オオカミ再導入という話があります。簡単に説明すると、増えすぎたシカ、イノシシなどをオオカミを使って個体数をコントロールしようというものです。まあ生物農薬とおんなじ理屈です。
結論から言うと、僕はこのオオカミ再導入を支持していません。仮に認めるとしても、その優先順位はかなり下のほうに来るとも考えています
支持しない理由の一つは、再導入を推進する人たちが自分に都合の悪い情報は無視しているからです。たとえば彼らの著書「オオカミを放つ」では参考文献に「日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史」が挙げられていますが、その中にこういう記述があるんですね。
以下引用
P66
信州の狼害は、「信州高島藩旧誌」のうち、元禄15年(1702)5,6月、二人の藩士が描いた手記に出ている。
5月11日、これが初見で、狼がまた北大塩村・塩沢村に出て人馬を害したので、目付吉田仁右衛門に手勢を付けて鉄砲を差しゆるした、ということを書いている。その中のまたは、どうもふたたびというニュアンスがある。つまり、このころになって狼が近郷に出没するようになったと考えていいようである。ところが、6月になると、いよいよひどいことになる。
中略
そうした被害は、現茅野市の八ヶ岳西麗の村々、山村から平野の村、さては街中の横内・矢ケ崎・塚原・上原いまの諏訪市街の真中、小和田にまでおよんで、16件、16人の男女、男子は10~17歳、女子は10~24歳までが喰い殺されている。被害の総数は入っていない。そして、次の悲惨な記事で、この狼事件はぷつんと切れたまま、長い江戸時代を通して、もう顕著には出てこない。
22日 新井新田彦左衛門1人息子12歳が、昼庭にて遊んでいると、狼が飛来して噛みつき、昼間故、家中総出で、棒や鋤を持って格闘するや、狼は倅をくわえ山林に遁走した。家人はあまりの悲惨さに首をつって相果てた。
引用終わり
このほかにもオオカミが人を襲ったという事例は延々30ページ近く続きますが、あまりに多いので割愛させていただきます。
ここで突っ込みがあるかもしれません。「それって狂犬病じゃね?」しかし、この時点(1702年)では狂犬病が日本中に広がってはいません。記録上では、狂犬病が最初に日本で流行したのは1732年のことです。
この本の著者も狼害が増えた理由の一つに狂犬病が日本で流行したことをあげています。しかし、この本のP90ではここまでに紹介した事例は明らかに狂犬病にかかっている場合は外してあるとあります。これが正しいとすれば、狂犬病に罹っていないオオカミでも集中的に人を襲うことがあるということです。とりわけ子供なんかを。
もう一つの理由に森林伐採や耕地造成など開発が進んだことが挙げられています。つまるところ人とオオカミの棲み分け(ゾーニング)ができていなかったわけで、餌となるシカやイノシシが人里にホイホイ出てくる今の状態で棲み分けができるわけもないですね。江戸時代でもできなかったのに何をかいわんやですね。
オオカミが人を襲うことはまずないというのが彼らの見解ですが、では、どうしてこれに反論をしないんでしょうね。
「オオカミを放つ」を書いた人たちはほぼ全員が修士以上ですから、参考文献くらいきちんと読みこなしているはずです。にもかかわらずどうしてこれに対して検証や反論をせず、オオカミは人を襲わないなんて楽天的なことを言っているのでしょうか?
