2023/06/28 - 2023/06/28
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kojikojiさん
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ツアー2日目は夜明け前に目が覚めてしまい、早朝からひとっ風呂浴びて、海岸まで散歩に出ました。ホテルの客室から見えた「小津目浜」までは下り道を10分ほど歩きましたが、帰りはまた登らなければなりません。誰もいない海岸の公園から砂浜に出てしばらく散歩します。この浜とホテルの丘陵の間には「小目津古墳」がありますが、獣道に中なので足は踏み入れませんでした。また公園の辺りには万葉集や古今和歌集にも歌われたさざれ石を見ることが出来ます。「玉に次ぐ美石」と称されて約700万年から800万年前に堆積した「目津礫層(めづれきそう)」で、みなべ町のさざれ石は、平安時代初期に書かれた「伊勢物語」にも記載されており、貞観五年の863年に千里の浜で発見された「おもしろき石(さざれ石)」を右大臣藤原良相が浦人より譲り受け、都に運ばれたのちに陽成天皇に献上され、約500年の間「千代の神石」「天下の名器」として歴代天皇が大切にされていたと伝えられます。「小目津崎」まで歩くと、その途中には「さざれ石」のような岩はいくらでも見ることが出来ました。ホテルに戻るとレストランは混んでいたので、出発時間から逆算してから再び行ってみるとガラガラでした。夕食よりも朝ごはんの方が地産の食材が並び、名物料理もいただけたので大満足でした。2日目のスタートは午前9時と遅く、のんびりとしたものでした。まずは近くの「紀州梅干館 紀州梅干の梅翁園」に立ち寄ります。ここは若い頃の坂本冬美に縁のある工場で、梅干の塩分等の検査に従事していたそうです。昼休みに梅干し工場の近くのカラオケサークルで歌を唄っていたそうです。そこの主催者がオーディション番組「勝ち抜き歌謡天国」にデモテープを送ったことから歌手の道が始まったそうです。美味しい梅干をたくさん買って、バスは20分ほど走った田辺町の「闘鶏神社」に向かいます。現存する社殿は近世の再建による6棟が揃って遺存するもので、仮庵山を背に北面して建ち、東より西へ西殿、本殿、上殿、中殿、下殿、八百萬殿の6棟が横一列に並んでいます。「闘鶏神社」に祈願して熊野三山参詣に替えたという伝承もあり、「熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)」の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担っていました。「闘鶏神社」の名は平家物語の壇ノ浦合戦の鶏合せの故事に由来します。源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当の湛増(たんぞう)が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせました。すると、ことごとく白(源氏)の鶏が勝利したため、源氏に加勢することを決め、熊野水軍200隻を出陣させました。この話は全く知らなかったので、ココに来てようやく熊野参詣道中辺路(なかへじ)・大辺路(おおへじ)、高野山参詣道などの世界遺産に追加認証された理由が分かってきました。ここからは「熊野本宮大社」へ向かいましが、途中に「道の駅 熊野古道中辺路」に立ち寄ります。トイレ休憩ではありますが、地元のおばあさんが造った布の草履が売っていたり、「釜餅」や「あゆのひつまぶし」など面白いものがたくさんありました。車道の脇には熊野古道もあり、牛馬童子の像まで行く時間はありませんでしたが、ほんの一部を歩くことが出来ました。しばらく山の中を走ると熊野川に当たり、「熊野本宮大社」は左折するのですが、バスは「瀞峡めぐりの里 熊野川」というドライブインに立ち寄ってお昼になります。ここのお昼はオプションで申し込みましたが、とても美味しかったです。地酒の「太平洋」と一緒にいただきました。午後は「熊野本宮大社」の参拝からスタートします。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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前の晩はいい気分で部屋飲みまでしてしまい、ぐっすり寝たので夜明け前に目が覚めてしまいました。
グランドメルキュール和歌山みなべリゾート&スパ 宿・ホテル
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残念ながら日の出は見ることが出来ませんでした。
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朝一番で大浴場に行って、ひとっ風呂浴びてから散歩に出掛けることにします。フロントの方に尋ねると「小津目浜」への行き方を教えてくれました。
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ホテルのエントランスから坂道を15分ほど下ると芝生の美しい「小目津公園」に着きました。さらに防波堤を超えると「小津目浜」という海岸に出ることが出来ます。
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海岸の先には「小目津崎」という小さな岬があるので行ってみることにします。
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海岸線の岩を見て、これはさざれ石ではないだろうかと思いました。ネットで調べてみると万葉集や古今和歌集にも歌われたさざれ石だということが分かりました。「玉に次ぐ美石」と称されて約700万年から800万年前に堆積した「目津礫層(めづれきそう)」で、みなべ町のさざれ石は、平安時代初期に書かれた「伊勢物語」にも記載されており、貞観五年の863年に千里の浜で発見された「おもしろき石(さざれ石)」を右大臣の藤原良相が浦人より譲り受け、都に運ばれたのちに陽成天皇に献上され、約500年の間「千代の神石」「天下の名器」として歴代天皇が大切にされていたと伝えられます。
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岬の先端まで歩いたところで散歩はここまでにします。
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海岸線の奥に宿泊している「Hotel & Resorts 和歌山みなべ」の白い建物が見えます。ホテルの建っている高台と海岸の間の木々に中には「小目津古墳」が残っているようですが、さすがに入ってみようとは思いません。
