【戦後70年と私】加瀬英明氏 ミズーリ号で降伏文書調印に臨んだ父の無念と誇りを胸に (1/2ページ)

2015.08.12


米戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印式に臨む重光葵全権(中央、1945年9月)ら【拡大】

★外交評論家・加瀬英明氏

 私は終戦の8月の夏に、小学3年生だった。夏休みもなく、毎日、クラスぐるみで山のふもとに入って、日本の勝利を信じて、軍馬のマグサ刈りに励んでいた。

 15日に天皇陛下のラジオ放送のあとで、「戦争に負けた」と教えられたときに、私は日本が負けるはずはないと思っていたから、信じられなかった。

 10月に長野県の疎開先から、母に連れられて東京へ帰った。上野駅の外に出ると、見渡す限り焼野原だった。四谷にあったわが家も、戦災で焼かれていた。

 父、俊一は外務省に奉職していたから、東京から離れなかった。

 父は借家に、祖母のか津と住んでいた。祖母は私と再会すると喜んでくれた。「大きくなったら、かたきを討って、日本を立派なお国にしてください」といって、諭された。

 父は占領軍との折衝に忙しく、夜遅く戻ってきた。

 私は「東京がこんなにめちゃくちゃになったが、日本は大丈夫なのか」とたずねた。父は「アメリカは日本中壊すことができるが、日本人の魂を壊すことはできない」といった。

 父は9月2日に、東京湾に浮かぶ米戦艦「ミズーリ号」上の降伏文書調印式に、重光葵(まもる)全権に随行して参列していた。重光氏が降伏文書に調印するすぐわきに、父が立っている。

 その前夜、祖母が父を呼んで、「あなた、ここにお座りなさい」といった。

 座ると、「母はあなたを降伏の使節にするために、育てたつもりはありません」と叱って、「行かないでください」といった。

 

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