大企業で活躍しながらも、定年退職後はひっそりとしてしまうビジネスパーソンが多い中で、伊藤忠商事、クアルコム、ソフトバンクで情報通信事業に携わった松本徹三氏は、77歳になった今もなお通信事業に関するコンサルティングなどを手掛け、現役時代と変わらぬ忙しさで世界中を飛び回っている。本コラムの2回目では、一般企業において若者管理職の意思決定を邪魔することなく、ベテランの高齢者がビジネスで活躍するための具体的なノウハウをお伝えする。

 世の中には「老害」の被害を被っている人達が間違いなく存在する。しかし、その一方で、高齢者が少しでも自分の気にいらないことを言うと、すぐに「老害」という「見当はずれの悪口」を言う人達が多いのも困ったものだ。これでは、「高齢者ならではの能力や見識」を、適切に活用できなくなってしまう。

 「老害」とそうでないものを見分けるのは簡単だ。その高齢者が「権力」を持ち、それを乱用しているかどうかによって決まる。「権力」を持たない高齢者は、嫌われることはあっても、「老害」にはなりようがない。

「老害」はどうすれば防げるか?

 典型的な「老害」は、高齢者が権力の座に居座り続け、組織の新陳代謝を妨げている場合に生じる。居座る本人からすれば、後継者候補がいずれも頼りなく見えて、「とても後を任せられない」と思うのだろうが、既に「市場」や「技術」や「仕事のやり方」が大きく変わってきているにもかかわらず、昔の尺度でしかものを判断できない人が権力の座にいると、これは大きな悲劇をもたらす。

 こういう恐れがある場合に、大手企業などがよくやるのは「中二階に祭り上げる」ことだが、これも中途半端だ。こういう立場に置かれると、人はつい色々と口を挟みたくなるものだし、不要な仕事を作り出して組織全体の効率を害することが多い。それ以前に、忙しい職場の中に明らかに暇な人がおり、その人が自分達より高給を取っているということになれば、若手や中堅の士気はその分だけ不必要に落ちてしまう。

 会社がやるべきことは簡単明瞭だ。先ずは「年功序列的な考えを完全に破壊する」ことであり、次に「明確な職務範囲を持った専門職」をつくることである。特に前者は必須であり、このためには役職定年の年齢もさらに引き下げた方がよい。そして、もし会社の中に少しでも年功序列的な雰囲気が残っていると思ったら、むしろ「中高年社員の活用」は綺麗さっぱりと諦めた方が良いだろう。

 あるいは、「大企業同士がお互いに中高年社員の交換を行い、それぞれにまったく過去のしがらみのない会社で、文字通り『第二の人生』を歩んでもらえる様に取り計らう」とういうのも、考えてみるべき一案ではないだろうか? 何れにせよ、「老害のようなもの」を防ぐために、各企業がやるべきことは色々あると思うのだが、まだあまり実行されているようには思えないのは残念だ。

威張る高齢者は困りもの

 実力者は大体において威張らない。威張るのは、実力があまりない故に、それをカモフラージュするための虚勢を張る必要を感じている人だ。若い時には地位がなく、実力もまだ認められていないので、時には虚勢を張ることも必要かもしれない。しかし、歳をとれば、実力の有無は既に知られてしまっているので、威張れば威張るほど憐れみを買うだけだ。

 「威張る」「自慢する」ぐらいは無邪気なもの。「放っておけばいいじゃあないか」という人もいるだろうが、私はそうは思わない。周りにいる真面目でおとなしい人達を萎縮させてしまうからだ。日本人は総じておとなしく、あまり自己主張が強くないので、それぞれの人の中にある潜在能力を見つけ出して、それを引き出していくのは容易ではない。組織の中に威張り散らす様な人が一人でもいると、この難しい仕事がさらに難しくなってしまう。

 一度も権力の座に就いたことのない人は、威張りたくても威張りようがないので、まあブツブツ言っているだけで済む。しかし、一度でも、どんな小さい権力でも握ったことがある人は、その蜜の味が忘れられず、権力がなくても、威張ることで気を晴らす傾向がある。偉くなったかつての同僚や部下の名前を出して、それを「自分を偉く見せるための小道具」にしようとしたりもする。こんなことはまったく何の意味もない。

 「威張る」のとは少し違うが、「口うるさい」のも問題だ。本人とすれば「危なかっしくて見ていられない」という気持ちが強く、「転ばぬ先の杖」という善意から出た気持ちなのだろうが、ここはぐっと我慢して、実際に口に出すのは、3度に一度ぐらいに抑えた方が良い。結局は、その方が真剣に受け止めてもらえる可能性が高まり、良い結果につながると思う。そうでないと「また始まった」で終わってしまう。

リズムを壊してはならない

 成功したビジネスの事例を見ていると、どこかで誰かが必ずタイムリーな決断をしている。私が一時期、一緒に仕事をさせて頂いた孫正義さんの決断の早さは、ほとんど神がかっているレベルと感じていたが、そこまでいかなくても、成功している実業人のほとんどは「即断・即決」を信条にしているようだ。

 逆に、大きな失敗例を見ていると、「やめる決断ができなかったために、ズルズルと続けて傷口を広げた」というケースが実に多い。「撤退」の決断は攻める時の決断よりさらに難しいが、果敢に攻めながらも生き残っている実業家は、必ずこれを数多くやっている。ここでもまた、孫正義さんには面目躍如たるものがある。

