ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

目指すはスクラップ・ブックか、はたまたビジョン・ボードか。
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逃れることのできない矛盾の反射作用について

2011年11月13日 | 心の筋力トレーニングを続けよう

~ドストエフスキーを読んで得られる特別な思いを、娯楽だと一言でかたづけることはできない。他人事でいられる人は読まなくてもいい。あなたの世界が平和で愉快で理路整然としているならば、そのまま、舗装された道を進めるならば、ドストエフスキーなどを読む必要はない。

ドストエフスキー(残念ながら私は一作も読んだことがない)の評論集。
多くの人を通して、それぞれの経験、さまざまな視点から語られることで
個人的な読書体験では得られないような物の見方を示唆してくれるようで、こういった評論の類は読んでいて面白い。

~ 結婚の高める悪徳中の最たるものは利己主義。結婚という、いわば全体から二つの個を離反させ孤立させる利己的な制度。
― かつてこのような言説には出会ったことがないぞ。

~ 他者を自分自身と同じく愛すること、それを唯一なしえたのがキリストであり、
   われわれ人間がそれをなしえないのは人間が自我を持つ存在だからである

逃れることができない自我やエゴイズムの人間の法則のようなものと、
片や他者を尊ぶヒューマニズムの矛盾。

様々な相矛盾する見方を理解する能力、
「矛盾」は一つの価値であり、その矛盾を感じる能力を持てばこそ他ならぬ深みとなって現れてくる。

" ああ、きみ。だって神様がそうお創りになったのだよ。"
ドストエフスキーはそう言って、人間の最も醜い面を許容したのだという。
~ 我々がふつう軽蔑しあざけり、あるいは嫌悪するものの中に、彼は魂の美を見るのだった。 

21世紀 ドストエフスキーがやってくる
大江 健三郎 他
集英社

相矛盾する世界の中で見つけ出した、ささやかな温かさ、この曲にはそのようなものを感じる。
何に歓びを感じ、何に誇りを感じるのか。ささやかだからといって誰が何を言えるのか。
ソビエトがロシアになって、レニングラードという地の名前はサンクトペテルブルクに変わった。

Billy Joel - Leningrad w/lyrics

Went off to school and learned to serve the state  学校では国への忠誠を教育され
Followed the rules and drank his vodka straight   規則に従うことを覚え、ウォッカをストレートで飲んだ
The only way to live was drown the hate        生きていくためには憎しみを消し去るしかった
A Russian life was very sad                 ロシアでの生活はひどく哀しいものだ
And such was life in Leningrad               そしてそれがレニングラードでの生活だった

Viktor was sent to some Red Army town        ビクターは赤軍の捕虜送りになった
Served out his time, became a circus clown      刑期を務めあげた彼は、サーカスの道化になった
The greatest happiness he'd ever found        そうして彼がようやく見つけた最大の歓び、
Was making Russian children glad            それはロシアの子どもたちを喜ばせることだった
And children lived in Leningrad                レニングラードに住む子どもたちを

And in that bright October sun              あの明るい十月の太陽のなかで
We knew our childhood days were done        ぼくらは子供時代が終わったことを知った
And I watched my friends go off to war         友だちが戦争に行くのを見送った
What do they keep on fighting for?           どうして彼等は戦い続けるのか?

And so my child, and I came to this place       そうして子どもたちと僕はこの場所にやってきた
To meet him eye to eye and face to face        彼に会って、目と目を交わし、顔と顔を合わせた
He made my daughter laugh, then we embraced  彼は僕の娘を笑わせて、僕らは抱き合った
We never knew what friends we had           ぼくらは友情というものを知らなかったのだ
Until we came to Leningrad                  レニングラードに来るまでは

もう15年ほど前になる職場の先輩と淡路町の交差点でバッタリ出会って、久しぶりに飲みに行こうということになった。
いつまでも若いと言われてよろこんでいるようではアマいのだ。
いろんな経験を経て「自我」が形成されていくのだが、エゴイズムのまま突き進むのではなく、
ヒューマニズムという相矛盾するものに照らすことをしてこそ反射を繰り返して深みが出てくる、
そのようになりたいものだ。


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