ひでです。お早うございます。スリーシティーズ観光の後はマルタ島の高台にある古都イムジーナの観光です。青い道を通ってイムジーナへ

雨が酷くなってきたようです。もう少しなのに・・・頑張ってくれ

向こうに見えるのが古都イムジーナです。

イムジーナはアラビア語で「城壁の町」を意味します。かつてはマルタの首都でしたが、聖ヨハネ騎士団がマルタに入島するときの条件が、「既存のマルタの貴族と僧侶の物を侵害しない」という条件でしたので、聖ヨハネ騎士団はイムジーナには住まず、海沿いのスリーシティーズに新らしい都を築きました。

ここイムジーナは紀元前8世紀頃フェニキア人により要塞化され  のちにローマ帝国の支配下に入り、 9世紀にはにアラブ人によって広い堀と厚い城壁の城塞に改築され、その時からイムジーナは城壁の町と呼ばれるようになりました。

昔は水が張られていたんでしょうか?今は空堀になっています。

11世紀にノルマン人がマルタを征服し、16世紀にはオスマン帝国とのマルタ大包囲戦では聖ヨハネ騎士団がイムジーナを守り抜きます。

今の入り口の右側には、昔のメインゲートだった跳ね橋の跡が見えました。今ある入り口は1724年の地震後に当時の騎士団長によって造られたそうです。

マルタの首都だったときは貴族はじめ多くの人々がこの町に住んでいました

イムジーナを取り囲む分厚い城壁です。

メインゲートに彫られた紋章は、地震で破壊された街を修復した聖ヨハネ騎士団長マノエル・ドゥ・ヴィナーレの紋章で、両側にはライオンの像が座っています。

入り口を入ったところに広場が有りました。向こうに半ズボンのオジサンが写真を撮っています。あそこには拷問博物館があるということです。どんな拷問の道具があるんでしょう?時間が有れば行ってみましょう。

メインゲート入って右側は騎士団長の別荘だそうです。地震で破壊された街を修復した騎士団長がどさくさに紛れて別荘を造っちゃったのだとか。騎士団長の役得でしょうか?

騎士団長の別荘ヴィレーナ邸は第二次世界大戦後に国立自然史博物館となっています。ここは写真だけ。

これがどさくさに紛れて別荘を作った騎士団長の肖像でしょうか?

ゲートを入ってすぐ左側にあるのは見張り台です。1階にあるのが観光案内所です。「後からここに集合します。覚えておいてください」とガイドさんから。

地図も貰って。今いる所がiの所です。これで大体の位置が分かります。

メインゲートを振り返ると、そこにはマルタの守護聖人、聖パウロ、聖パプリウス、聖アガタの3人が彫られていました。聖アガタ、聞いたことありませんか?シチリア・カターニャの守護聖人です。

聖アガタは一時マルタに隠れていたとか、又、聖パウロはルサレムで捕らえられ、ローマに送られる途中船が難破し、辿りついたマルタで3か月間、ここの洞窟に身を隠しながら布教活動を行ったとされています。又、聖プブリウスは聖パウロに病気の父親を救われたことからキリスト教に改宗し、マルタ最初の司祭となったなった人です。まあ、言い伝えの類、伝説ですけど。

9世紀のメインロードを先に進みます。

細い路地のような場所でも観光馬車が駆け抜けます。中世ですね~。

気持ちは騎士団員です。

この建物・・・思い出せません。

道の両側にある建物のドアには、こんなに奇妙な飾り金具が取り付けてありました

弓矢を防ぐために道が曲がっているのだそうです

サンタソフィア宮殿です。エムディーナでも古い建物の一つだそうです。内部は見れませんが、昔は神学校に利用されたそうです。

イムジーナ大聖堂(聖パウロ大聖堂)です。この大聖堂は、マルタで最初にキリスト教徒となった聖パブリウスの館があった場所に建てられているそうです。普通大聖堂って入ると思いましたがスルーでした。

奥に見えるのはイムディーナで一番古い建物(1階部分)のノルマンハウスです。マルタに最初にやってきた聖ヨハネ騎士団団長が一時滞在していました。古い建物の特徴は窓が高い位置にあるそうです。

カーマライト教会の前には聖母子像が有りました。

なぜかカーマライト教会に入りました。荘厳な装飾は中世の雰囲気を感じさせてくれました。

天井の絵も素敵です。

観光客しかいないようですが、かつての首都だった町は遷都に伴って住民は減少し、今は300人位しか住民はいないそうです。なので城壁の町から、今では「サイレントシティ(静寂の町)」 と呼ばれています

こちらは博物館です。

バスティオン広場に到着。ガイドさんはここまで。いったん解散です。

ここはビューポイントとなっていて、海まで一望できるんですが、その前にこの城壁の厚さを見てください。

360度の展望です。ここで眺めていればオスマントルコが上陸してくるのが手に取るように分かりますよね。

広場にはお店やハイビスカスが。温かい国なんですね。

そぞろ歩きしながら集合場所へ

沢山の人が写真を撮っています。じゃあ、私達も。笑

珍しい空中の渡り廊下ですね。

さあ、入り口にあるメディーナ・ダンジョン博物館(拷問博物館)にやってきました。

拷問の道具があるわけではないんですね。ガイドさんは「面白い」と言っていましたが。

拷問と言うよりも、カトリックによる異教に対する殺人博物館ですね。

この人たちは宗教裁判官でしょうか?。そういえばスリーシティに宗教裁判官の宮殿が有りましたよね。

この人たちの一言で魔女とか悪魔に判別されるんでしょうね。と言うことで、お化け屋敷(宗教がお化け)のようなところでした。

ここで、悔い改めた人は楽な死に方が出来たんでしょうね。どうせ死ぬのは同じですけど。

異教徒の人たちは人間ではないので動物のマスクを被せられたんでしょうね。

昔、亡くなった祖母と地獄極楽の絵を見に行きました。そこでは人間が鬼に地獄の責め苦をされていました。ここでは人間が人間を神の名の前に殺しています。宗教って鬼のように怖いものなのでしょうか?

火あぶりの刑の模型です。

中世のキリスト教会は、エデンの園で最初の女性のイブが蛇にそそのかされてリンゴの実を食べて罪を犯しました。女性=罪人と言うのが根底にあったようで、何か良くないことが起こる=魔女のせいと言うことにして、それらしい人を選んで濡れ衣を着せ、魔女と言うことで火あぶりにして日頃の憂さを晴らしたんです。今のいじめの原点ですね。

フランスをイギリスから救ったジャンヌ・ダルクもイギリスのキリスト教会によって魔女として火あぶりの刑に処されました。彼女の亡くなったフランスのルーアンも行きたいんですよね~。そこで、あなたは間違っていなかった。ゆがんだ聖職者に貶められたと言ってあげたい。

火あぶりではありませんが、ガリレオ・ガリレイは天動説を発表したせいで、地動説を支持するローマ法王庁に宗教裁判で有罪とされ、終身禁固刑の判決を受けました。2人とも亡くなってからずいぶん経って無罪だと認められたんですが、死んでから認められてもね~。意味ないじゃん。

以上、火あぶりの模型を見た個人的な意見・感想です。

博物館を出るときに受付のおじさんがうちの奥様に何やかやと話しかけるんです。何を言ってるのか分からない奥様は「(犬に対応するときの様に)にこにこ」していたら、こんなカギをくれたんです。

つつましく生活している私達です。天国へのカギだと有難いんですが。笑

お昼を食べに城壁の目の前のお店に行きます。

 

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