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「小目津公園」にはアカテガ二がたくさんいました。意外に大きいことに驚きました。人が近づくと隠れ家に逃げこみますが、特に決まった巣や縄張りはないようで、最も近い隠れ家に素早く隠れます。逃げきれない場合は鋏脚を大きく振り上げて威嚇行動をとります。
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やはり帰り道は登り坂なので息が切れます。まだ汗ばむような季節でなくて良かったです。
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ホテルのロビーでは早朝にもかかわらず、近所の農家の方がみかんを並べていました。産地直送の割には良い値段だったので買いませんでした。
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部屋に戻ってしばらく休憩しました。2日目の出発は午前9時とゆっくりなので助かります。散歩から戻ってきた午前7時は2階のレストランはごった返していました。
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午前8時前にレストランに向かうと先ほどとは違ってガラガラでした。ビュッフェスタイルの食事の場合、混雑しているとすごいストレスを感じます。
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朝食のメニューは地産のシラスや梅干しなどが並んでいます。
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コンロも置いてあって自由にテーブルで焼き魚を楽しめます。こんな景色を眺めながらの朝食は気持ち良いものです。
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みなべ産のシラスは黒潮が流れ込む豊かな南部湾が育んだ自慢の地産品だそうです。そんなシラス丼は自分で盛って作ることが出来ます。大ぶりのシラスは柔らかくてとても美味しかったです。数週間前に高知の系列ホテルではシラス漁を眺めながら美味しいシラスをいただきました。
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さらに白ご飯に漬けマグロを乗せ、鯛と昆布の出汁をかけたマグロ茶漬けもいただきます。こちらもワサビを乗せて美味しくいただきました。右側は茶粥に名産の梅干しを乗せていただきました。
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午前9時にホテルを出発して、昨日見た梅観音ともお別れです。
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周囲はこのような梅林が延々と続いています。
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この日最初の立ち寄りは「株式会社ウメタ」の「紀州梅干館 紀州梅干の梅翁園」に立ち寄ります。ここは歌手になる前の坂本冬美が勤務していた工場だそうです。高校卒業後は大阪市内のあるレストランのオーナー会社で経理担当として勤務するも約4カ月で退社して和歌山へ戻り、「株式会社ウメタ」に入社します。梅干の塩分等の検査に従事して、周りに誰もいない地味な仕事を1人でしながら歌を唄いながら仕事をしていたそうです。
紀州梅干館 お土産屋・直売所・特産品
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昼の休憩時間になると、梅干し工場の近くでカラオケサークルをしている家を訪れて毎日歌の練習をしていたそうです。サークルの主催者の方が色々な所にカセットテープに坂本冬美が歌っている歌を録音をして送っていましたが唯一返事があったのが当時NHKで放送していたオーディション番組「勝ち抜き歌謡天国」だったそうです。
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そんな説明を聞いた後にバスを降りて工場見学に入ります。
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2階の工場では梅干しの仕訳と梱包作業が行われていました。残念ながら誰も歌は唄っていません。
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中央に置かれた機械からは梅干しがどんどん出てきます。何となくジョニー・デップの「チャーリーとチョコレート工場」という映画を思い出します。年代的には1971年製作の「夢のチョコレート工場」に思い出があります。ルンパランドという島に住む小柄なウンパ・ルンパの曲が頭の中に浮かんできます。https://www.youtube.com/watch?v=FVo-ay2s27w
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酸っぱい梅干はあまり好きではないのですが、ホテルの朝食で食べたはちみつ梅が美味しかったのでお土産に買おうと思いました。
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1階はこんな売店になっていて、ほとんどの商品が試食して買うことが出来ます。ティム・バートンの映画を思い出したのはこの梅干しのオブジェのせいかもしれません。
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ご自宅用のハチミツ梅はお手頃な値段だったのでお土産に買い求めました。大粒の梅は柔らかくて美味しかったです。さらに宅急便代が500円というのも嬉しいです。買い物が終わると再びバスに戻り、次の見学地に向かいます。
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2日目の最初の立ち寄り先は田辺町の「闘鶏神社」でした。東京に住んでいるとほとんど聞くことのない神社で、昨日に続いてマイナーな立ち寄り先だと感じていました。田辺町に着く頃にはカンカン照りになり、駐車場からしばらく歩くだけで汗が噴き出してきます。
闘鶏神社 寺・神社・教会
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「闘鶏神社」の現存する社殿は近世の再建に係る6棟が揃って残され、仮庵山を背に北面して建ち並び、東より西へ西殿、本殿、上殿、中殿、下殿、八百萬殿の6棟が横一列に並んでいます。
