピック、あの決勝の、あの瞬間。
──リオオリンピック、女子レスリング53kg級の決勝。あの銀メダルが決まった時、マットにつっぷしたあの吉田さんの姿をカメラが真上から捉えていました。吉田さんの記憶の中には、あの瞬間はどんなシーンとして残っているのでしょうか。
吉田沙保里(以下 吉田):あの時はただ「ああ、負けた……」と。4対1のまま追いつけず、最後はタックルに入ったけど、試合終了のブザーが鳴って。そのまま「ああ……」という感じだったので。

──中継を拝見して、あらためて、アスリートの方ってとても過酷だなと思いました。私も人に見られる仕事をしていますけれども、大抵は見られることを前提にメイクをしていただき、照明を当てていただく。でもアスリートの方は、360度本当に……。
吉田:ありのまま(笑)。

──見られることを意識なんてしていられないところを、ずーっと撮られ続けて、それを全世界の人が見て。しかもそこで勝敗がつく。ちょっと他にない厳しい見られ方だなあと思うんですよね。
吉田:そうですね。でもそれが良さでもあると思うんですよね。なかなかそこまでは撮っていただくこともないじゃないですか。それに、競技をそんな風に見ていた抱いているからこそ、素の私とのギャップがあったりとか。競技中ではない私を見て「普段はこんな感じだったんですね」とも言っていただけるし。

──そういうものですか?
吉田:人によって「見られること」の始まりがどんなものだったかで、それに対する考え方や感じ方も変わると思うんですけれども、私は小さい頃からずっとそうやってきて、それが当たり前の世界だったので。

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「銀メダルで、ごめんなさい」の理由。
──そうだとしても、あれだけの大きな舞台で、しかも、金メダルではなかったという場面でのインタビューって……どんなに大変だろうって、思いながら見ていました。あの時の吉田さんのインタビューは、悔しさも動揺も伝わってきたし、なんて素直な人だろうと。本当に率直な「ごめんなさい」とか「まさか銀メダルとは思いませんでした」とか……あの場面で、素直にあのような言葉を出せる吉田さんってすごいな、素敵だなと思ったんですよね。
吉田:いろいろな人と約束していました。金メダルを見せる、絶対に頑張ってくるからね、と。その約束の相手は一人や二人ではなく……へたしたら日本の国民の皆様が、吉田は間違いなく4連覇をするだろう、と期待していたかもしれない。今回は日本選手団の主将としてリオに行かせていただいていたということもありましたし。だから金メダルが取れなかった時、「ああ、取れなくてごめんなさい」って。本当にそのままの気持ちだったんです。ああいう時のインタビューって、終わって、本当にすぐなんですよ。試合後、マットから下りて帰るところにインタビュアーの方が待っているので。だから、負けた時の、ありのままの気持ちが出たという感じですね。

──あの後、日本では「吉田さん、謝らないで」という意見もあったんですけれど、私は、その時その人が謝りたいって思ったんなら、そうするのがいいと思ったし、泣きたいなら遠慮なく泣いてほしいと思った。でも、国を背負ったアスリートって、それに加えて、立場とか、その立場に対する期待もあるのですよね。
吉田:やはり私自身、4連覇したいという強い気持ちがありましたので、それができなくて悔しいという思いもありましたし、皆さんの期待に応えられず、4連覇を見せられなくてごめんなさい、という思いもありましたし……。でも「謝らなくてもいいですよ」という優しい言葉を国民の皆さんからいただけたことは素直にうれしく思いました。皆さんが「よくやった」と褒めてくださっている、負けても見捨てずに私を応援してくださっているんだ、という気持ちになれましたね。

吉田沙保里の「仕事論」。
──読者の人も、戦っている人はいると思います。大人の女性は皆、多かれ少なかれ、戦っていますから。悔いのないように、失敗を恐れず進みたいけれど、「失敗」をすることで、例えば会社経営をしている人は会社が倒産したらどうしよう、とかね。どうしても守りに入ってしまう。
吉田:そうですね。

──では守りに入らないで、全力でぶつかっていくためには……20代の頃とは違って、守るものもできているのが30代ですよね。吉田さんでいうと、何連覇もしているということとか、期待を背負っているとか。だけど恐れずに向かっていくためには何が必要なのでしょう。
吉田:私の場合でいうと、私はレスリング一本で生きてきたんですよね。レスリングは、やったらやった分だけ自分に返ってくるし、頑張ったら頑張った分だけ結果になってきた。スポーツと社会とは、また少し状況は違うと思うとは思うんですけれど、ただ、スポーツでもそうでなくても、何もやらないで文句を言うことだけはしたくないんですよね。大切なのは、とにかくやるだけやる、ということだと思う。「これだけやったんだから」と悔いなく思えるくらい、やる。やらないで失敗して、それで落ち込んで……というのは一番辛いことだと思います。スポーツと社会はまた違うとは思うんですけれども、結果が失敗だったとしても、自分が「でも、ここまでやれた」「ここまで頑張ったんだから仕方ない」と思えるかどうかだと思うんです。レスリングでも、どんなに頑張っても一回戦で負けてしまう人もいる。あれだけの競技者がいるのですから、当たり前です。オリンピックに出られるのは1階級、1人しかいない。でも、一回戦で負けても、そこまでに頑張ったことは絶対に次の人生で生きてくる。そこで頑張れた人は、絶対にその後も頑張れる。全力で、出し切るということ。やると決めたからには、最初から最後まで、全力でやりきることが本当に大切なんだと思うんですよね。例えば今日の撮影も、せっかくこんな機会があるんだから、撮影に関わった皆さんが楽しい撮影だったと思ってもらいたいし、そのために私にできることは何でもやりたかったし、全力で撮影を楽しもうと思っていたんですよね。なので、失敗を怖がってたら全力は出せないですからね。自分が決めたことなので、怖がらずに頑張りたいんですよね。

