相模屋食料の社長・鳥越淳司氏は京都・西山のふもとで育った。
戦国時代、明智光秀が主君、織田信長を襲うため「敵は本能寺にあり!」と山を下った、そのあたりに実家があるという。今でこそ、おとうふの業界を一変させる存在と注目される鳥越だが、彼は小学校低学年のころは、「ガキ大将チームの端っこにいる子で、目立つこともなく、友達も少なかった」と言う。
ところが、小学校4年生の時に、彼の世界観が変わるできごとがあった。
「学級委員を決めることになった時です。誰も立候補しなかったので、恐る恐る『なら僕が』と手を挙げてみたんですね。『誰も賛同してくれなかったら嫌だな』なんて思いながら(笑)」
特に否定されることもなく、彼は学級委員になった。
「それまで『学級委員など僕にできることじゃない』という前提で考えていたんです。でもこの時から『できるじゃん』、なら、いろんなことを『とりあえずやってみよう』と考えるようになりました。今振り返ると、僕の人生の流れが変わるきっかけでしたね」
彼は次第に目立つことの楽しさを覚え、アニメ「キャプテン翼」が人気になると、草サッカーにも精を出した。
「足は遅かったのですが、とにかくボールがあると向かって走って行く。友達からは『ファイター』と呼ばれていました。『いつかスカイラブハリケーン(同アニメに出てくる技)をやる』とも思っていましたね。いわゆる『調子のり』だったので、目立って誉められると、より調子に乗っていく(笑)」
小さなきっかけだった。しかし、この時期に身につけた行動原理は、彼の人生を変えるだけでなく、おとうふの業界をゆるがす大ヒット商品を生むことになる。
人生は“ないなかで、どうするか”
「ファイター」の時期から約30年を経た2012年、鳥越は「ザクとうふ」を世に出し、大ヒットさせた。「ザク」は、1979年に放送され、本放送終了後に大人気を博した「機動戦士ガンダム」の敵方が使う「モビルスーツ」と呼ばれる巨大ロボットだ。
鳥越は、ガンダムの版権を持つ企業と交渉し、このキャラをかたどった枝豆味のおとうふをつくったのだ。ビールのおつまみのNo.1、2は枝豆と冷奴だ。そして「ザク」は緑色だから、薄緑色の、枝豆味のおとうふにした。味はついているので、お醤油はかけずに食べる。お醤油がかかった状態を『被弾』と呼び、工場でも「何丁」と数えず「何機」と呼ぶなど、遊び心が消費者を捉えた。
この商品の発売は、なかば「暴挙」だった。
「おとうふ売り場には、絹や木綿が並んでいるもの」という常識がある。事前にスーパーのバイヤーに相談しても「ガンダムを見て育った年齢の男性は、おとうふ売り場には来ないから」と言われた。肝心の鳥越自身も「この商品をヒットさせ、相模屋の名を全国に知らしめて……」などと考えたわけでなく「好きが高じてです。完全に趣味ですね」と話す。
ところが、この掟破りの商品は、5000丁売ればヒットといわれる豆腐業界で初回14万機が出撃、約1週間で累計約50万機を販売する大ヒット商品になったのだった。
ヒットの源は、鳥越の少年時代にあった。
彼はまず、「機動戦士ガンダム」との出逢いから語る。
「学校が終わると、仲間と“どろじゅん(地域によっては「どろけい」とも)”をして遊んでいたんですが、ある日、皆が『今日は帰ってテレビを見る』と言うんです。聞けば『すごいロボットアニメが放送される』と。それが、初回の放送で伝説的な人気を獲得した『機動戦士ガンダム』の再放送でした」
ガンプラも買ってもらえず…
当時小学校2年生の彼もガンダムを見て、その世界に魅了された。魅了されるだけでなく、彼は「つくる」楽しさにも目覚めていく。
「元々、オモチャを手作りするのが好きだったんです。親に『これかってーや!』と言っても買ってくれなかったので、例えばアーモンドチョコの箱を使って恐竜をつくったりしていました。恐竜ができても、どこかからチョコの香りがします。そこで妹に『恐竜はいいニオイのおならするんやで~』などと話した記憶があります。ガンプラ(ガンダムのプラモデル)も買ってもらえず、段ボールを切ってプラモみたいに組み立てて、マジックで色を塗ってつくりました」
彼が、いつもの“鳥越節”を始めた。
「アニメとは似ても似つかないヘタなものしかできなかったんですが、今思えば――人生は“ないなかで、どうするか”が大切だから、これでよかったんです」
「こんなものできませんよ」からのスタート
人生は、いつでもないものだらけだ。子どもの頃は、鳥越のように、親にオモチャを買ってもらえない。大人になってビジネスを始めても、お金、モノ、知識など、いつも、潤沢なことは少ない。
「そんな時、ないものを嘆いていても前には進めないんです。むしろ、ここに何もないから、やれることがいっぱいあるんですよ」