以下引用
P91~92
最後に簡単ではあるが「人食いオオカミ」に関する心配について触れておくことにする。詳しくは第10章をお読みいただきたい。結論を言えば、通常は、人間はオオカミの獲物のリストには入っていない。オオカミは人間に対する捕食者ではないのである。
中略
健康なオオカミは人を襲わない。
引用終わり
ぶっちゃけ10章でも日本であったこういった事件のことは触れられていません。どういうわけか反論もせずにスルーを貫き通しています。いったいどういうことでしょう?自説と矛盾する記述が30ページ近くもあるのに見落とすなんてことがありえるのでしょうか?それなのに反論もせずにスルーというのは自説に不利な情報は無視するという解釈の余地が多分にあるんじゃないでしょうか。
まぁ、地域社会がリスク・ベネフィットもろもろ考え合意をしたなら口を出す気はないんですが、そのための判断材料を提示しないというのは駄目でしょう。いざ人身事故があったらそれは不信につながるわけで誠実とは言い難いですね。彼らは極小のリスクと思っているのかもしれませんが、クマに襲われて大騒ぎになる今の日本で「リスクは極小ですから説明しませんでした」じゃ、まず済まされないわけで。今回はここでお終いですが、オオカミの再導入について生態学方面から考察してみた「チコにラット・コントロール・エージェントが務まるわけ」という記事があります。こちらはネコを例えに捕食者の採算についてわかりやすく論じており、非常に参考になるのでお勧めです。その2を書くことがあれば、有効個体数の確保について論じると思います。
結論から言うと、僕はこのオオカミ再導入を支持していません。仮に認めるとしても、その優先順位はかなり下のほうに来るとも考えています
支持しない理由の一つは、再導入を推進する人たちが自分に都合の悪い情報は無視しているからです。たとえば彼らの著書「オオカミを放つ」では参考文献に「日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史」が挙げられていますが、その中にこういう記述があるんですね。
以下引用
P66
信州の狼害は、「信州高島藩旧誌」のうち、元禄15年(1702)5,6月、二人の藩士が描いた手記に出ている。
5月11日、これが初見で、狼がまた北大塩村・塩沢村に出て人馬を害したので、目付吉田仁右衛門に手勢を付けて鉄砲を差しゆるした、ということを書いている。その中のまたは、どうもふたたびというニュアンスがある。つまり、このころになって狼が近郷に出没するようになったと考えていいようである。ところが、6月になると、いよいよひどいことになる。
中略
そうした被害は、現茅野市の八ヶ岳西麗の村々、山村から平野の村、さては街中の横内・矢ケ崎・塚原・上原いまの諏訪市街の真中、小和田にまでおよんで、16件、16人の男女、男子は10~17歳、女子は10~24歳までが喰い殺されている。被害の総数は入っていない。そして、次の悲惨な記事で、この狼事件はぷつんと切れたまま、長い江戸時代を通して、もう顕著には出てこない。
22日 新井新田彦左衛門1人息子12歳が、昼庭にて遊んでいると、狼が飛来して噛みつき、昼間故、家中総出で、棒や鋤を持って格闘するや、狼は倅をくわえ山林に遁走した。家人はあまりの悲惨さに首をつって相果てた。
引用終わり
このほかにもオオカミが人を襲ったという事例は延々30ページ近く続きますが、あまりに多いので割愛させていただきます。
ここで突っ込みがあるかもしれません。「それって狂犬病じゃね?」しかし、この時点(1702年)では狂犬病が日本中に広がってはいません。記録上では、狂犬病が最初に日本で流行したのは1732年のことです。
この本の著者も狼害が増えた理由の一つに狂犬病が日本で流行したことをあげています。しかし、この本のP90ではここまでに紹介した事例は明らかに狂犬病にかかっている場合は外してあるとあります。これが正しいとすれば、狂犬病に罹っていないオオカミでも集中的に人を襲うことがあるということです。とりわけ子供なんかを。
もう一つの理由に森林伐採や耕地造成など開発が進んだことが挙げられています。つまるところ人とオオカミの棲み分け(ゾーニング)ができていなかったわけで、餌となるシカやイノシシが人里にホイホイ出てくる今の状態で棲み分けができるわけもないですね。江戸時代でもできなかったのに何をかいわんやですね。
オオカミが人を襲うことはまずないというのが彼らの見解ですが、では、どうしてこれに反論をしないんでしょうね。
「オオカミを放つ」を書いた人たちはほぼ全員が修士以上ですから、参考文献くらいきちんと読みこなしているはずです。にもかかわらずどうしてこれに対して検証や反論をせず、オオカミは人を襲わないなんて楽天的なことを言っているのでしょうか?
