北野武監督作品

『キッズ・リターン』

のラストの台詞が

最近頭の中で

リフレインする。


まだ御覧に

なった事がない方で

観ようと思っている方

この後

ネタバレがありますので

御注意下さい。



主人公の二人が

壮絶な時間を過ごした後

ラストに言う台詞。



「俺たち終わっちゃったのかな」


「バカ野郎。まだ始まっちゃいねーよ」



大好きな名シーンである。


今の日本に

必要な台詞なのではないか。



「日本は終わっちゃったのかな」


「バカ野郎。まだ始まっちゃいねーよ」



被災地の方

そして被災地以外の国民もつい

いろんな局面で


「日本は終わっちゃったのかな」


と思ってしまう瞬間が

正直あるだろうし

あって当然な

東日本大震災及び

福島第一原発事故である。


そこで

被災地の方を始め

国民が政府に言って欲しい

一言が


「バカ野郎。まだ始まっちゃいねーよ」


という強いリーダーの言葉

ではないだろうか。


『キッズ・リターン』の

金子賢さん演じる

「マサル」

というキャラクターは

滅茶苦茶だが

何とも言えない頼りがいがある。


壮絶な時間を過ごして

普通だったら

「終わっちゃったな俺達」

という局面で


「バカ野郎。」


と間髪いれずに切り出し


「まだ始まっちゃいねーよ」


と言い切られたら

誰だってついて行きそうだ。


昨日は菅さん

今日は東電の清水社長が

被災地の避難所を

訪ねられていたが


報道からは

そういう力強い言葉は

なかった。


もちろん

「バカ野郎。」

という言葉を望んでいるのではない

と念のため書いておく。


軽々しく

その場しのぎの強い言葉も

どうかと思うが


頭を下げることも必要だとは思うが


今は誰かの

強い言葉が


語弊があるかも知れないが

嘘でも

「バカ野郎。まだ始まっちゃいねーよ」

という


『心の主柱』


ともいうべき強烈な

リーダーシップ溢れる言葉が

必要な気がするのだが。


そこには

「マサル」のように

理屈では語れない

腹を括ってる感のある人間の言葉

が一筋の光になる場合もあるような

気がするのだが。


その裏付けも

その側近たちが

やらねばならぬ。


震災から40日。


そろそろ

被災地の悲鳴も

限界を越えて行く

タイムリミットに

入ったのではないだろか。


一方では

どこか

「もうその話はいいよ」的ムードも

漂い始めているのを感じるのは

気のせいか。


東日本大震災

福島第一原発事故

放射線物質汚染問題



「続いてのニュースです」


でかき消してはならない。


感動で振り返るのも

まだまだ早い。


ヴァーチャル感は

捨てた方がいい。


全ては現実であり

時間が経てば良き方向に

勝手に向かうという


「時間=改善」


ではなく


時と場合により


「時間=悪化」


ということさえあり得るという事を

再認識をした方がいいのでは

ないだろうか。

何か勘違いしているのでは

ないだろうか。


40日前と今日

基本悪化している

と考えた方が

今回の件はいいのではないか。


そう考えれば

風化されない。


だから本来であれば

40日前よりも

ブログでもツイッターでも

書く人が増えてもいいぐらいな

気がするのだが。


特に当初書きまくっていた

影響力のある方々は

関心の継続が被災地復興に

繋がるのだから忘れては

ならないのではないだろうか。


放射線物質も心配だが

被災地に流れるリアルな時間が

とても心配である。


チリの落盤事故を思い出す。


彼らを救ったのは

モチベーションである。


それぞれの役割を務めることで

69日間33人全員救出された。


そんな彼らを支えたのは

「言葉」ではなかったか。



「俺たち終わっちゃったのかな」


「バカ野郎。まだ始まっちゃいねーよ」



おちまさと


ずっと疑問で

わからないのは


「20キロ圏内」


と原発からの

半径理論でなぜ

語るのかというところだ。


放射性物質って

風とか雨とかの影響を

もろに受けて


空気中を

言ってみれば

ヘドロみたいな

アメーバみたいな

形なき形で拡散していき


あるところは5キロかもしれないし

あるところは長ーく伸びて

40キロとかそういう化け物

じゃないのだろうか。


今「20キロ圏内」を封鎖する

ということは

その最も長く伸びた先端が

最悪考えて20キロ

ということなのか。


そんな

綺麗な円を描いて

拡散する訳がないのは

素人でもわかるし

チェルノブイリの時の

放射性物質飛散地図を

見れば明らか。


そこは説明責任あるはず。


そして

もっと細やかに

デリケートに計測し

例え20キロ圏内でも

大丈夫なところがあれば

避難所からの帰宅を許可し

またデリケートな計測で

ダメだったら避難所に戻す

というやり方はなぜダメなのか。


半径理論が

どうしても

ザックリしていて

腹落ちしない。


多分

避難所にいて

自分の家の地域は

そのアメーバのような汚染図

から外れていれば

数日間でも帰って

いろいろやりたい事や

瓦礫や泥の片付けもしたいはず

ではないだろうか。


これも

「納得する言葉」

がトップから

発せられれば

まだ理解できるのだろうが。


もうザックリ感は

辞めた方がいい。


いい加減今後は

プロ集団による

きめ細やか対応が

必要ではないだろうか。


あと

気になったのが

避難所に

被災者の方々の

エージェントとなる

弁護士先生はもう

いるのだろうか。


各自治体がやるのだろうが

菅さんや東電が来る時など

弁護士さんがいると

頼りがいがあると思うのだが。


特に同じ被災地の地元弁護士さん

などが取りまとめるなどは

もうやってるのだろうが

ちょっと存在が

見えてこないので

気になった。


全ては


結果


『ジャパン・リターン』


に一日も早くなれば

いいだけだ。


それを一秒でも

遅らせるものは

即排除即改善しかない。



関係ないが

「言葉」と言えば

今日娘が初めて


靴下を妻に手渡し

「どじょ」

と本人「どうぞ」

のつもりで何足も何足も

渡していた。


http://ameblo.jp/ochichieko/entry-10869456423.html


「パパ」「ママ」


などとは違う

初めて行動とリンクした

言葉を発した。


驚きと共に感動。


ある種

初の言葉による

コミュニケーションである。


人間に唯一与えられた

言葉のコミュニケーション。


誰にでも

「初日」

があるのだということを

改めて知る。


そう言えば

僕が初めて喋った言葉は


「これ落ちてたよ」


という文章だったと

母親に聞いた。笑