
2024/06/03 - 2024/06/03
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kirinbxxさん
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6月3日、この日の宿泊地は海辺の町、ア・コルーニャです。ルーゴからはわずか100km足らず、順調に行けば1時間と少しで到着します。
ここは歴史的にも重要な港で、古代ローマ時代にはローマから続く道路の終点であり、重要な港でした。紀元前62年にユリウス・カエサルの軍団がここに到着した記録が残っています。岬にあるヘラクレスの塔は、この時代に建てられた灯台で、今も稼働している最古のものということで、現在世界遺産に指定されています。
無敵艦隊と呼ばれたフェリペ2世の艦隊が、1588年6月24日に強風に遭い、7月21日に出発するまで停泊していたのもこのア・コルーニャの港でした。英国はフランシス・ドレークが艦隊を率いてア・コルーニャを攻撃しますがこれを撃退しています。
このサイトのエリア選択では「ラコルーニャ」ですが、ガリシア自治州の首都ですから、正式名称はガリシア語表記のA Coruña、ア・コルーニャです。
この日の歩数は1万560歩でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
青い空と白い雲の下、両側に緑が一杯の快適な道路を西へ。
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スペインの高速道路、初めての人間にはAとAPの違いもよく分からないし、支払い方法もまちまちだし、無料の区間もあります。ときどきまごつくのは仕方のないことです。
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見るからに都会、という場所に到着しました。ここがこの日から2泊する海辺の町ア・コルーニャで最も有名な通り、Av. Linares Rivasです。ガリシア地方でもっとも地価が高く、一般的な住宅の平均価格が86万ユーロ(1.38億円)とか。左のドームがある建物は1916年に建てられたラ・カーサ・バリエで、クラシック・バロック・モダニズムの折衷様式です。このビルの前は「イギリスの道」と呼ばれる巡礼路だそうです。確かに英国からなら海を渡ってこの町につき、この前を通ることになります。
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海沿いにはこんな遊具も用意されている庭園がありました。
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岬にある観光案内所です。
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その先にあるこの塔が、エレクレスの塔(Torre de Hercules)。
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ざっと岬を一回りして、チェックイン時間になったのでこの日の宿へ。Hotel Melia Maria Pitaです。
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駐車場は地下で入り口はホテルの建物の左側。
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ここでレセプションを呼び出して扉を開けてもらいます。
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中はとても広々としています。が・・・
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うげげ。
駐車料が1日25ユーロとな?うちは2泊だからそれだけで50ユーロかい!
宿泊料は2泊で255ユーロとリーズナブルなのですがね。 -
さて部屋へ。ドアを開けてがっくり、目の前には狭くて急な階段が・・・このタイプ、ヨーロッパでときどき出くわしますが、困るんですよね。仕方ないので、スーツケースは下に置き、必要なものだけを上へ。
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寝室は広々、ベッドも大きめ。
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バスルームも広いし、バスタブもちゃんとしていてお湯の量もたっぷり。階段さえなければ申し分のない部屋です。まぁ、階段があるから、リーズナブルな室料なんでしょうが。
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そしてこの眺め。Orzanビーチとその回りの街並みが一望できます。
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ホテルにはジムもありました。バカンスシーズンにはここで長期滞在する人達が沢山いるのでしょう。そのときにはとても今の料金では泊まれそうにないですね。
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さて、軽くお昼を食べようと出かけて、こんな変な店を発見。FUSION FOOD SUSHIはいいとしてTAKIMI斤? この斤ってなんだろう?
メニューは寿司、餃子、ラーメン、焼きそば、パッタイ、タコスとまさにフュージョン、コロッケを台にした「Fake Nigiri」とか訳判らん。勿論、入りません。 -
その横にある芸術性豊かな階段を登っていったところにあったお店で・・
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適当にこんなものを。気付けばイモだらけでした。可もなく不可もなく、ビールのアテにはなりました。
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昼食後はしばらく部屋でのんびり。ちょっと疲れが溜まってきていました。
ア・コルーニャはT字型の半島から延びる複雑な地形をしていて、外来者にはちょっと判りにくいですね。車のナビを使っても「立体交差」が判らないので、馴れない私たちは迷いに迷うこと、幾たびか。 -
中心部の通りは殆どが歩行者専用または住民のみ車の通行可になっています。そして元々が丘陵地帯だったため、階段だらけ。
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さて、夕食です。公式Webサイトのメニューで、ココチャがあることを確認できたこのお店へ。Pablo Gallego、「伝統的な味を持ちながらも、不必要な贅沢に陥ることなく」という言葉に強く惹かれました。夜は9時開店、スペインの食生活はシニアにはちょいと辛い。
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旧市街中心部に位置し、落ち着いた店内、静かな先客。最後の勘定書きの入れ物も楽しい。何より、客あしらいがとてもいいレストランでした。
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まずはカバをグラスで。
そして次はグラスで飲める赤ワインをと頼んで出て来たこれ、Malacuera Roble、Tempranillo (テンプラニーリョ)で作られたにしては、かなりしっかりした赤です。スペインの赤は当たり外れが大きいといいますが、これまでのところ、「不味い」赤にはあたっていませんね。もちろん、お値段はごくごく庶民的。 -
お店の感じからそれなりの量がありそうだったので、2人で料理二皿でも大丈夫か聞いたら気持ち良くOKが出ました。で、その二皿にちゃんと順序をつけたがるのはヨーロッパですね。まずはJamón Ibérico de campo、予想通りのたっぷり目で26ユーロ。上にはグリッシーニみたいなもの。
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そしてお目当てのこれ。Cocochas de Merluza、メルルーサのココチャです。食べられると聞いていた海辺の町ゲタリアでは運悪くその日はないと言われ、ミシュラン二つ星の高級オーベルジュOSTAPEでは、イメージとは違う妙に上品なものがちょっぴり。ついに出会えました、ココチャです。まぁ、ここはバスクじゃなくてガリシアですが。量もたっぷりで29.8ユーロ。
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うんまい。旨い。美味しい。
ココチャ、それは魚のあごの付け根のところにあるV字形の骨についている、小さな肉の塊です。メルルーサや鱈のような大きな魚でも一匹あたり10-50gしか取れません。ニンニクと、ちょっと強めのオリーブオイルの香りに、コクのあるソースは白ワインベース。コラーゲンたっぷりの独特の食感、なるほどこれがココチャですか。これはいいなぁ。OSTAPEの上品ぶったのなんか足元にも及ばない。本来、コラーゲンたっぷりぷるぷる食材は余り好きじゃないのですが、これは大好きです。
2人で2皿をシェアし、一杯たった5ユーロのカバと赤ワインをグラス一杯ずつ、それに水。これでわずか83.4ユーロ。なんていいレストランであることか。 -
お腹いっぱいになり、Maria Pita広場へ。この市庁舎は、折衷主義の建築家ペドロ・マリノによって1904年から1912 年にかけて建設されました。
この広場の名前となっているMaria Pitaは、1589年のフランシス・ドレーク艦隊によるア・コルーニャ侵攻の際、「Quen teña Honor, que me seguir」(スペイン語で「名誉ある者は私に従え」)と叫んで戦闘にたって戦った女性です。結果、英国艦隊は撤退したそうな。 -
すでに夜の10時ですがまだまだ明るく、人もちらほら。バカンスシーズンになるとこんなに静かではないのでしょうね。
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帰りにコンビニで水を買って帰りました。
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ホテルのベランダから見る夜の町です。
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ビーチにはまだ人がいます。もう11時ですよ~。我が家はもはや限界、ベッドに倒れ込みました。
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