袴田巌さん再審 きょう午後判決 事件発生から60年近く

58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審=やり直しの裁判で、静岡地方裁判所は26日午後、判決を言い渡します。死刑が確定した事件で再審が開かれた過去の4件ではいずれも無罪が言い渡され、確定していて、袴田さんは事件発生から60年近くたって無罪となる公算が大きくなっています。

58年前の1966年に今の静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審は、ことし5月、あわせて15回に及んだすべての審理が終わりました。

最大の争点は、現場近くのみそタンクから見つかった「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかです。

この衣類は事件発生から1年2か月後に見つかり、検察は「1年余りみその中に入っていた衣類の血痕に赤みが残る可能性はある」などとして、袴田さんが犯行時に着用したものだと主張し、改めて死刑を求刑しました。

一方、弁護団は「専門家による鑑定などで、1年以上みそに漬けられた血痕に赤みが残ることはないことが明らかになった。捜査機関が有罪にするために衣類をタンクに隠したとしか考えられない」などとして、無罪を主張しました。

死刑が確定した事件で再審が開かれたのは5件目で、過去の4件でも検察が死刑を求刑しましたが、いずれも無罪が言い渡され、確定しています。

また、去年3月に東京高裁が出した再審開始決定では、弁護団が提出した証拠について「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」だと判断しています。

判決はこのあと午後2時から静岡地裁で言い渡される予定で、袴田さんは事件発生から60年近くたって無罪となる公算が大きくなっています。

袴田さんの午前中の様子は

袴田巌さんの姉のひで子さんによりますと、袴田さんは26日、午前中に起きて朝食をとったということです。

袴田さんは自宅でくろいでいる様子でひで子さんが「静岡に行ってくるよ、晩に帰ってくるよ」と声をかけると「はい」とこたえたということです。

姉 ひで子さん「きょうで最終にしてほしい」

袴田さんと一緒に暮らしている姉のひで子さん(91)は、午前10時半ごろに浜松市内の自宅を出て支援者の車に乗り込み、静岡地方裁判所に向けて出発しました。

自宅を出る際に報道陣の取材に応じたひで子さんは26日の判決について「平常心です。もちろん無罪を期待しているが、裁判なので発表を待ってみないとわからない」と述べました。

ひで子さんは白い上着を身につけていて、服装について問われると「縁起を担ぐというか、白がよいと思った」と述べ、袴田さんの潔白を訴える意味を込めたと話しました。

そして「58年闘ったのでいいかげんにしてもらいたい。みんな一生懸命になって訴えてきたので検察には控訴しないようにお願いしたい。裁判なのでまだわからないが、きょうで最終にしてほしい」と話していました。

争点 “血痕に赤み残っていたこと 不自然かどうか”

再審では「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかが最大の争点となりました。

「5点の衣類」は、事件の発生から1年2か月後のすでに裁判も始まっていた時期に現場近くのみそタンクから見つかった、血のついたシャツやステテコなどで、死刑が確定した判決では、袴田さんが犯行当時着ていたものだとして、有罪の決め手とされました。

当時の捜査資料では血痕について「濃い赤色」などと記されていました。

これについて再審請求の審理で弁護団は「1年以上みそに漬かっていたら血痕は黒く変色するはずで、赤みがあるのは発見される直前に袴田さん以外の誰かが入れたものだからだ」と主張。

争点は血痕の色の変化に絞られ、弁護団が鑑定を依頼した法医学の専門家は「血液がみその成分にさらされると黒く変色する化学反応が進み、1年2か月の間みそに漬けた場合、赤みが残ることはない」と結論づけました。

去年3月、東京高等裁判所は弁護側の専門家の鑑定結果などを踏まえ「1年以上みそに漬けられると血痕の赤みが消えることは化学的に推測できる」と指摘し、捜査機関が衣類をねつ造した可能性が極めて高いとして、再審を認めました。