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境内には市指定天然記念物の「大楠」があります。駒札には幹周が約8メートル、樹高は14メートル、樹齢は伝承では約1200年とありました。楠木つながりではありませんが、この神社の宮司の田村宗造の四女松枝と結婚したのが南方熊楠だということを初めて知りました。
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「大楠の後ろには「藤巌神社」があります。祭神は安藤直次(藤巖公)で、明治19年の1886年に、現在の田辺の原形を作った紀伊田辺藩主の安藤直次の功績に感謝し、遺徳を崇敬するため建てられました。安藤直次は幼少から徳川家康に近侍し、姉川の戦いや長篠の戦いで功績を挙げ、多くの合戦に従軍したのちに老中として本多正純らと徳川幕府の中枢を担いました。領内の痩せ地や山の斜面に梅の栽培を奨励して、紀州の名産物となった経緯も記されていました。
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「闘鶏神社」の旧称は田辺宮で、新熊野や新熊野雞合大権現とも呼ばれます。社名は平家物語の故事の「鶏合わせ神事」に由来しています。治承の乱や寿永の乱の時に熊野別当だった湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したといわれます。伝承では湛増は武蔵坊弁慶の父としてもいわれます。
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平家物語の故事の「鶏合わせ神事」については知っていましたが、その地がここで会ったということはここへ来て初めて知りました。春の旅で門司港から下関を旅して、「赤間神宮」を参拝しましたが、ここでまた平家物語につながるとは思いもしませんでした。
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皆さんの参拝が終わったので本殿を参拝することにします。本殿の祭神は伊邪那美命(いざなみのみこと)です。本地仏は阿弥陀如来です。熊野造の社殿は寛文元年の1661年の再建です。本地仏とは仏が人々を救済するために神の姿をかりて現れるという、本地垂迹説にもとづくもので、鎌倉時代から室町時代にかけて全国の神社で本地仏が定められました。その後の明治元年の神仏分離令によっておこった廃仏毀釈により、本地仏の多くは散逸してしまいます。
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本殿と上殿の配置はこれから行く「熊野本宮大社」と共通していて、本殿の祭神が伊邪那美命である点が異なりますが、「那智参詣曼荼羅」が伝わるなど熊野との強い関係性があるそうです。本殿と上殿は一間社春日造かつ奥行二間とする熊野造で、田辺地方における数少ない17世紀中期以前に遡る貴重な神社建築例のようです。各棟ともに細部には地域的特色を備え、近世における当地方の神社建築の貴重な遺構とされ、これらの社殿は国の重要文化財に指定されています。
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「梛の木」
熊野詣が盛んであった中世の頃に参詣者は熊野三山それぞれにて先達と呼ばれた熊野詣の案内人(山伏)から梛の葉を手渡されました。針葉樹でありながら広葉樹のような幅の広い葉を持つユニークな木です。梛(なぎ)は凪に通じることや、なぎ払うという意から災いを祓い平和と幸運を招くご神木とされました。古くはこの葉を鏡の裏やお守りに入れて災難除けにしました。 -
「闘鶏神社」のある地は西国三十三カ所巡礼の第1番札所の那智山寺(青岸渡寺)から第2番札所の紀三井寺までの中継地で、中世以降は参詣道や巡礼路の要衝となりました。また「闘鶏神社」に祈願して熊野三山参詣に替えたという伝承もあり、「熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)」の別宮的存在として熊野信仰の一翼を担っていました。
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「弁慶社」は名前の通り武蔵坊弁慶を祀っています。諸説ありますが弁慶は別当の湛増とされ、この田辺には弁慶の誕生にまつわる産湯の井戸や腰掛け石などが残っているそうです。
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「闘鶏神社」の参拝を済ませた後はバスに乗って「熊野本宮大社」の参拝へと向かいます。
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田辺の町中からは山中の道路に入りますが、路傍の石柱などから「熊野古道中辺路」に沿って走っているのだと分かります。
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富田川に沿って上流に向かっているのが分かります。いくつかのルートがある熊野古道のうち多くの旅人が歩いたのは、京都から大阪、和歌山を経て田辺に至る紀伊路、そして田辺から山中に分け入り熊野本宮に向かう「中辺路(なかへち)が知られています。
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古代から中世にかけて本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、上皇や女院や庶民にいたるまで旅人の切れ目がなく行列ができた様子から「蟻の熊野詣」と例えられるほど多くの人々が熊野に参詣しました。中辺路は後鳥羽院、藤原定家、和泉式部も歩いたとされています。
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熊野本宮大社と熊野速玉大社の間は熊野川の船運を利用することもありましたが、その他の大部分の行程は険しい山道だということを改めて目で見て感じます。この道は熊野神の御子神を祀った「王子」もしくはその遺跡が点在するのが特徴です。
箸折峠・牛馬童子像 名所・史跡
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バスは「道の駅 熊野古道中辺路」でトイレ休憩になりました。看板を着て熊野古道を少し歩いてみたくなりました。子供の頃に奈良県の洞川から大峰山や弥山は山伏の方々と一緒になって登ったことはありますが、熊野古道はこの旅が初めてでした。
