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碁法の谷の庵にて

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2020年04月22日
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広島県知事が、政府の一律給付金を供出してもらって財源にするということを検討中と表明しました。


 広島県の湯崎英彦知事は21日、新型コロナウイルス感染拡大の緊急経済対策として国が行う現金10万円の一律給付について、県職員が受け取る分を感染防止対策などの財源として活用する可能性に言及した。

 県は21日、休業要請に応じる事業者向けの協力金について記者会見を開いた。湯崎知事は会見で「休業する事業者の支援だけでなく、感染拡大を防ぐために必要な事業もある」と指摘。「圧倒的に財源が足りない。どう捻出するかについて、給付される10万円を含めて聖域なく活用したい」とした。

県内の他の市町に同様の考えを呼びかけることについては「ない」と話した。
(日経新聞令和2年4月21日、リンク先)


 見た瞬間、私は「こいつどういう思考回路してるんだ」と思いました。
 脳内で閃くくらいならまだしも、公に表明することに問題を感じないという発想に驚きです。知事の周囲に止める人はいなかったのでしょうか?

 しかし少したつと、「こういう思考回路の人って、偉い人にも多いよな」ということに思い至りました。

 財源が足りないので何とかしたいという考え自体は知事として真っ当ですし、他の報道と照らし合わせる限り、一応は供出は任意と言うつもりのようです。
 しかし、国や地方自治体が金銭や財産権を受け取ることについては、強制とならないようにすることに非常に慎重な配慮が必要です。
 そうでなければ財産権を侵害することになってしまうからです。特に、役所のおひざ元で勤務する者も多い公務員に、財源まで指名して「そこから出して」と要求するのは、極めて強制の度合いが高い行為だと言えるでしょう。昇進や査定、職場環境に響くことを恐れざるを得ません。

 もとより国民から金銭をとるなら租税という制度があります。
 もちろん,その分租税法律主義の厳格な規制に服する(憲法84条)ことになりますが、その厳格な規制の下で正当化された課税である以上やむを得ないということになる訳です。


 ただし、これに近い発想で「いろいろ圧力はかけてるけど、本人が選択したんだ、あくまで自分たちが行ったことは説得にすぎないのだからあくまで自主的な選択だ」という思考は、実は法律家界隈でも公務所界隈でも珍しくもなんともない思考だったりします。

 例えば捜査機関や刑事の裁判官。
 逮捕された被疑者に対して行うのは大概が「任意捜査」です。
 被疑者は「捜査に応じなければ裁判にされるのでは?前科一犯になるのでは?刑務所に叩き込まれるのでは?」という恐怖に襲われた状態になっている場合が多いです。
 しかし警察も検察も裁判所も「そんな不安があったにせよあくまで捜査機関が行ったのは説得。この証拠は任意捜査の結果であり令状なんかなくたって構わない」という判断をしばしば行います。
 以前裁判所での身柄をとっている事件で追起訴の予定を破って裁判の進行を遅らせる検察官の話を書きましたが、これも「被疑者は閉じ込められ、捜査されてる件での弁護人がついてなくても捜査に応じていれば任意」という「任意」観が反映されています。「そんなの任意とはいえない」と裁判所が言うなら、検察だって怖くてそんな捜査はできず、毎度令状を取ってくるはずです。
 
 例えば貸金業者。
 法的手続に入ってとっくに消滅時効になっている財産を差し押さえますと通知してきます。
 債務者は驚き、家屋敷を追い出され家財道具も全部売り払われて場合によっては家族もろとも野垂れ死にするのではないかと思って工面できた僅かな金銭を支払います。
 そうすると、貸金業者は「一部払って返す姿勢を示した以上、後から時効不成立を主張するなんて言うことをころころ変える不誠実な野郎だ、そんな不誠実通るもんか、全額返せ!!」と主張してきます。
 一応裁判所も時効の援用は認めてくれる場合はそれなりにありますが、一部でも返した金を返しなさいとはまず言ってくれません。
 時効であることを知らずにわずかな金銭を支払ったのは「任意」という感覚でいるという訳です。

 例えばブラック企業。
 労働者を労基法(就業規則)上定められた労働時間をはるかに超えて拘束します。
 当然残業代が発生してしかるべきところですが、ブラック企業は「これは彼らがスキルアップのためにやっていた任意な仕事の結果であって拘束してないよ」と主張してきます。
「むしろ電気代などを払って場所を開放してやってるんだからその費用を払ってほしいくらいだ」とホワイト面することさえあります。
 「残らなければ懲戒処分するぞ」「規則に残れと書いてある」くらいでなければ「任意」だという感覚なのです。

 北九州で生活保護受給者が「オニギリ食いたい」と書き残して餓死した事件。
 この受給者は生活保護を途中で辞退しており,市の担当者は検証委員会の聴取に「受給者が自分から生活保護辞退届を書いたんだ」と言い張りましたが、受給者が死んでから見つかった当の受給者の日記には
「せっかく頑張ろうと思った矢先切りやがった。生活困窮者は、はよ死ねってことか」
「小倉北のエセ福祉の職員ども、これで満足か。貴様たちは人を信じる事を知っているのか。3 月家で聞いた言葉忘れんど。市民のために仕事せんか。法律はかざりか。書かされ印まで押させ、自立指導したんか」

 と書いてありました。
 少なくとも、彼は「餓死するような状態なのに、生活保護を辞退するような何か」があったことは確かですが、担当者はこれも「自分から書いた」という認識なのです。(受給者がうつ状態だったので気づかなかった可能性があるのは確かですが…)



 裁判官や検察官、その他公権力の上位にある者は相応に努力ができる人、知識のある人なので、上記程度なら「嫌なら断る程度のものだから任意だ」という感覚の人が多いのかもしれません。
 こうした広島県知事の「現実に10万円を供出しても、それはあくまでも任意なんだから問題はない」という見解も日本のあちこちにある「任意」の感覚と照らし合わせると、「ある意味普通の言動」とも思えてきます。

 公権力が絡めば全て強制だということで統制することも流石に現実的とは思えず、どこかで線を引くこと自体はどうしても必要になります。
 私が広島県知事の思考回路を疑っていることは今でも同じであり、財源確保が必要であるにしてもこの方法はダメだという主張は全く変更はありません
 ただし、権力側の考える「任意」の線引きとして、この知事の感覚は意外と一般的な感覚に近いということは、知っておいた方がいいのではないでしょうか。





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最終更新日  2020年04月22日 12時21分57秒
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