荻野アンナさんに聞く①
芥川賞作家で慶応大学名誉教授の荻野アンナさん(68)は、かつて瀬戸内寂聴さんの担当編集者と交際していた。がんで闘病中だった彼氏を見舞いに来た寂聴さんは、病室に入るなり足をもんでくれた。その姿が荻野さんの心に深く刻まれている。
――寂聴さんに出会う前は、どんな印象を持っていましたか。
行動力と瞑想(めいそう)力を兼ね備えた方、です。実際にお目にかかったときも行動力に感銘を受けました。仏道に専心されていますから瞑想する人です。行動する人と瞑想する人、それが寂聴さんの裏表になっています。
――初めて会ったのはいつですか。
「女流文学者会」という女性作家の集まりがあり、その懇親会でお目にかかりました。1991年に「背負い水」で芥川賞を受賞した直後ぐらいです。東京のお店のお座敷で、そうそうたる方々が座っていらっしゃいました。
私なんぞは若造ですので小さくなっていましたが、寂聴さんが突然、「この人には彼氏がいるのよ」とおっしゃって、みなさんの前でばらされました。恥ずかしくて、顔が真っ赤になっていたと思います。その彼氏は片柳治といいますが、寂聴さんの担当編集者でした。
寂聴さんは行動の人
――片柳さんは集英社の文芸誌「すばる」の編集長も務められました。
「背負い水」の登場人物のモデルです。女流文学者会のあと、しばらくは寂聴さんにお目にかかる機会がなかったのですが、2004年に彼氏に食道がんが見つかりました。54歳のときです。余命6カ月と告げられ、東京のお茶の水にある順天堂大学の病院に入院しました。
私は三田の慶応大学で授業を終えるとタクシーを飛ばし、付きっきりで看病しました。精神的にも肉体的にも大変な毎日でした。
――荻野さんは当時、闘病を支えた日々を「すばる」に連載しています。
そんなとき、寂聴さんがお見舞いに来てくださったんです。病室に入られると「こんにちは」を言う間もなく、ベッドの横に立たれ、寝ている彼氏の足をパッと手にとって、もみ始めました。両方の足の裏です。
しばらく、もんでくださいました。2、3分だったかもしれませんが、ずいぶんと長く感じられました。お言葉もかけてくださったと思いますが、覚えているのは足をもんでいる姿です。
このことが非常に深く記憶に刻まれています。まさに寂聴さんは行動の人ですよね。ふつうはお見舞いに行っても「がんばってくださいね」と言葉をかけるだけですが、寂聴さんは言葉よりも行動で思いを示します。すごいことです。
うちわであおぐ不倫の彼
――そのあとは、どうでしたか。
彼氏にとって、このときが寂聴さんにお目にかかった最後になりました。余命6カ月と告げられてから1年2カ月、がんばってくれたのですが、編集者に復帰することはかなわず、2005年に亡くなりました。まだ55歳でした。
私は、彼氏が亡くなると同時に半分倒れてしまいました。入院はしていませんが、しばらく起き上がれませんでした。闘病中の彼氏と私に会った友だちから「片柳さんだけでなく、アンナの顔にも死相が出ていたので怖かった」と、あとになって言われました。
――片柳さんから寂聴さんのことを、どうお聞きでしたか。
寂聴さんが不倫の彼と暮らしていたころのエピソードを聞いたことがあります。暑いさなか、寂聴さんがふうふう言いながら小説を書いていると、そばで彼が一生懸命、うちわであおいでいたそうです。
――不倫の彼とは、いつの彼でしょうか。
お肌がツルツルの理由を尋ねられた寂聴さんは、荻野さんのクリームのおかげと答えたそうです。記事の後半で語られます。
いろいろといらっしゃいまし…
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