もう4年前になるだろうか。
メモリアルキルトジャパン(エイズでお亡くなりになられた遺品で作ったキルトを大切に保管し、全国各地で展示している団体)の年次総会のゲストスピーカーとしてお話をさせて頂いたことがあります。
メモリアルキルトジャパン(MQJ)のメンバーの皆さんはよく知っている方がいらっしゃいますが、私が一番緊張してエイズの話をしたのが、この年次総会ではなかったかと思います。
なぜ、傍若無人に見える私が緊張したかというと、参加者20人位の総会の会場に、私の目の前のテーブルに、薬害エイズ訴訟大阪原告団初代団長赤瀬さんのキルトも置かれていたからです。
メモリアルキルトは、「人」なんです。だから、キルトの移動には、今でも郵便や宅配便は使いません。大切に人が持って全国を移動しています。
また、ホワイトキルトを前に、エイズの活動では大先輩の皆さんを前に、どう話をしたらいいのかと戸惑ったことを覚えています。
だけど、だからこそ、思いっきり私のエイズを話ましたよ(笑)
旧知のMQJ代表の寺口さんのご依頼ですが、できるならお断りしたかったのですが、私の活動のパートナーである前神戸市保健所の医師白井さんや、お世話になっているクラクソ・スミスクライン社の木下さんの「是非に!!」ということでお受けしたもののヒヤヒヤものでした。
「薬害エイズの皆さんの命のキルトを前にしての私のエイズの話など、一体何のお役にたてるのだろうか?」と本当に戸惑いましたが、赤瀬さんの胸を借りるつもりでお話をさせて頂いたことを覚えています。
話の最初に赤瀬さんのキルトに語りかけた言葉は、
「間違うかもしれませんが、精一杯お話をさせて頂きます」でした。
総会後の食事会で、メモリアルキルトの皆さんから、「よかった」と言って頂いて本当にほっと胸を撫で下ろしました。帰りに、「ネイムズ」の初期の頃のT-シャツを頂きました。これは、私の宝物です。「ネイムズ」とは、88年にアメリカで始まったメモリアルキルトの活動です。
今日は、少しエイズのアートの歴史を訪ねて下さい。アクト・アップやAAAの活動も見受けられますよ。
http://www.kanazawa21.jp/act/r/04/chronology_main3.html
私のようにエイズの市民活動をしていると、エイズの多様な活動の皆さんとのお出会いがあります。この頃の私は、実は、大きな矛盾の中にいました。
それは、薬害エイズ、性感染のHIV陽性者、市民という三者の間にあるBASE KOBEの活動を進めていると、相容れない感情に気づきます。
つまり、HIV陽性者の中には、常時体調の悪い方がいらっしゃいます。投薬の合わない方、合わなくなっている方、肝炎が悪化されている方など、日々状況が変わっています。
そんな方々に対しても、市民に向けてのエイズの予防啓発活動は、届いてしまうんです。だから、そんな命の不安を感じている人にとっては、メモリアルキルトは、自分の墓場を見る思いがしてしまうのだと思います。
これは、エイズの活動の先輩であり、親友のジャンプ・プラス代表の長谷川博史さんとも何度も話をしたことです。
薬害エイズの重い教訓を風化させてはならないと思います。しかし、現在生きていらっしゃるHIV陽性者の皆さんには、やはりメモリアル・キルトは、重いとも思います。
エイズの活動は、まさに多様なバックグランドを持った人たちの集まりです。予防のために単にコンドームを配るというような単純なものではありません。
昨今の日本の活動、特に地方の活動を見ていると本当に複雑な思いがします。地方に講演に寄せて頂くたびに、保健所や病院に勤務されている皆さんに対して、公衆衛生だけでエイズを見ないように私を含めて戒めています。
私は、日本のエイズNGOとしては、かなり微妙な立ち位置にあります。
神戸(地方)で市民活動をするゲイという立ち位置です。もちろん、市民の中には、クローゼットのゲイの仲間もいますから、ゲイの仲間に向けた活動もします。そして、陽性者の直接支援。
「HIVとともに生きる」ということは、大変難しい。発信一つで全く違う意味になってしまう。
「感染経路に関わらず」というのも、使い方を誤ると薬害エイズの被害者の皆さんのことを思うと随分都合のいい話に聞こえてしまう。
この難しいエイズの発信をこれからも続けていく訳ですから、しっかり学ばなければならないといつも思います。