そういえば、うちに銀メダルは1つもないじゃないか、と気づいた。
──結果が出ないと「今まで頑張ったことは一体何だったんだ」と思うこともあるかもしれないけれど、結果ではなく、過程もあるんですよね。何のためにそれをやっているかを考える。そして、ただ、悔いなくやるということが大事だと。
吉田:そうですね。やはり「こんなに頑張ったのに、こんな結果になって情けない」「何やってるんだろう、私」と、思うこともあると思うんですよ。ただ、その時、周りがどうやってアドバイスして助けてあげるか、はとても大事ですし、「ここまでくるのに、一緒に頑張った人がいる」「こんなに頑張れたのは、この人のおかげだ」「この仲間と頑張れて嬉しい」と思えるかどうかということも大事だと思うんですよね。どんな人も必ず、何らかの形で誰かに助けられていて、一人だけで頑張っているわけではないので。

──そういえば、吉田さんの試合後のインタビューでも「こんな落とし穴があるとは思いませんでした」という言葉の後に「レスリングをやってきて幸せです」って。普通、「こんな落とし穴があるとは思いませんでした」の後は「悔しいです」という言葉が続くと思うじゃないですか。でも、「幸せです」と。あの時はどんなお気持ちだったんでしょう?

吉田:「こんなふうに負けることもあるんだ」と思ったんですよね。私はずっとずっと勝ち続けてきて、世界選手権とオリンピックでいうと、負けたことなくて。で、オリンピック4連覇のかかった試合で銀メダル……。でも、銀メダルを手にした時、「ああ、銀メダルも綺麗だな」と思ったんですよ。それで「そういえば、うちに銀メダルは1つもないじゃないか」と気づいて、そうしたらその銀メダルはとても大事なもののように思えた。銀メダルもいいなって。やっぱり、勝つことだけじゃないので、人生は。ずっと勝ちだけの人なんていないし。あれほどの記録を持つイチロー選手だって、ヒットを一本も打てない日がある。人間は、機械でもロボットでもないし、壊れることも、あるから……。自分で人生を決めていかないといけないし、後は自分でどうしていくかだから。

女性として、競技者として。34歳という年齢に、どう向き合うか。
現在34歳。いい年齢でもあり、悩みも多い年齢でもある。アスリートでいうと、今回金メダルの選手とは約10歳くらい違うわけですよね。
吉田:ひとまわりくらい違いますね(笑)。

──体力の差、世代の差も出てくるだろうし。アスリートとしてはそういうことがありますし、女性としてみても、一人の人間としてみても、それぞれ年齢の捉え方の尺度は違ってくるじゃないですか。34歳という年齢は吉田さんにとってどういう年齢なのでしょうか。
吉田:まず自分が34歳ということが信じられないんですよね。一緒に練習している選手も高校生、大学生ととても若いですし、家に帰れば甥っ子や姪っ子が7人もいるんですよ。だから自分が34歳という気がしない。けれど、同世代の友人を見ると、皆、結婚して子供がいたり家庭を築いたりしていて。やっぱりそれを見ると「ああ、いいなあ」って。将来私もこのまま一人で行くのもなあ……って思ったり。結婚して子供が欲しい、とも思いますし。子供が大好きなので。でも一人が楽なのかなと思うこともありますけれど(笑)。子供だけ欲しいな、とかそれだと子供がかわいそうだなとか(笑)。やっぱり彼氏欲しいなとか。

──どんな人が好きですか?
吉田:一緒にいて面白い人。話が合うというか、話をリードしてくれる人がいいです。私は甘えるタイプなので。

──意外ですね。
吉田:はい。恋愛では、ね(笑)。ちゃんとリードしてもらってそれに乗っかりたいんです。

──でもレスリングとなれば、後輩との関係では吉田さんがリードして。吉田さんはどういうタイプのリーダーですか? グイグイと引っ張っていくタイプですか、それとも多くは語らずに……というタイプですか。
吉田:レスリングではグイグイですよ。リーダーシップというか。

