まず鏡花水月は万能な斬魄刀では無い。藍染の霊圧がチート級だから能力の規模も大きく見えるが、あくまでも補助的な能力である。
鏡花水月の能力は「術にかかった者をして、対象とする事物の認識(視覚聴覚触覚嗅覚味覚および霊圧)を誤認させる能力」であって、「相手を幻覚で自由に操れる能力」では無い。
実際、作中でも鏡花水月の用途は上記のものに限られている(斬魄刀を死体に見せる、藍染の位置を誤認させる、雛森を藍染に見せる、藍染を一護に見せる等)。
また、藍染の力が今ほど強大ではなかったと思われる100年前では、鏡花水月による催眠を平子に見破られたりもしている。
平子の逆撫の能力は、「対象とする相手の上下左右前後の認識を逆にする能力」である。これは鏡花水月の能力と性質が異なる。つまり、逆撫の能力は戦闘相手を対象とするのに対し、鏡花水月の能力は誤認させる事物を対象とする。
また、鏡花水月の発動条件は術をかける相手に解放の瞬間を見せることである。したがって、作中で述べられているように、最初に術をかける段階で目の見えない者には効果がない。一方、逆撫の発動条件は刀から発せられる気体のようなものの匂いを嗅がせることである。この点も異なっている。
作中描写から推測される、逆撫の鏡花水月に対する利点は、取り回しがし易いことである。
逆撫のように、相手が認識できる範囲にあるすべての事物の方向を逆に誤認させることは、鏡花水月にはできない。正確に言えば、原理的にはできるのだろうが、そのためには使用者(藍染)が誤認させる対象と誤認のさせ方を逐一指定しなければならないだろう。実戦の中でそれを行うのは現実的ではない。
つまり、鏡花水月は汎用的である反面、誤認のさせ方は使用者が意識的に制御しなければならない。それに対し逆撫は、特定の誤認のさせ方に関しては、使用者が特別な注意を払わずとも非常に広範囲かつ効率的に使用できる。
プログラミングに喩えれば、逆撫はフレームワークを用いるようなものであり、鏡花水月はC言語でフルスクラッチで書くようなものである。
また、空座決戦篇で平子が逆撫を使用した際、藍染が方向を誤認している中でも、京楽や日番谷などは正しい方向を攻撃していたことから、逆撫は「誰に術をかけるのか」を使用者の意思で容易に制御できることが分かる。
一方、千年血戦篇で藍染は「君(一護)に鏡花水月の解放を見せなかったことが役立った」と言っている。つまり、一護が催眠にかかってなかったおかげで、正しくユーハバッハを攻撃できたということである。
このセリフから推測するに、鏡花水月は「誰に催眠をかけるのか」という制御ができない、あるいはできることはできるが戦闘中に制御するのは容易ではない可能性がある。
この点でも、逆撫は特定用途に限った使いやすさの面で鏡花水月を凌いでいる。
再度まとめると、鏡花水月は誤認のさせ方のレパートリーは逆撫より豊富だが、一度に大量の対象を誤認させるなど複雑な制御は難しい。一方、逆撫は方向を誤認させることしかできないが、使用者が詳細な制御をせずとも広範囲に渡って効果を及ぼすことが可能。
最終章で平子は、逆撫を使って音声の逆再生をしている。 つまり、逆撫には時間を反転させる能力がある。 しかも、音声をリアルタイムで逆再生するには、未来に発せられる音が分から...