メモリアルキルトジャパン(エイズでお亡くなりになられた遺品で作ったキルトを大切に保管し、全国各地で展示している団体)の年次総会のゲストスピーカーとしてお話をさせて頂いたことがあります。
メモリアルキルトジャパン(MQJ)のメンバーの皆さんはよく知っている方がいらっしゃいますが、私が一番緊張してエイズの話をしたのが、この年次総会ではなかったかと思います。
なぜ、傍若無人に見える私が緊張したかというと、参加者20人位の総会の会場に、私の目の前のテーブルに、薬害エイズ訴訟大阪原告団初代団長赤瀬さんのキルトも置かれていたからです。
メモリアルキルトは、「人」なんです。だから、キルトの移動には、今でも郵便や宅配便は使いません。大切に人が持って全国を移動しています。
また、ホワイトキルトを前に、エイズの活動では大先輩の皆さんを前に、どう話をしたらいいのかと戸惑ったことを覚えています。
だけど、だからこそ、思いっきり私のエイズを話ましたよ(笑)
旧知のMQJ代表の寺口さんのご依頼ですが、できるならお断りしたかったのですが、私の活動のパートナーである前神戸市保健所の医師白井さんや、お世話になっているクラクソ・スミスクライン社の木下さんの「是非に!!」ということでお受けしたもののヒヤヒヤものでした。
「薬害エイズの皆さんの命のキルトを前にしての私のエイズの話など、一体何のお役にたてるのだろうか?」と本当に戸惑いましたが、赤瀬さんの胸を借りるつもりでお話をさせて頂いたことを覚えています。
話の最初に赤瀬さんのキルトに語りかけた言葉は、
「間違うかもしれませんが、精一杯お話をさせて頂きます」でした。
総会後の食事会で、メモリアルキルトの皆さんから、「よかった」と言って頂いて本当にほっと胸を撫で下ろしました。帰りに、「ネイムズ」の初期の頃のT-シャツを頂きました。これは、私の宝物です。「ネイムズ」とは、88年にアメリカで始まったメモリアルキルトの活動です。
今日は、少しエイズのアートの歴史を訪ねて下さい。アクト・アップやAAAの活動も見受けられますよ。
http://www.kanazawa21.jp/act/r/04/chronology_main3.html
私のようにエイズの市民活動をしていると、エイズの多様な活動の皆さんとのお出会いがあります。この頃の私は、実は、大きな矛盾の中にいました。
それは、薬害エイズ、性感染のHIV陽性者、市民という三者の間にあるBASE KOBEの活動を進めていると、相容れない感情に気づきます。
つまり、HIV陽性者の中には、常時体調の悪い方がいらっしゃいます。投薬の合わない方、合わなくなっている方、肝炎が悪化されている方など、日々状況が変わっています。
そんな方々に対しても、市民に向けてのエイズの予防啓発活動は、届いてしまうんです。だから、そんな命の不安を感じている人にとっては、メモリアルキルトは、自分の墓場を見る思いがしてしまうのだと思います。
これは、エイズの活動の先輩であり、親友のジャンプ・プラス代表の長谷川博史さんとも何度も話をしたことです。
薬害エイズの重い教訓を風化させてはならないと思います。しかし、現在生きていらっしゃるHIV陽性者の皆さんには、やはりメモリアル・キルトは、重いとも思います。
エイズの活動は、まさに多様なバックグランドを持った人たちの集まりです。予防のために単にコンドームを配るというような単純なものではありません。
昨今の日本の活動、特に地方の活動を見ていると本当に複雑な思いがします。地方に講演に寄せて頂くたびに、保健所や病院に勤務されている皆さんに対して、公衆衛生だけでエイズを見ないように私を含めて戒めています。
私は、日本のエイズNGOとしては、かなり微妙な立ち位置にあります。
神戸(地方)で市民活動をするゲイという立ち位置です。もちろん、市民の中には、クローゼットのゲイの仲間もいますから、ゲイの仲間に向けた活動もします。そして、陽性者の直接支援。
「HIVとともに生きる」ということは、大変難しい。発信一つで全く違う意味になってしまう。
「感染経路に関わらず」というのも、使い方を誤ると薬害エイズの被害者の皆さんのことを思うと随分都合のいい話に聞こえてしまう。
この難しいエイズの発信をこれからも続けていく訳ですから、しっかり学ばなければならないといつも思います。