狼と老人猟
先日、職場にオオカミ再導入を求める署名の依頼がまわってきた。日本オオカミ協会がそういう活動をしていることは知っていたが、まさか自分の職場まで来るとは思ってもみなかった。聞けば、職場の同僚の知人の知人が日本オオカミ協会に入っているそうだ。世間は狭いものだ。
さて、どうしようか……。
もちろん署名をする気は全くないが、このまま回覧板を次の人にまわしてしまっていいものかどうか迷ったのだ。
少し考えて、僕がオオカミ再導入を支持しないわけ - ならなしとりをプリントアウトして回覧板にはさみ、署名用紙には「署名するもしないも自由ですが、オオカミ再導入について問題を指摘している人もいることを踏まえて、慎重に検討してください」というようなことを書いた付箋をつけておいた。
その後しばらく経って、環境省が鳥獣関係統計の最新データを公開した。最新といっても平成19年度の統計データだが。
そこで、次のようなグラフを作ってみた。
これを見れば、ハンターの高齢化が進んでいることが一目瞭然だ*1。
日本でオオカミが絶滅した後、それに代ってシカの増加を抑えていたハンターがいまや絶滅の危機にある。ならばオオカミ再導入だ……という発想が出てくるのは当然といえるだろう。それに対して、再導入に反対する立場からは効果的な対案を示せないのが現状だ。「対案なき反対は無責任だ」と謗られても仕方ない。
だがしかし、それでもやっぱり、オオカミ再導入に賛成する気にはなれない理由がある。その理由はハンターの高齢化と関係がある。ひとことで言えば、「オオカミが増えすぎたとき、それを抑制する人がいない」ということだ。
日本オオカミ協会のサイトの中学生から寄せられたオオカミ復活計画に対する質問とその回答というページに次のような記述がある。
日本ではハンターが減少しています。その理由の一つとして、狩猟を残酷なスポーツとみなす傾向が強まっていることがあげられます。また、日本のハンターの平均年齢は60歳に達しており、高齢化によりこれからますますハンターは減少すると予想されます。それでもオオカミを撃とうとする人間がまったく現れないとは言い切れません。日本でもオオカミを復活させた後は、再びオオカミが絶滅することを防ぐために保護対策をすることが不可欠だと思います。
ただし、オオカミが増えすぎてしまった場合は状況が変わってきます。ポーランドでは、通常は自然地帯でのオオカミの狩猟は禁止されていますが、オオカミが増えて一定数を超えると、オオカミのスポーツ・ハンティングが解禁され、ハンターが自然地帯でオオカミを撃つことが許されます。そして、オオカミが適正な数まで減ると再び禁猟となりますが、それでもオオカミが人間の生活領域にはみ出してくるときは、ハンターではなく行政がオオカミを駆除しています。
ポーランドの状況はよく知らないが、日本では有害鳥獣は「ハンターではなく行政が」駆除するというふうにはなっていない。鳥獣捕獲申請はたいていの場合市町村長が行い、都道府県知事または知事から許可権限を委譲*2された市町村長自身が許可を行い、ハンターが従事者として駆除するのがふつうだ。で、ハンターが高齢化し鳥獣被害を防ぎきれなくなっているのが現状なのだから、もしオオカミを再導入して増えすぎたなら、もはやハンターの力でオオカミの勢いをそぐことはできなくなっているだろう。
オオカミ再導入を実現するためには、少なくとも、オオカミが増えすぎて頻繁に人を襲うような事態が起こらないという見込みを合理的な形で示す必要がある*3が、日本オオカミ協会の主張だけでは根拠が不十分だと思われる。健康なオオカミが人を襲わないのだとしても、狂犬病のオオカミが人を襲うのなら危険だし、過去のオオカミが人を襲わなかったのだとしても、将来のオオカミもそうだとは限らない。
さて、「ハンターが高齢化し効果的な有害鳥獣捕獲が困難になっている」という同じ前提から、「オオカミを再導入すべきである」という結論と「オオカミを再導入すべきではない」という逆の結論が導かれる*4ならば、まずはハンターの減少を食い止めるにはどうすればいいかを考えるべきだろう。そのほうがオオカミ再導入の是非を検討するよりも優先順位が高いと思うのですが、いかがでしょうか?
追記
終了免許の更新年度ごとの偏りを排除するため、平成8年度から10年度までと平成17年度から19年度までのデータをもとにグラフを作成した。
まずは、各3年間の件数を単純合計したもの。
単年度ごとの比較と傾向はほぼ同じだということがわかる。
念のために、年度ごとの積み上げ棒グラフも作ってみた。
こちらで見ても同じだ。やはり30代のハンターが減って、60代以上のハンターが増えていることがわかる。
参考のため、グラフ作成のために用いたデータを掲げておく。
区分 | 計 | 20〜29才 | 30〜39才 | 40〜49才 | 50〜59才 | 60才以上 | 不明 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
平成 8 年度 | 246604 | 3596 | 14543 | 70900 | 78746 | 78819 | 0 |
平成 9 年度 | 227216 | 3379 | 12594 | 58602 | 78212 | 74429 | 0 |
平成 10 年度 | 230672 | 3330 | 12030 | 52527 | 81204 | 81581 | 0 |
平成 17 年度 | 203622 | 2255 | 8683 | 18686 | 70541 | 103456 | 1 |
平成 18 年度 | 186580 | 2129 | 8363 | 16865 | 62600 | 96622 | 1 |
平成 19 年度 | 228905 | 2551 | 10148 | 19383 | 67603 | 129220 | 0 |
平成17年度と18年度にはそれぞれ「不明」という区分がある*5。狩猟免状被交付者の年齢がわからないはずはないので、集計途中で資料がどうにかなってしまったのだろう。
*1:狩猟免許は3年ごとに更新するので、本当は過去の3年間と直近の3年間を比較するほうがいいのだが、面倒なので1年ずつの比較にした。より丁寧に検討したい方は平成8年度から10年度までと平成17年度から19年度までのデータで比較してみてください。追記参照のこと。
*2:地方自治法第252条の17の2に基づく事務処理の特例に関する条例による場合と鳥獣による農林水産業等に係る被害の防止のための特別措置に関する法律による場合がある。
*3:もちろん、それだけで十分だというわけではないが、簡単のためそれ以外の論点には触れない。
*4:言うまでもなく、それぞれの結論は前提からの論理的帰結ではない。従って、ここには厳密な意味での矛盾は存在せず、ただ不都合な事態があるのみ。
*5:上のグラフでは無視している。