■奈良国立博物館 特別展『みほとけのかたち -仏像に会う-』(2013年7月20日~9月16日)
絵画や彫刻であらわされた仏像の「かたち」に注目しながら、仏像のもつ意味や、魅力の源をたどっていく展覧会。だから、信仰とか歴史、由来などにあまりこだわらず、「服」「髪」「顔」「姿勢」など、目に見える特徴から仏像を分類し、語っていく。奈良博の所蔵品、もしくはふだんから奈良博で見られる寄託品(?)が多いが、ときどき、おや、と思うものもある。北僧坊の虚空蔵菩薩坐像は、私の好きな、威厳のある平安初期の仏像。北僧坊(矢田寺)にはまだ行ったことがない。林小路町自治会の弥勒菩薩立像は全身が金色を呈し、さらに細やかな截金をまとう。キリッとしたプロポーションが鎌倉時代らしくて好き。橋本院の涅槃像は、やや仰向き加減なところが、夏の昼寝みたいだった。
彫刻ばかりかと思っていたら、仏画もたくさん出ていたのが嬉しかった。奈良博所蔵の十一面観音菩薩像(12世紀)は、運がいいと奈良博トップページの飾りバナーに足元だけ表示される。久しぶりに天寿国繍帳も見た。ただし、仏画は展示替えが多いので、いま図録を見ながら、うわー京都・知恩院の地蔵菩薩像、見たかったなー。個人蔵(!)の不空羂索観音菩薩像も。蓮台に両足を下ろして「腰かける」姿がめずらしい。兵庫・太山寺の十一面観音菩薩像も、等々、悔やんでいる。いずれもかなり宋の影響の強い鎌倉時代の仏画。意外と平安・院政期の仏画のほうが博物館等に寄託等されているのに対し、鎌倉期の仏画って、お寺に大事に仕舞われていることが多くて、見る機会が少ないかもしれない。後期(8/20-9/16)展示。9月にもう1回、来られるだろうか。
平常展(なら仏像館)の名品展『珠玉の仏たち』がどうなっているかも、もちろんチェックしてきたのだが、これは時間があったら別稿に起こすことにする。
■寧楽美術館 企画展『中国の書画と陶磁器など』(2013年4月1日~9月16日)
いつも通り過ぎていた小さな美術館に初めて寄ってみる。古鏡、古印、碑帖、陶磁器などが、少しずつ並んでいた。
■東大寺ミュージアム 修理完成記念特別展『国宝・東大寺金堂鎮壇具のすべて』(2013年3月1日~9月29日)
東大寺の境内に入り、久しぶりに東大寺ミュージアムに入り、『西大門勅額』や『誕生釈迦仏立像及び灌仏盤』と久しぶりに再会する。奈良博の常設館にあったときは、年に1、2回は必ず見ていたのになあ。2011年秋にここを訪ねたときは、三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像がいらっしゃったが、今年5月、予告どおり、もとのお堂に戻られたようだ。けれども日光、月光菩薩は、ここに残ることになった。間に不空羂索観音の巨像を挟まず、日光、月光菩薩が並び立つ様子は、とても不思議な感じがした。ぽっかり空いた空間に物足りなさが残るようでもあり、距離も近くなって、二体が仲良く並んだ姿を見ていると、「これでよかったんだ」と思う気持ちも徐々に湧いてくる。
表題の特別展には、「陽剣」「陰剣」の象嵌銘(肉眼ではほとんど見えない)を持つ『金銀荘大刀』2件が出ていた。これ、あれじゃないか。明治時代に大仏の基壇下から出土した鎮壇具で、『国家珍宝帳』にも記載がある宝物。およそ1250年間にわたり行方不明だったが、2010年、X線調査によって判明した(→ニュース記事2010/10/25)。そのあと、東博の『東大寺大仏-天平の至宝-』展で公開されたらしい(おぼろに記憶がある)のだが、私は関心が薄かったのか、何も記載がない。でも今の展示なら、繊細な金平脱唐草文様など、じっくり見られる。上記の大刀は装飾品の印象が強いが、むしろ印象的なのは、鉄製の小札を綴った挂甲残闕。武器の印象が生々しい。
■東大寺境内(三月堂~二月堂)
5月18日から拝観を再開したはずの三月堂にも寄っていくことにする。前回の奈良訪問は、拝観再開の直前だった。石段を上がっていくと、白壁・黒い瓦屋根の静かな風景に和む。
入ってみると、定位置に戻られた不空羂索観音立像。手前に金剛力士像1対。左右に帝釈天と梵天。四隅に四天王。いずれも本尊に引けを取らない大きな乾漆像だ。秘仏の執金剛神を除くと、檀上には計9体。全体にすっきりと見通しのいい空間になった。梵天・帝釈天の足元とか、いや本尊の足元も、以前はこんなふうに見えていなかったよなあと思う。いただいたカラーパンフレットも新しくなっていた。これから、このお堂を訪れる若者たちは、この配置を記憶していくんだろうなあ。まるでテイスト違いの日光、月光菩薩や、吉祥天やら弁財天やら地蔵菩薩や不動明王まで、この檀上に肩を寄せ合っていたなんて、想像もできないだろうなあ、としみじみ。
そろそろ帰りの時間が近づいたので、奈良→再び神戸空港から札幌へ帰着。札幌で、関西から遊びに来ていた友人に迎えられ(話が逆w)駅前のバルで休日の最後を楽しんだ。