 仕事の要諦は、「調査」にも「検討」にも「決断」にも、全てに「時間を切る」ことだ。限られた時間の中で、完璧に近い調査を行い、限られた時間の中で、問題点を徹底的に潰し、それが終わった時点で、一瞬の躊躇もすることなく、「やる」あるいは「やらない(今すぐはやらない)」の決断をする。これこそが、そして、これだけが、良い仕事をするための絶対条件だ。

 高齢者は一般に経験の蓄積が多く、それ故に リスクを察知する能力もかなりある。しかし、その分だけ、取り越し苦労が多く、果敢な決断に踏み切れないケースも多い。従って、「若い人たちが決断の重責を担い、高齢者が一定の牽制機能を果たす」というのが、多くの場合「理想的な姿」だと言えようが、この大前提として、高齢者側には「若い人たちのリズムを乱さない」ことが求められる。せっかく普通では気の付かない重大な見落としが指摘できても、それに時間がかかりすぎて、決断のタイミングを外してしまっては何にもならないからだ。

 私自身も常に自省していることだが、歳をとると、長時間突き詰めて考えることが辛くなり、どうしても「一呼吸おく」誘惑にかられる。しかし、これでは全体のリズムを壊してしまいかねない。だから、高齢者といえども、何事にも常に時間を切り、自分を追い詰めていくことが必要だ。

弊害の多い「先入観」と「こだわり」

 旧態依然たる管理社会の中での「前例主義」などは、もはやまったくの問題外だが、最先端の技術開発の現場でも、この弊害はなお随所に見られるように思う。

 若い人達には「自分のやってきたことへの思い入れ」がなく、先入観もないので、全ての情報に対して心が開かれている。また、日ごろの下積みの仕事を通して、幅広く種々の情報が偏ることなく入ってくる。それに対して、多少とも経験を積んだ人には、色々なところに「思い入れ」や「こだわり」があり、自分の周りも同じような考えの人達で固められてしまうことが多い。高齢者になると、人にもよるが、それが一層ひどくなる傾向がある。

 しかし、例えば情報通信産業のように技術革新の激しい分野では、これは命取りになる。私は、若い頃から、メーカーの開発現場でそういう事例を数多く見てきた。高性能のチップがどんどん安くなっているので、若い技術者はそれを使いたいのに、課長が「そんな高いものを使わず、もっと廉価なチップを使って工夫しろ」と頭ごなしに叱り付けていたのだ。

 通信システムの分野では、大御所と言われるような高い地位にいる人が、最初から「ベストエフォート型のIP通信などというものはいい加減なものだ」と決めつけて、それに興味を持つ若い人達を極端に冷遇したのを目の当たりにしてきた。考えてみれば、「こうした高齢者の先入観こそが、日本の通信システムの価格競争力を、中国メーカーなどと比べて完全に遅れさせてしまった元凶だったのだ」と私は思っている。

 高齢者でも、いつまでも少年のような好奇心を持ち、自分が分からないことは、誰に対しても敬意を持って教えを乞うような人は、いつの時代でも、技術とビジネスの進化に貢献できる。自分の信じてきたことにも常に疑いを持ち、考えを改めるべきと思った時には、潔く改めることこそが必要だ。周りの人達に自らの正しさを認めさせようとする「大御所」の存在などは、百害あって一利もない。

目標とすべきは「一隅を照らすこと」

 まとめの言葉としては、「一隅を照らすこと」。これは天台宗の開祖である最澄の言葉で、一般的には「自分が今いるその場所で、世の中のために、自分ができることを一生懸命にやる(そういう人達が国の宝だ)」という意味に受け取られている。

 ビジネスの場で発揮される人の能力は、「知識・経験」「解析力・構想力(頭脳の集中力)」「決断力・行動力(気力と体力)」の3つが合わさったものだ。これらが総合的にピークを迎えるのは、平均的に言えば、40代から50代ではないだろうか? もちろん、人によっては30代や60代でも十分いけるし、中には、20代や70代でも負けないと自負する人もいるだろう。しかし、ものには「盛り」というものがあることを否定する人はいないだろう。

 「自分はまだ修行中だ」と自覚する人は、何にでも挑戦し、できるだけ多くの、ほろ苦い経験を積み重ねるべきだ。今が盛りの人は、誰にも遠慮することなく、ひたすら突っ走れば良い。しかし、既に盛りを過ぎた人にも、やるべきことは多い。

 盛りを過ぎた人は、まずは、上述のような諸点に気をつけながら、盛りの人や、これから盛りを迎える人の邪魔をしないこと、さらには彼らを励まし、守ってやることが、何よりも大切だ。しかし、そのうえで自らも常にどこかで、「一隅を照らす」努力を続け、「生きている間は、少しでも世の中のためになろう」と心掛けるべきだ。

 そうしてさえいれば、どんな人でも、過去を懐かしむだけの鬱屈した毎日を送るようなことはなく、「振り返ってみると、自分も結構良いことをしてきたなあ」と思いながら、豊かな気持ちで人生を終えることができるのではないだろうか。

 (次回は、「会社に使われていると思ったら、既に人生は終わっている」と題して、企業の中で鬱屈している若い人達へのメッセージを、自らの体験も紹介しながらお伝えします。)

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