女であることの前に、ただ自分のままでいる。
──レスリングって男性的なスポーツととらえられることがありますよね。一般的なイメージからすると、レスリング選手として生きることは、女の人生としては特殊だと見られることもある。そういう、「女として」のようなものってどうとらえていますか?
吉田:男の子たちを相手にレスリングをやって育ってきたこともあり、そこまで性差を意識したことはないかもしれません。女性であることを人にどうとらえてもらいたいかということはあまり考えないですね。特にレスリングにおいては「女性として見られたい」と思ったことはないです。だけど霊長類最強とか名前がついたりする中で、今回のように負けると「ああ、吉田沙保里も女だったんだ」とか言う人もいる。「泣いたりして、可愛い一面もあるじゃないか」とか(笑)。それはそれでうれしく思いますし、そこはあまり気にせず、ただ自分のままでいるという感じですね。

──普通の人はおそらく、女っていうものが何であるかを決めたくなる。「女とはこういうもの」という基準を勝手に決めて、それに自らを照らし合わせ、悩んでいる。でも吉田さんは何が女かとか、そういうことではなく、ちゃんと自分に折り合いがついていらっしゃるというか。それが自由で、健やかで。魅力だなと。
吉田:そうなんです、自由なんですよ、私。まあ、人それぞれだし、皆が一緒だったらつまらないですから。人間ないものねだりだから、ないものは欲しくなる。私も、胸が大きかったらなとも思うし、もっと可愛かったらな、もっと背が高かったらなって思いますよ。でも、それは生まれ持ったものだから仕方ないし、ないものはしょうがない。これが私だし、こんな私だったから、オリンピックで優勝できたのかもしれない、と。ここでもすぐにうまいことプラスに切り替えているんですよ(笑)。自分を幸せにしてあげられるのは自分しかいないので。人と比べて悩んだりするのは嫌なんですよね。人にいいところがあるように、きっと自分にもいいところがいっぱいあると思うので。

絶対に誰にも負けたくない、という気持ち。
──このインタビューが掲載される1月号のテーマは「Over the Top」です。吉田さんにとっての「Over the Top」であることのモチベーションは何ですか?

吉田:3歳でレスリングを始めて、5歳の時に初めて試合に出たんです。そこで、私に勝った男の子が、表彰台の一番高いところに立っていた。それを見て「あの金メダルが欲しい」と泣いたんです。そうしたら父が「あの金メダルは、頑張って練習して、強くなって、勝った人にしか与えられないものなんだ。コンビニやスーパーに売っているものじゃないから、欲しかったら頑張りなさい」と。それを機に、ものすごく頑張るようになりましたし、それからは「絶対負けたくない」という気持ちが一番のモチベーションでした。ずっと簡単に勝っていたとか、ダントツに強いと思われているんですけど、実はそういう思いがあって、いつもギリギリのところで勝ってきているんですよね。

──そうなんですか!? あれほど連覇しているのを見ていたので、きっと圧倒的に、ダントツで強いんだろうと思っていました。
吉田:勝って当たり前とかね(笑)。でも、ギリギリでした。自分としてはいつも試合ではとても緊張しているし、いつ負けるかわからないと思いながらやっていました。試合結果だけが報道されるので仕方ないですけれど、1点差でかろうじて勝ったこともあれば、最後にギリギリで逆転して勝ったこともある。だけど、強くて当たり前と思ってもらえることは、それはそれでうれしかったし、力にもなっていました。

──他人の見方はいろいろだけど、ポジティブに受け入れようと。

吉田:はい(笑)。ここまで記録を残したんだから、霊長類最強って呼ばれても、もう仕方ないって。正直ちょっと微妙だけど、その呼び方で応援してくださる人がいるのはうれしいし、だったらもう霊長類最強女子でもいいかなと。今はそう思ってますね(笑)。

4年後のことは、まだわからない。
──次のオリンピックは、東京です。この4年間で、吉田さんはどう変わっていくのでしょうか。
吉田:今、リオが終わったばかりで、全然練習もできていない状況で。その分、こうして他の新しいことをたくさん経験させていただいているんですけれども。これが落ちついて、また練習に戻った時に。後輩にまだ勝てるようだったら、自分が出るべきだと思うかもしれない。ただ、後輩たちも強くなってきているので、そんな簡単に勝てないですし。そこは私も指導してあげながら、共に東京オリンピックを目指して頑張っていけたらいいなと思いますけれどね。今ここで出る、出ないは決められないです。4年後のことは全然わからない。でも東京でオリンピックがあってそれに出場するなんて、本当に魅力的なことですし、現役選手として、これ以上ないことなんです。いつも言うんですよね、リオの年、2016年が東京だったら最高だった、と。もし2020年が東京じゃなかったら、リオで辞めていたと思うんですよ。

──次は東京だから、まだやめられない。

吉田:今も、オリンピックを目指して頑張っている子供たちがたくさんいて。私はもう4回も出させていただいたので……それで、そこでまた私が出たら、この子たちは何してたんだ、こんなおばさんに負けて、と。だからそう言われないように後輩たちも頑張るでしょうね。そうやって、日本レスリング界としていい結果を出せたら最高だなと思います。

Portrait Photos: Kinya Photos: Getty Images Interviewer: Keiko Kojima Editor: Mayumi Nakamura Hair: Takeshi Makeup: Yuka Washizu Stylist: Rena Semba