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献血宇崎ポスターを問題視して刃牙BL消費をガンスルーするフェミは結局どこを論点にしてるのか分からないので説明してくれない?
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1910/23/news105.html
「独歩さんが克巳の体型について「うっすら脂肪を残し」って説明してるのがなんかエッチ」
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186685863377289217
「女性を勝手にエロコンテンツ化して売り、それによって男子の様に堂々と肌を出せなくなる、肌を出すならエロコンテンツ扱いされる事を覚悟しなければならないような状況をつくった、②のような存在が一番の問題」
「イラストにおける女性表象も「女性をその内面性から切り離し男にとっての快楽の手段(鑑賞物)として切り取ろうよ」という提案なので、紛れも無く②に該当」
献血宇崎ポスターがフェミから批判されているわけだけど、「イラストであろうと性消費するなら悪!」と主張するなら刃牙をBL消費するのも同様に批判しないとダブスタじゃない?
ねとらぼ記事のブクマを見ると「ねとらぼは「公共」なのか案件 」って言ってる人がいる。
結局フェミの主張は「公共で性消費するな」ってことでいいわけ? それとも「日赤は認可法人だから公に準ずる機関だから批判しているんだ!」って感じかね?
https://anond.hatelabo.jp/20191021020100
ここに今までフェミが批判してきた萌え表現?(女性表象の性消費?)が並んでるわけだけど、『境界線上のホライゾン』なんかは私企業の出版物でかつラノベ棚にゾーニングされているラノベだから本来は問題なかったのに無理筋で批判したってことでいいんかね?
角川は私企業だから日赤のような批判はあたらないってことでそれはいいよね?
公共か否かについては『境界線上のホライゾン』はラノベ棚に陳列されてるからそれで充分じゃない? それとも不特定多数の人が出入りできるからゾーニングされてるとはいえない、公共空間だということになるんだろうか?
https://twitter.com/nissystaff/status/1027123304526540800
ではこれはどうだろう。老若男女が利用する駅構内での「anan愛とSEX」。「NissyのMVような華のあるエロさ」「情熱的な西島隆弘を堪能」「相手の女性も綺麗で色っぽい2人の絡み」などと感想が並んでるわけだがフェミは何故これを「公共で性消費するな」と批判しないのだろう?
「そんなもんそっちが勝手に批判すればいいだろ!」という感じだろうか?
『ゆらぎ荘の幽奈さん』を批判したときは「子どもが見るジャンプでするな!」みたいな論調だったけどけっきょく子どもがどうというのは建前にすぎず、自分が不快なものを批判するために子どもをダシにしたってことだろうか? だって子どもも利用する駅構内での「anan愛とSEX」を批判しないというのはそう受け取らざるを得ない。
フェミは一人一派とか、ただ女性だというだけで性消費される苦しみを理解しろといったお気持ち論に終始するんじゃなく、他者の表現の自由を制限しようとしている自覚をもってフェミはどこを論点にするのか、どういう状況なら萌え表現と折り合えるのかそろそろまとめてほしい。