鳥越が、「ザクとうふ」の案を得たのは、2009年、ガンダム30周年のイベントに行った時のことだった。彼は娘と一緒に上京し、たまたまこの催しを見つけ、足を踏み入れた。その時、食品、インフラなど、数多くの企業がガンダムとコラボしていることを知り「僕もいつか」と考えた。そして「ナチュラルとうふ」の時と同じく、人に話し、絵空事と言われたり、面白いと手を打って喜んでくれる人物と出会ったりした。
鳥越は確かに、趣味で「ザクとうふ」をつくった。だが、頭のどこかでおとうふ業界全体の行く末を案じてもいた。
「おとうふ売り場には、色がなかったのです。基本は“真っ白”。変化もないから、消費者が『新商品はないかな?』とワクワクしてくる場所ではありませんでした。残念ながら、スーパーのバイヤーさんにも『おとうふ売り場を面白くしよう!』というお考えの方はほとんどいらっしゃいませんでしたね」
「だからこそやりたい」
それこそ、ないものづくめだった。周囲の理解はなく、前例もなく、ガンダムの関係者へのコネもなければ、売れる見込みさえない。
だが、ここで「だからこそやりたいと思った」と話すのが鳥越だ。
09年から暖め始めた構想を人に語り、11年に、ガンダムの版権を持つ企業にコネクションができた。情熱的なプレゼンを行うと、何とか信頼を得ることができて「ザクとうふ」発売の許可を得た。しかし、今度は技術がなかった。パッケージをつくってくれる企業は、ザクの複雑な形を見て「こんなものはできませんよ」と言った。だが、鳥越は自分自身が機械の構造を研究し、解決策を考えた。
「興味を持ってくれるバイヤーさんもわずかでした。でも幾人か『面白い、売り場に置いてみよう』と言って下さる方と出会い、何とか発売にこぎ着けたんです」
大部隊、来襲!
ここで少し、筆者がしゃしゃり出ることをお許しいただきたい。
筆者は以前、首から下が一切動かない「障がい者経営者」を取材したことがある。ハンディネットワークインターナショナルの社長を務め、2014年に亡くなった春山満氏だ。
あって当たり前の「四肢の自由」さえなかった彼は、取材時、こんな話を聞かせてくれた。
「目が見えなくなった人、足が動かなくなった人、片腕が動かなくなった人、誰の障害が一番辛いか? では、一番辛くないのは誰の障害か?」
答えは少々意外だった。
「簡単ですよ。一番辛いのは『自分の障害』。体が不自由な人は誰しも『この目さえ見えたら』『この腕さえ使えたら』と、どれだけ辛く思うことか。では一番辛くない障害は何か。――実を言うと、答えは同じ『自分の障害』なんです。目が見えない? 口がきけるやん。足が動かない? 手ェ使っていざればいいやん。全部ダメ? 心配するな。聞こえる、感じる、考えられる。失くしたものを勘定してるうちは、小指の先が動かないだけでも、人生が絶望で満たされるんです。すがるな、うつむくな、甘えるな! 私が今、全身動かない自分のことをどう思ってるか知ってますか? 生きてるやん! ラッキー!! そう、ラッキーなんですよ!」
二人の人生は、何か、同じことを語りかけては来ないだろうか? ないと嘆くのも人生、ないからつくる、と血をたぎらせるもまた人生。そして幾多の発明も、定番商品も、後者の人生が創り出してきた――。
ないものは、つくればいい。ないものは、工夫すればいい。
恵まれた状況が、敗北のフラグになることも
そして、おとうふ売り場にまったく前例がない商品が並んだ。それは異様な光景だった。落ち着き払ったおとうふ売り場に、突如「ザク」の大部隊が来襲したのだ。ネットで話題となり、おとうふ売り場に史上初めて、男性たちが大挙して訪れた。ネットでは“ザクとうふ祭り”が始まり、ファンはザクとうふを中心に据えたジオラマのようなレシピをつくって、競ってネットにアップし始めた。
鳥越は、この話に前後し、彼が好きな歴史のエピソードを教えてくれた。
「私は“うつけもの”と言われていた頃から上洛するまでの信長公が好きなんです」
有名な桶狭間の戦いで、信長公は、誰もが敗北を覚悟する中、見事な奇襲戦法で今川軍を倒した。兵力がなければ敵の虚を突けばよいのだ。弱いと言われる尾張の兵で戦国最強をうたわれる武田騎馬隊を迎え撃った時、信長公は試案を重ね、鉄砲の三段打ちを披露して敵を打ち破った。
「結局『ない』からこそ面白いんです。でも、彼は最後に、本能寺の変で明智光秀に討たれます。さしもの信長公も『ある』状況になって油断してしまったのでしょうか……」
ガンダムでも「圧倒的じゃないか、我が軍は」というセリフを放ったギレン・ザビは一敗地にまみれた。恵まれた状況、ふんだんな予算は、歴史でも、マンガの世界でも、壮大な「負けフラグ」になってしまう場合があるのだ。
鳥越は、笑って言った。
「なくていいんですよ。何もなくて」
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