そして、去年10月から静岡地方裁判所で始まった再審でも、再び血痕の色について争われてきました。

検察は、再審での新たな証拠として、法医学者7人による「共同鑑定書」を提出し、「長期間みそに漬けられた血痕に赤みが残る可能性は認められる」と主張しました。

一方、弁護団は、鑑定を依頼した専門家による意見書を新たに提出し「検察側の専門家の主張を踏まえても、血痕に赤みが残らないという結論は揺らがない」と反論しました。

事件発生から58年 これまでの経緯

58年前に静岡県で一家4人が殺害された事件は、袴田巌さんが有罪か無罪かが半世紀以上にわたって争われ続けてきました。

1966年6月、今の静岡市清水区でみそ製造会社の専務の家が全焼し、焼け跡から一家4人が遺体で見つかりました。

その年の8月に会社の従業員だった元プロボクサーの袴田巌さんが、強盗殺人などの疑いで逮捕されました。

当初は無実を訴えましたが、逮捕から19日後の取り調べでいったん自白し、裁判では再び無実を主張して争いました。

事件発生から1年2か月後、裁判が進められている途中で、みそ製造会社のタンクから血の付いたシャツやステテコなどの「5点の衣類」が見つかりました。

1968年9月、静岡地方裁判所は「5点の衣類」は袴田さんが事件の時に着ていたものだと認定し、有罪の証拠だとして死刑を言い渡しました。

一方、袴田さんが自白した時に作られた45通の調書のうち44通は強要された疑いがあるとして、証拠として認めませんでした。

その後、2審の東京高等裁判所と最高裁判所も無罪の主張を退け、1980年に死刑が確定しました。

翌年、弁護団は事件の直後の捜索ではみそタンクから衣類が見つかっておらず、衣類のサイズが合わないなど不自然な点がある上、自白も強要されたものだとして、再審=裁判のやり直しを申し立てました。

しかし、27年に及んだ1回目の再審の申し立ては認められませんでした。

続いて弁護団は、「5点の衣類」が長期間みそに漬かっていたにしては血の色が赤すぎるとして、支援者とともに血をつけた衣類をみそに漬ける実験を行い、この報告書を「新たな証拠」として改めて裁判のやり直しを求めました。

2010年、弁護団の求めに応じ、「5点の衣類」の鮮明なカラー写真が検察から開示されました。

2014年、静岡地方裁判所は衣類に付いた血痕の色について1年以上、みそに漬かっていたとするには不自然だと指摘し、再審開始を決定。

「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」と当時の捜査を厳しく批判し、死刑囚の釈放も初めて認めました。

しかし、2018年。東京高裁は検察の不服申し立てを受けて地裁の決定を取り消しました。

2020年、最高裁は再審を認めなかった東京高裁の決定を取り消し、衣類に付いた血痕の色の変化について審理が尽くされていないとして、やり直しを命じました。

東京高裁で再び行われた審理では、長期間みそに漬けられると血痕の赤みが失われるかどうかが最大の争点となりました。

去年3月。東京高裁は弁護側が提出した専門家の鑑定結果などを踏まえ「1年以上みそに漬けられると血痕の赤みは消えることが化学的に推測できる」と指摘。

その上で「5点の衣類」については、「事件から相当な期間が経過したあとに捜査機関の者がみそタンクに隠した可能性が極めて高い」としてねつ造の疑いに言及し、再審を認める決定を出しました。

検察は最高裁への特別抗告を断念した一方、去年7月に再審で有罪を求める立証を行う方針を示し、改めて有罪か無罪かが争われることになりました。

そして、去年10月。静岡地方裁判所で再審が始まりました。

袴田さんは、死刑への恐怖のもと長期間収容された影響で意思の疎通が難しくなり、出廷が免除されました。

あわせて15回に及んだ審理では「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかが、最大の争点として改めて争われました。

姉 ひで子さん「ごくごく平常心でいます」

判決を前に袴田さんの姉のひで子さん(91)は、24日報道各社の取材に応じました。

この中で、ひで子さんは「58年闘っているのでごくごく平常心でいます。もちろん無罪判決を望んでいますが、裁判ですから決定を聞いてみないことにはわかりません」と話しました。

また、弟を半世紀以上にわたって支え続けてきたことについて「長い間、闘ったには違いありませんが、40年くらいはもう見えないものと闘っていました。弟は無実だということを信じていましたから、これだけできました。死刑囚にあとはないので、だからこそ頑張ってこられました」と振り返りました。

袴田さんは、死刑への恐怖のもと長期間収容された影響で、釈放から10年となる今も意思の疎通が難しい状態が続いています。

ひで子さんは、袴田さんの顔色などを見ながら判決の結果を伝えるつもりだということで「『あんたが言ったとおりだよ』と巌に伝えたい。今でも『死刑囚』で町なかを歩いていますけど、それでも死刑囚です。死刑囚でなくなって歩くというのはまた違うと思う」と話しました。

30年余りにわたって弁護活動を続けてきた弁護団長の西嶋勝彦さんがことし1月に亡くなったことについては「本当に残念です。もう半年、生きていてもらいたかった。ありがとうのひと言です。判決が終わったら『本当にお世話になりました』と言葉をかけたい」と話しました。

