紀の川の「岩出頭首工」近くの堤防沿いに、「六箇井樋門改築記念碑」という碑が建立されています。
現在「六箇井」と呼ばれ...
続きを読むている農業用水路は古くからあったもののようですが、記録によれば、大畑才蔵の指揮監督により元禄14年(1701年)に現在の和歌山市山口地区から直川地区へと延長されています。
その後、さらに西の地域で干ばつが相次いだため、今度は中村成近という人物の主導で用水路の西進が計画され、文化2年(1805)から文政5年(1822年)まで17年の歳月をかけて直川から松江まで約16kmの水路を完成させ、これによって和歌山市北西部の農業生産力は飛躍的に向上することになったのです。
こうして六箇井の灌漑能力は大幅に向上したのですが、紀の川からの取水口は元のままであったためしばしば取水量が不足し、また洪水による破損も相次いだことから、天保7年(1836年)に取水口の位置を約40m上流に移し、現在の岩出頭首工付近から取水することとなりました。
その後、昭和12年になって紀の川の水害被害をなくすための大規模な改修工事が行われるとともに、六箇井の取水口も延長350mの鉄筋コンクリート造に改築されたのです。
写真の記念碑は、この取水口改築事業が完了したことを記念して、昭和14年12月に建立されたものです。和歌山市の紀の川北岸にはまだまだ多くの農地がありますが、こうした農地はそのほとんどがこの「六箇井」によって潤されているのです。
その背景には、驚くほど長い期間にわたっての、多くの人々の努力の積み重ねがあったのですよ。
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投稿日:2015/10/13