京セラや第二電電(現KDDI)を創業し、日本航空を再建した稲盛和夫氏。創業期から苦闘を続ける中で自らつくり上げた独自の経営哲学は、書籍や講演を通じて多くの経営者に浸透し、日々経営に苦悩する経営者の心の支えとなった。2022年に世を去ってからも、多くの経営者がその志と教えを受け継ぎ、自分と会社を変えようと日々奮闘している。本特集では稲盛氏の教えを胸に自分と会社を変革、成長させてきた経営者の挑戦を紹介する。さらに京セラ創業前から誰よりも長い時間を共に過ごしてきた京セラ元会長の伊藤謙介氏に稲盛経営の本質を聞いた。
稲盛哲学はこれからの世界にこそ必要な存在だ。現在、資本主義の矛盾がいたるところで露見している。一部の利己的な考えの経営者による不祥事はいまだ絶えず、自由競争の過程では「格差社会」を生み出した。その矛盾を解くカギが稲盛哲学にある。かつて稲盛氏も、利他の経営が悩める資本主義社会の問題を解決するキーワードになると語った。今こそ“人間としてあるべき姿”から問い直す稲盛哲学が求められている。
<特集全体の目次>
・京セラ元会長・伊藤氏が語る稲盛経営の本質と「最後の対話」
・「多角化するなら飛び石は打つな」稲盛哲学を追求し倒産危機から利益率16%に
・フクシマガリレイ、M&Aを後押しした稲盛哲学「勇気を持って事に当たる」
・「技術を営業の武器にせよ」稲盛氏の教え受け構造設計で日本一目指す(今回)
・一橋大学大学院・田中一弘教授「稲盛氏が実践した先義後利の経営」
・盛和塾の火は消えない 1500人が経営哲学の実践成果を共有
※2025年3月10日(月)に、稲盛氏が考案し、京セラ急成長、そしてJAL再生の原動力となった「アメーバ経営」を1日で学べる「中小企業のためのアメーバ経営実践講座」(リンクはこちら)を開催します。
安藤浩二 社長 ベクトル・ジャパン(東京・構造設計)
「技術を営業の武器にせよ」の教え 構造設計で日本一を目指す
建造物の構造設計を手がけるベクトル・ジャパンの安藤浩二社長は、設立4年の会社の内部が大混乱する中、稲盛哲学に出合う。アメーバ経営の導入、フィロソフィの学びを土台に、技術と営業の両輪で会社を変えていった。
ベクトル・ジャパンの概要
設立:1990年2月
売上高:6.1億円(24年12月期予想)
従業員数:70人
ベクトル・ジャパン(東京・中央)は公共、民間のさまざまな建造物の構造設計を専門に手がけている。上下水道施設、超高層ビルやマンションなど多くの実績を持つ。3次元モデルで設計を行うBIMなど最新技術を早くから導入し、社員数約70人の規模でありながら、日本のトップレベルのゼネコン各社と取引実績を有している。
設計会社には珍しい営業部隊を抱え、取引先を開拓。業容を着実に拡大し、IPOも視野に入れる。こうした現在の会社の姿は「稲盛哲学の学びなしには実現し得なかった」と安藤浩二社長は言う。
内紛発生で大量退社
ベクトル・ジャパンの前身となる会社を安藤社長が設立したのは1990年。ゼネコンで設計業務に携わった後に独立した。設計事務所には小規模なところが多い。安藤氏も会社をそれほど大きくするつもりはなく、夫婦でやっていければいいと考えていた。
ところが顧客から仕事の依頼が次第に増え、人手が足りなくなる。社員は3年後には12人になった。その多くは女性社員だった。
ほどなく、社内に混乱が起きる。
「社員の間に派閥ができ、もめ事が多発しました。なぜこんなにもめるのかと思っていた頃、大きな内紛が発生。収めようとすると『社長が若い人側の味方をした』という理由で前からいた社員たちがどっと辞めてしまいました」
その最中、出張中の安藤社長は駅の売店でふと、ふだん手にしない週刊誌を買った。そこには、京セラ創業者の稲盛氏が京都で勉強会として立ち上げた盛和塾を全国に展開していくと書かれていた。
「頼れる人はこの人しかいない」と直感した安藤社長はすぐに事務局に電話をかけ、千葉に立ち上がったばかりの盛和塾・佐倉を紹介された。94年9月のことだ。
「翌年、塾長の稲盛さんに初めてお会いしたとき『経営がうまく行きません』とつらい現状を話すと『そんな泣き言を言っているからダメだ。私の『ある少年の夢』は読んだか? それを読んでから出直してきなさい』と𠮟られました」
奮起した安藤社長は会社を立て直すため稲盛哲学を一つひとつ実践。会社の経営理念とミッションをつくり上げた。人間関係の複雑さに悩み抜いたゆえに、経営理念は「この自由の旗のもとに集まった社員、その社員を豊かにし幸せにすること」とした。
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