死刑確定した事件の再審で判決 35年ぶり 戦後5件目

死刑が確定した事件の再審で判決が言い渡されるのは35年ぶりで、戦後5件目となります。

1980年代には、死刑が確定したあわせて4つの事件で再審が開かれました。

このうち初めて判決が出されたのは、1948年に熊本県で夫婦2人が殺害された「免田事件」で、熊本地方裁判所八代支部で1983年に無罪が言い渡されました。

その後、1950年に香川県で男性が殺害され現金が奪われた「財田川事件」や、1955年に宮城県で住宅が全焼して一家4人が遺体で見つかった「松山事件」、それに1954年に静岡県で当時6歳の女の子が連れ去られ殺害された「島田事件」で、相次いで無罪が言い渡されました。

これらの4つの事件では、無罪判決に対して検察が控訴せず確定しています。

袴田巌さんの再審の判決は、1989年の「島田事件」の判決以来、35年ぶりとなります。

また、過去の4件では、初公判から判決の言い渡しまでにおよそ1年から2年半かかったのに対し、袴田さんの再審ではおよそ11か月となり、最も短くなっています。

“再審に関する法改正”求める動き広がる

再審の制度は通常の刑事裁判とは違って審理の進め方や証拠開示のルールが具体的に定められておらず、審理が長期化し、えん罪を晴らす妨げになっているとの指摘も出ています。

袴田さんが最初に裁判のやり直しを求めてから再審が開かれるまでには、42年が費やされました。

こうした状況を受けて、ことし3月には再審に関する法律や手続きを見直そうと、超党派の国会議員による議員連盟が発足し、これまでに347人が参加しました。

議員連盟は関係者や関係機関へのヒアリングを行い、この中で袴田さんの姉のひで子さんは、「58年闘ってやっと再審開始になりました。法律に不備があると思うので二度と弟のようなことが起きないよう法改正に協力をお願いします」と訴えました。

また、最高裁判所の担当者は、ヒアリングに対し「証拠開示で時間がかかることもある」と現状を説明しました。

一方、法務省の担当者は、有識者などでつくる協議会が再審での証拠開示についても議論しているとした上で「個々の事案の内容、証拠の量などさまざまな事情が積み重なっているので、何が長期化の原因になっているかを一概に評価するのは難しい」と述べました。

議員連盟はことし6月、小泉法務大臣と面会して法改正を求める要望書を提出し、過去に再審で無罪になった事件について第三者を交えて検証するなど積極的に議論を進め、最後の救済制度にふさわしい法制度を構築するよう求めました。

これに対し、小泉法務大臣は「制度全体のあり方の中で、えん罪の方を生み出してはいけない、そういう方々を救える制度に1番重きを置きつつ、全体のバランスを見ながら、しっかりと検討を進めていきたい」と述べました。

法改正を求める動きは全国各地にも広がっていて、日本弁護士連合会によりますと、北海道や静岡など12の道府県議会を含む350余りの地方議会が、国会に対して法改正を求める意見書を可決しています。

再審と釈放認めた元裁判官も法改正に動く

10年前に袴田さんの再審と釈放を認める決定を出した元裁判官は、えん罪被害者を速やかに救済するために、再審に関する法律の改正が必要だと訴えています。

静岡地方裁判所の元裁判長、村山浩昭さんは2014年3月、袴田さんの再審を認めるとともに「これ以上の拘束は耐え難いほど正義に反する」として、釈放も認めました。

死刑囚の釈放を初めて認める異例の決定でした。

村山さんは袴田さんの再審開始が決まるまでに40年あまりが費やされたことから、今の再審制度には、審理の長期化を招きかねない欠陥があると感じたということです。

具体的には、再審に関する法律で「証拠の開示」に関する具体的な規定がないことや、再審開始決定に対する検察の不服申し立てが禁止されていないことを課題だと考えるようになったといいます。

村山さんは退官後、みずから法改正に向けて動いています。

去年の春ごろから1年5か月の間に全国各地を飛び回り、講演会で登壇したり、みずから街頭に立って啓発グッズを配ったりして、法改正の必要性を市民に直接、訴えてきました。

村山さんは26日に判決が言い渡されることについて「静岡地裁の再審開始決定から10年半、事件から58年というとても長い年月がたった。大半を死刑囚として過ごされた袴田さんにとっては、想像を絶する苦難の時間だったことは間違いない」と述べました。

その上で「この裁判を通して考えるべきこと、問題にしなければならないことは、日本の刑事司法そのものだと思う。どうすれば再審の制度を変えられるのか真剣に議論する必要がある」と話していました。