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この辺りは歩く人も少ないのか、杉木立の間に人の気配は感じられません。
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この先を800メートル進むと「牛馬童子」の像があるのですが、そこを往復しているほどの休憩時間はありません。
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いつか弟とサンチアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路を歩こうと話していますが、その前に熊野古道を歩いたほうが良いかもしれません。
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道の駅には「牛馬童子」のレプリカが置かれてありました。実際は高さ50センチ程度の小さな石像で、文字通りの牛と馬の2頭の背中の上に跨った像です。一説には延喜22年の922年に熊野行幸を行った花山法皇の旅姿を模して明治時代に作られたとされます。この石像のある「箸折峠」の由来は、花山法皇が食事のため休憩をした時に、近くの萱を折って箸代わりにしたからといわれています。
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小さな売店の中には近くのおばあさんが編んだ布製の草履が900円くらいで売っていたので買い求めました。妻は「熊野本宮・釜餅」と「あゆのひつまぶし」などを買っています。釜餅は中世の昔から本宮大社が建っていた大斎原(おおゆのはら)のもち米を使用し、蒸篭で蒸さずにお米と同じように釜で炊きあげます。炊き上がったもち米をすりこ木と巨大なしゃもじを使って手早く搗き、半搗きの状態に仕上げて餡を包んだものです。
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バスは山、道を越えて熊野川に出ました。グーグルマップでは左折するように道案内されますが、バスは右折して先にお昼に向かうようです。
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熊野川は奈良県と和歌山県および三重県を流れる新宮川水系の本流で、下流の「熊野本宮大社」と「熊野速玉大社」の間の流域は「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されています。
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この高津橋など古い鉄橋がいくつも架けられ、何とも言えない雰囲気です。この橋を渡ったら森の中に吸い込まれて戻ってこれなくなりそうです。
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旅行前も含め旅行中は雨も降らなかったので川の流れは澄んで美しい水色をしています。
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以前妻とボートに乗って瀞峡を目指したのはこの辺りだったであろうかと想像します。
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「十津川電力所」の文字が読み取れました。
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熊野川を下っていくと分岐点があり、この先が「瀞峡」なのだということが分かりました。
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以前乗った高速ボートが通過しないだろうかと川を見続けますが船は1艘も見えませんでした。
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この日のお昼は「瀞峡めぐりの里 熊野川」という道の駅です。
瀞峡めぐりの里 熊野川 名所・史跡
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建物の中にはボート乗り場もあり、懐かしい高速ボートのポスターも貼ってありました。
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ところがチケット売り場にはこのような張り紙がありました。後でレストランのスタッフの方に聞いてみると、コロナ禍の間はずっと運休していたそうです。さらにボートを運行するには熊野川の川底の岩を退かして水路を作らなければならないそうです。その費用が莫大な金額になるそうです。
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この日の昼食はオプションで申し込んでおきましたが、ほとんどの方が予約したようです。近隣には食べ物屋もなく、道の駅にはレストランもありますが、時間が限られています。
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阪急交通社限定のメニューです。我々のツアー以外にも関西からのツアーの方々も利用していました。
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まずはビールで乾杯です。窓の外には熊野川が流れていて景色も良いです。
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熊野の名産の料理が並んでいるので食べるのが楽しみです。まずは右下の山菜冷やし蕎麦をいただき、鮎の抹茶味噌田楽と移ります。サンマ寿司は熊野が発祥といわれていますし、めはり寿司もこの地方の名産です。元来は麦飯の握り飯を高菜で巻き込んでいましたが、現在は白米を用いることが多いようです。奈良県の南東部に位置する下北山村の特産品の下北春まなの葉の漬物に白飯をくるんで作ります。
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国産鶏をみそ焼きにした朴葉焼きは香ばしい味噌の味が何とも言えず、ビールが進みます。
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尾崎酒造は明治2年創業の本州最南端の蔵元で「太平洋」という清酒を醸造しています。名前からか日本海軍にも愛された酒のようです。少し甘みがありますが美味しいお酒でした。午後はようやく「熊野本宮大社」に参拝できます。
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