名前を隠して楽しく日記。
高校生向けのデートDV講座では、女子が言う「ちょっと嫌かも」は、相当イヤなので、その点は覚えておいていただきたいと言うようにしていて、感想読んでも賛同多数なので、やっぱり覚えておいてほしい。あと、行為に対して拒否感を示したからといって人格否定されたと捉えることも止めた方が良い。
わかる。
初めてお付き合いした時、勇気出して「嫌だ」って言ったのに「どうしてもダメ?」って何度も何度もしつこくて、嫌すぎて泣いたら「そんなに嫌だったの?」って焦り出してた。泣くまでわからないってどう言うこと?ってなった。
ちょっと話ズレるが、これ男がいう「女は泣けば許されると思ってる」につながるのでは。
普通は、泣かすようなことになる前に引き下がるんだよ。男が女に泣くまでネチネチ迫ってるだけじゃない?
弱者男性だが、笑えないなあ……
全盛期のニコ生で見た
弱者男性だが、リベラルとフェミニストへの文句はここで言うけど職場の話なら別に何も言わないな
楽しかったなあ。
・一人で過ごす時間が減った。土日はお互い予定がなければ必ず会っている。もともと一人時間超大好きで一人で過ごすの大得意人間だけど、恋人と過ごす時間が苦じゃないのは発見だった。プラス、相手も一緒にいる時間を一人で過ごすより良いものと捉えてくれているみたい。何気ない日常は私と過ごすのが一番楽しいと言ってくれた。
・色んなものを一緒に楽しんでくれた。元々私が好きなキャラクターを恋人も好きになってくれて、グッズを買いに行ったり展示を見に行ったりするようになった。一人で好きなだけならここまでしなかっただろうな。人が好きなものを一緒に好きになって楽しんでくれるという才能はすごいものだ。最も尊敬している部分のひとつかも。
・優しい。付き合ってすぐは私のメンヘラがまあまあひどく、疑心暗鬼からくる問い詰め、嫉妬、なんで◯◯してくれないの!? による喧嘩を何度かしたが、それに全部付き合って向き合ってくれた。ただ、それにより摩耗したものは確実にある。仲がいいときは平和だけど、喧嘩するとかなり一触即発の空気がある。平和なときを茶化して「小康状態」なんて言っていたけど本当にそんな感じ。これに関しては私が変わらねばならない。後がないと思って改心しろ。メンヘラについては付き合って一年経過したあたりでかなり緩和された感があり、これはひとえに彼の誠実さによるものと思う。スマホ持ってトイレに籠られたりすると未だに気にしてしまうけど、そんな感情も乗りこなしていければいいね。本題から逸れちゃったけど、恋人は優しいんだ。私の方が年上だけど猫っ可愛がりしてくれたり、やってるソシャゲでガシャを200回くらい回しても目玉キャラが出なかったときに本気で慰めてくれたりするところが好きだ。私が親に嫌なことを言われてメソっていたときに、「心配してくれてるんだよ。でも、本当に嫌なことを言われたら怒ってもいいよ」と言ってくれたりもしたんだ。
現代では趣味が多様化して分散しただけで、この“ゲートボールに相当するもの”がなくなったわけではない。
“ゲートボールに相当するもの”とは、「若いころからやり続けていたわけでも、やりたいとも思っていなかった活動」のこと。
で、年寄りはなぜ“ゲートボールに相当するもの”を求めるかというと「活力と実現可能性のギャップが年寄りほど生じやすい」から。
どうしても身体的には衰えているので若者に交じってスポーツを1から始めるのは難しい。
その点、若者がいないから自然と老人ばかりで寄り集まることができて、無理せずできるスポーツとしてゲートボールは最適だったのだろう。
さて、年寄りはなぜ“ゲートボールに相当するもの”を求めるかは分かったが、そもそもそんな活力がなぜ湧いてくるのかって話になる。
少し前まで、俺は「年寄りが逆張りで無理してるだけ」だと思ってた。
でも最近、ひっかかりニーチェって番組で、腹落ちした話があって。
確か、永野が「老いていこうとするのではなく、老いに抗うことこそ自然」みたいなこと言ってて、なるほどなと。
年寄りになったからこそ何らかの活動的なことをやって、周りに「若いもんにはまだまだ負けん!」みたいなスタンスをとる。
そっちのほうが年寄りの在り方としては通常なわけだ。
これまで俺は「ゲートボール理論」を冷笑気味な文脈で用いることが多かった。
ホッテントリで老いに関する内容の記事とかに「俺は年とってからも元気ですけどね」みたいなブコメが必ず湧いてきて、それに結構な星がついてたりして当初はなんだかなあって思ってた。
老いれば活力は無くなっていくのは生物学的にも明らかなのに、いい年こいて逆張り根性ふかしてんじゃねえぞと、百歩譲って本当だとしてもイレギュラーでしかないぞと。