以下引用
P91~92
最後に簡単ではあるが「人食いオオカミ」に関する心配について触れておくことにする。詳しくは第10章をお読みいただきたい。結論を言えば、通常は、人間はオオカミの獲物のリストには入っていない。オオカミは人間に対する捕食者ではないのである。
中略
健康なオオカミは人を襲わない。
引用終わり
ぶっちゃけ10章でも日本であったこういった事件のことは触れられていません。どういうわけか反論もせずにスルーを貫き通しています。いったいどういうことでしょう?自説と矛盾する記述が30ページ近くもあるのに見落とすなんてことがありえるのでしょうか?それなのに反論もせずにスルーというのは自説に不利な情報は無視するという解釈の余地が多分にあるんじゃないでしょうか。
まぁ、地域社会がリスク・ベネフィットもろもろ考え合意をしたなら口を出す気はないんですが、そのための判断材料を提示しないというのは駄目でしょう。いざ人身事故があったらそれは不信につながるわけで誠実とは言い難いですね。彼らは極小のリスクと思っているのかもしれませんが、クマに襲われて大騒ぎになる今の日本で「リスクは極小ですから説明しませんでした」じゃ、まず済まされないわけで。今回はここでお終いですが、オオカミの再導入について生態学方面から考察してみた「チコにラット・コントロール・エージェントが務まるわけ」という記事があります。こちらはネコを例えに捕食者の採算についてわかりやすく論じており、非常に参考になるのでお勧めです。その2を書くことがあれば、有効個体数の確保について論じると思います。
>ハブ退治のためにマングースを放したら、アミノクロウサギが絶滅した前例を知らないのだろうか?
いや、彼らも知ってるんですよ。これは後の記事で書きます。というか、マングースはこの国で保全をやっている人間なら当然知っていていいレベルですから。
>データの取り方、グラフの見方、考察、突っ込みどころ満載ですね。
そこらへんの批判もできればやっていきたいですね。個人的には外来生物の定義と再導入の話なのにMVPや有効個体の話が出てこないところを疑問に思いました。
たぶんイノシシだってヒトの捕食者ではないでしょうに、当地では襲われて死者が出ましたよ。
なんだって、素手で戦って勝てない肉食動物(という分類でよいのかな?)が身近をうろつく状態を好んで作り出そうとするのでしょうか…って、身近に来ると思ってないからでしょうね。
>…って、身近に来ると思ってないからでしょうね
おそらくある程度はゾーニングができて、なおかつ人は襲わないという前提に立っているんでしょう。それは違うんじゃないのと彼らが参考にしたものから引用してきたわけですが。
今後も再導入については書いていくつもりです。彼らの認識があまりにもなので。
北米のオオカミは人間を襲わないと言われていますが、ユーラシア大陸のオオカミはそうではないという認識を持っています。
また人間を襲わなくても、家畜が狙われるでしょう。
試しに「人間を襲わない大型犬」を大量に野に放ったところを想像してみればいいのでは?
広大なイエローストーンと森と人家が接近した日本を比較するのが間違っていると私は思っています。
http://kumamori.org/news/blog/2011/01/07/recent-act/2463/
>オオカミの導入は命を弄ぶ研究者の遊び 元旦の新聞トップ記事に思う
>ある新聞の元旦トップ記事は、<ニホンオオカミのはく製からクローンに挑む>でした。はく製オオカミの毛皮から細胞核を取り出して、イヌの卵子に入れ、めすイヌの子宮に注入する研究の紹介です。
>成功するかどうかは知りませんが、このような生命操作は人間の傲慢以外の何物でもないと思います。生命のことなどほとんど何もわかっていない人間には、許されない実験行為だと思います。
元来いた動物を再び入れる分に関しては、元々いなかった動物が入り込むよりはマシだと思いますけど。
倫理的問題は置いといて、大陸のオオカミを直に本州の山中に放すよりは、本来日本にいたニホンオオカミを復元して放す方が危険性少なそうです。諸々の問題は山積みでしょうけど。
オオカミの再導入には異論が根強いので、実行に移すのには難しいですね。
ただ、外来種問題でアライグマ駆除に反対している人達が言っても説得力ありませんね。このブログの記事を見ても矛盾だらけです。
この犬はあおむけになるとオオカミのような顔になります。
このことから我が家の犬が悪いことをしたときに叱りつけるときあおむけにして叱りつけ、
そのときに「こら!オオカミ!」と怒鳴って叱り付けています。
ちなみに我が家は、このオオカミのような犬が番をしているおかげでサルやイノシシやシカが来ないです。
その意味では、オオカミを導入するよりは、しっかりと躾をしなければならないけれど、グレートピレニーズのような身の丈2m近くあるオオカミのような犬を飼ったほうがよいですよ。