絵画や彫刻であらわされた仏像の「かたち」に注目しながら、仏像のもつ意味や、魅力の源をたどっていく展覧会。だから、信仰とか歴史、由来などにあまりこだわらず、「服」「髪」「顔」「姿勢」など、目に見える特徴から仏像を分類し、語っていく。奈良博の所蔵品、もしくはふだんから奈良博で見られる寄託品(?)が多いが、ときどき、おや、と思うものもある。北僧坊の虚空蔵菩薩坐像は、私の好きな、威厳のある平安初期の仏像。北僧坊(矢田寺)にはまだ行ったことがない。林小路町自治会の弥勒菩薩立像は全身が金色を呈し、さらに細やかな截金をまとう。キリッとしたプロポーションが鎌倉時代らしくて好き。橋本院の涅槃像は、やや仰向き加減なところが、夏の昼寝みたいだった。
彫刻ばかりかと思っていたら、仏画もたくさん出ていたのが嬉しかった。奈良博所蔵の十一面観音菩薩像(12世紀)は、運がいいと奈良博トップページの飾りバナーに足元だけ表示される。久しぶりに天寿国繍帳も見た。ただし、仏画は展示替えが多いので、いま図録を見ながら、うわー京都・知恩院の地蔵菩薩像、見たかったなー。個人蔵(!)の不空羂索観音菩薩像も。蓮台に両足を下ろして「腰かける」姿がめずらしい。兵庫・太山寺の十一面観音菩薩像も、等々、悔やんでいる。いずれもかなり宋の影響の強い鎌倉時代の仏画。意外と平安・院政期の仏画のほうが博物館等に寄託等されているのに対し、鎌倉期の仏画って、お寺に大事に仕舞われていることが多くて、見る機会が少ないかもしれない。後期(8/20-9/16)展示。9月にもう1回、来られるだろうか。
平常展(なら仏像館)の名品展『珠玉の仏たち』がどうなっているかも、もちろんチェックしてきたのだが、これは時間があったら別稿に起こすことにする。
■寧楽美術館 企画展『中国の書画と陶磁器など』(2013年4月1日~9月16日)
いつも通り過ぎていた小さな美術館に初めて寄ってみる。古鏡、古印、碑帖、陶磁器などが、少しずつ並んでいた。
■東大寺ミュージアム 修理完成記念特別展『国宝・東大寺金堂鎮壇具のすべて』(2013年3月1日~9月29日)
東大寺の境内に入り、久しぶりに東大寺ミュージアムに入り、『西大門勅額』や『誕生釈迦仏立像及び灌仏盤』と久しぶりに再会する。奈良博の常設館にあったときは、年に1、2回は必ず見ていたのになあ。2011年秋にここを訪ねたときは、三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像がいらっしゃったが、今年5月、予告どおり、もとのお堂に戻られたようだ。けれども日光、月光菩薩は、ここに残ることになった。間に不空羂索観音の巨像を挟まず、日光、月光菩薩が並び立つ様子は、とても不思議な感じがした。ぽっかり空いた空間に物足りなさが残るようでもあり、距離も近くなって、二体が仲良く並んだ姿を見ていると、「これでよかったんだ」と思う気持ちも徐々に湧いてくる。
表題の特別展には、「陽剣」「陰剣」の象嵌銘(肉眼ではほとんど見えない)を持つ『金銀荘大刀』2件が出ていた。これ、あれじゃないか。明治時代に大仏の基壇下から出土した鎮壇具で、『国家珍宝帳』にも記載がある宝物。およそ1250年間にわたり行方不明だったが、2010年、X線調査によって判明した(→ニュース記事2010/10/25)。そのあと、東博の『東大寺大仏-天平の至宝-』展で公開されたらしい(おぼろに記憶がある)のだが、私は関心が薄かったのか、何も記載がない。でも今の展示なら、繊細な金平脱唐草文様など、じっくり見られる。上記の大刀は装飾品の印象が強いが、むしろ印象的なのは、鉄製の小札を綴った挂甲残闕。武器の印象が生々しい。
■東大寺境内(三月堂~二月堂)
5月18日から拝観を再開したはずの三月堂にも寄っていくことにする。前回の奈良訪問は、拝観再開の直前だった。石段を上がっていくと、白壁・黒い瓦屋根の静かな風景に和む。
入ってみると、定位置に戻られた不空羂索観音立像。手前に金剛力士像1対。左右に帝釈天と梵天。四隅に四天王。いずれも本尊に引けを取らない大きな乾漆像だ。秘仏の執金剛神を除くと、檀上には計9体。全体にすっきりと見通しのいい空間になった。梵天・帝釈天の足元とか、いや本尊の足元も、以前はこんなふうに見えていなかったよなあと思う。いただいたカラーパンフレットも新しくなっていた。これから、このお堂を訪れる若者たちは、この配置を記憶していくんだろうなあ。まるでテイスト違いの日光、月光菩薩や、吉祥天やら弁財天やら地蔵菩薩や不動明王まで、この檀上に肩を寄せ合っていたなんて、想像もできないだろうなあ、としみじみ。
そろそろ帰りの時間が近づいたので、奈良→再び神戸空港から札幌へ帰着。札幌で、関西から遊びに来ていた友人に迎えられ(話が逆w)駅前のバルで休日の最後を楽しんだ。